中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

フランス革命についての省察(読書感想文もどき) バークの古典的名著「保守主義」の何たるかが、よく解ります。

 フランス革命についての省察 

原タイトル           Reflections on the Revolution in France

エドマンド・バーク/著  

中野好之/訳  

出版者    岩波書店 2000.7, 8

1.概要

フランス革命への批判がなされていて、保守主義聖典といわれてい

ます。

省察』は私的書簡という形式で書かれており、冒頭において「名誉

革命」の本質を明らかにしつつ、フランス革命擁護者への反論となり

ます。

権利章典を引きつつ名誉革命において、イギリスは世襲的王位継承を

選択したと主張しています。

残りの大部分はフランス革命への批判、そして革命が今後どのような

経過を辿るかの予測をしていますが、フランス革命の例えば数十年後

に、歴史家として十分な分析をして書いた、のではなく、まさに同時

代の現在進行形での分析です。

省察』には、バーク哲学の主要概念が述べられてて、

文明社会・法の支配・伝統・慣習・相続・世襲制度・偏見、教会など

の中間組織、私有財産権の擁護が主張されており、それらを破壊する

フランス革命への非難がなされています。

また理性主義・平等主義・民主主義などへの反駁もなされています。

2.ピックアップ

第1部から

貴下が得た利益なるものを数え上げてみよ。(中略)

フランスはこの間違った明光を追求することで、これまで文句なしの

純粋な至福を購入してきたどんな国民よりも高い代償で、このみっと

もない惨害を買い込んだ。

フランスは、犯罪によって貧困を買い入れた。

フランスは、自己の利益のためにその徳性を犠牲にしたのではない。

フランスは、自らの美徳を冒涜する魂胆で、自己の利益を放棄しただ

けに過ぎない。  (P72)

 

過去の革命を成就した人々は、国会社会の変革の企画もしくは実現に

際して、彼らがその平穏を擾乱した国民の威信を高めることで、自己

の野心を神聖化してきた。

彼らは、偉大な視野を持っていて、自分の国土の破壊ではなく統治を

目指した。

彼らは、内政と軍事との偉大な才幹の持ち主であって、その時代の

恐怖の的にして同時にその光輝であった。  (P90)

 

敢えて言うならば、水平化を試みる人間は決して平等を生み出さな

い。

市民の多様な階層から成り立つ社会では、必ずや一部の人々が高い地

位を占めるはずであり、従って、水平化する人間は事物の自然的秩序

を改変し歪曲するだけである。

彼らは、構造上の安定のためには地上に置くよう要請される要素を空

中高く据えることで、社会と言う構造物に負担を強いる。 (P92)

 

彼らは何かを必ず破壊せねばならず、さもないと自分の生きがいを実

感できない。

一部の徒輩は教会権力を通じて世俗権力を、他の一翼は世俗権力を通

じて教会権力の破壊を企てる。  (P107)

 

私は、抵抗や革命についての不断の話題を、つまり憲法の危急の際の

薬剤を日常の糧に変える手口を好まなかった。

それは必然的に、社会の体質そのものを危険なまでに虚弱にする。

 (P117)

 

彼(ルイ16世)がパリやプライス博士の残忍で侮辱的な凱旋にふさわ

しかったと考えることに、この上ない困難を感ずる。

私は、自由の名分のためになされたこの種の国王への見せしめに戦慄

する。

私は、人間性大義にもとづいて、この種の最も奸悪な徒輩の暴虐が

罰せられないことに戦慄する。  (P151)

 

彼らにとっては、事物の古い枠組みは、それが古いというだけで破壊

の充全な動機となる。 

新しい枠組についていえば、彼他派、慌てて建造される建築物の耐久

性には何ら不安を感じなくて済む。

何しろ、自分たち以前の時代に達成された事業にはほとんど何の関心

もなく、万事を発見への希望に繋ぐ彼らには、耐久性など最初から眼

中にない。(P161)

 

我々は、このような観念にもとづいて、一部の徒輩にように、既成制

度への敵対を自らの宗教と哲学へと仕立てて、これと事を構えるのと

は正反対に、あくまでこれに固執する。

我々は既成の教会、既成の君主制、既成の貴族制度、既成の民主制を

ば、今それらが現にある姿で、つまりそれ以上でも以下でもない形で

護持する決意を固めている。 (P168)

 

私有財産にこれほどまで恐るべき革命を生み出した野蛮な征服者は、

過去にほとんど存在しない。

ローマの派閥の頭目たちが彼らの掠奪品の競売で「アノ惨酷ナ槍ヲ」

立てた時でさえ、かほどまでに膨大な量の被害服民の資材を彼らの競売

には、掛けなかった。  (P209)

 

第2部から

彼らの計画には経験上それらの有益な傾向を裏付けるいかなる要素も

存在しないゆえに、私はあえて場当たり的という。( 下巻 P61)

 

古い体制の有用な部分が保存され、新しく付加された部分が既存の

部分へ適合される時にこそ、強靭な精神力、着実で忍耐強い注意力、

比較し結合する多面的な能力、そして便法をも豊かに考え出す姿勢の

秘策が発動されるべきである。  ( 下巻 P65)

 

全編への結語から

私は確かに一部の人々に偉大な自由を見出すものの、圧倒的とは言わ

ぬまでも多くの人々の中には、逆に抑圧的で見苦しい奴隷根性を見

る。

だが、叡知と美徳を抜きにした自由とは何か?

それは、考えられるあらゆる悪の中で最大のものである。

 (下巻 P196)

 

私は変更を必ずしも排除しない。

だが、変更を加える場合にも、それは保存のために行われるべきであ

る。

私は非常な苦痛に接して初めて、私の救治策を講ずるだろうが、それ

を実際に行う場合にも、私はわが祖先の手本に見習いたい。

(下巻 P199)

  3.他者の分析引用

「革命批判」と、「リーダー論」に気に入った分析があったので引用します。

フランス革命の省察とは (フランスカクメイノセイサツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 (1)フランス革命への批判

バークは、フランス革命は「人間の権利」という抽象的原理に基づく

革命であり、それは先入観と社会的紐帯の中でのみ自由が可能になる

という人間的現実を無視し、実際には人間を「野生の自然状態」に戻

してしまうものに他ならないと言う。

それは教会をも含めて社会的紐帯を全て破壊し、人間の社会的まとま

りの手がかりとなるものを次々と破壊してしまった。

貴族制的要素は政治的平等の教義によって無視され、いい加減な人間

たちが権力を独り占めする状態を招いた。

 (2)リーダー論

バークは、「自由な国制」が無作為で安定的に存続するとは考えない。

リーダーはその存続のために一定の作為や活動をしなければならない

と説く。

政治エリートのこうした能力をバークは思慮(prudence)や実践的

知恵(practical wisdom)、正しい理性と呼んでいる。

これに対してフランス革命は哲学的な革命であり、形而上学者や哲学

者によって行われた「思弁」に基づく革命であるというのが、バーク

の説である。

  4.最後に

これだけの古典となると、幾多の先人が分析し、論じており、おそ

らく、相当部分は的を射た解説なのでしょう。

とはいえ、別に試験勉強をしている訳ではないので、自分の理解度の

自信の無さは、横において、自力で読みすすめてみようという、冒険

でした。

 

なお、下記紹介は「中野好之訳(岩波)」ではなく,「新訳佐藤健志訳(PHP

新書)」としました。

 

 
 

株式投資の基礎 第17回 素朴な順張り、逆張りの話 私見は、流れを追わずバイ&ホールド

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今日は順張り、逆張りの話です。

1.投資手法の「順張り」と「逆張り

(1)まず、素朴な言葉の定義と、一般的に言われるメリット・デメ

リットを書きます

順張りとは、

株価のトレンド(流れ)に乗って株を買ったり売ったりすることで、

基本的に株価が上昇している場合は、トレンドの流れに合わせて株を

買う手法

つまり順張りで投資をするということは、現在まで価格が上昇を続け

ている株の価格がさらに上昇すると予想をして、株式を買うことです。

 逆張りとは、

株価のトレンド(流れ)に逆らって株を買うことで、基本的に株価が

下落している時に株を買う手法です。

 逆に、空売りでエントリーする際は、株価が上昇していくタイミング

空売りの玉を仕込むことになります。

 つまり逆張りで投資をするということは、価格が下落を続けている際

には株が近々上昇に転じると予測して株を買い、株価が上昇している際

はそろそろ天井ではないかと考えて空売りの玉を仕込むということです。

 (2)メリット・デメリット一般論

➀順張り場合

株価のトレンドに合わせてエントリーするため利益を狙いやすく、初心

者でもトレードがしやすいが、トレンドの判断するのが遅れてしまった

際には株価が上昇、もしくは下落しきってしまう。

またエントリーしたタイミングが天井か底になってしまい、損失を抱

える。

逆張りの場合

株価のトレンドが転換する前に玉を仕込むことにより、より大きな利幅

を狙うことが可能となるが、転換点と予想していたポイントでトレンドが

転換しなかった場合、損失額が膨らむ可能性がある

(3)あるアドバイザーの意見

株式投資の初心者には順張りの方がおすすめ

逆張りは大きなリスクを取るためリターンも大きい

まずは順張りを身に付けて、その後他の投資技術も学ぶべきです

2.最近の新聞記事から

2020/7/6 11:00日本経済新聞 電子版の

「AL・ANAに「逆張り」の買い 個人株主数が最高」から、すこし抜粋

JAL・ANAに「逆張り」の買い 個人株主数が最高 :日本経済新聞

(1)東京証券取引所によると、2019年度の個人株主数は延べ5672万人と

過去最高だった。

「老後2000万円問題」などを契機にミレニアル世代が資産運用に踏み出し

ている。

新型コロナウイルスによる急落相場では日本航空ANAホールディングス

に個人の「逆張り」の買いが入った。

配当利回り株主優待を手がかりにした銘柄選別も進んでいる。

(2)所得が伸びない「低成長」の経済しか経験していないミレニアル

世代は、もともと副収入につながる投資への潜在的な関心はある。

FX(外国為替証拠金取引)や暗号資産(仮想通貨)のブームに乗った人

も多い。

 

(3)ミレニアル世代を含む個人マネーはどんな銘柄を買っているのか。

有価証券報告書などに記載される個人株主数の変化をみると、まず相場

の大底を狙って買い向かう「逆張り」の傾向がうかがえる。

(4)ある証券会社社員の見解

3月中旬以降の戻り相場で入ってきた短期売買の個人は定着するかどう

か不透明だ。

新興市場の一部銘柄への期待が過熱すると、多くの個人投資家が退場を

迫られた06年の「ライブドア・ショック」の再来につながりかねない。

3.私の考え

(1)順張り、逆張りと分ける場合、「株価のトレンド(流れ)を読むこと」

 求められているようだが、本当にトレンドを読める投資家がいるんでしょ

 うか。

 たとえば、逆張りと言って、買い下がりながら、ついに、倒産や上場廃止

なり投資資金がゼロになるケースもあるのでは?

 単に、上がってきている株を買うと「順張り」、下がってきている株を

 買うと逆張り」と言っているのでは?

 (2)別の日の「株式投資の基礎」ブログで書いていますが、

 新型コロナ感染症対応で、米国で一人1000ドル、日本で一人10万円の資金が

 個人にわたり、その資金の一部が「足の速いおカネ」として逆張り投資に向か

 っている感じがします

 この観点からすると、おカネの正確は「短期売買」投資でしょう。

 FXや暗号資産投資と、同じベルで考えている人もいるでしょう。

 日本では「配当狙い」や「株主優待狙い」としても、あるようです。

4.冷水を掛けるようですが・・・

上記で述べてきた「タイミングを計る」、順張り・逆張り投資議論に、以下は

冷や水を掛けるような話です。

・「人のゆく裏に道あり、花の山」

・「誰もが見向きもしないときに」

・「市場が真っ赤な地で染まっているとき」

等々、付和雷同でなく、大衆の動きと一線を画するべし、というのは

投資の鉄則でしょう。

一見逆張り投資にみえるかもしれませんが、私が言いたいのは、

よくよく研究して、これは長期的に大丈夫という銘柄を買うべし。

➀選択する銘柄こそがすべてであり、市場が、その他と長期にクローズして

も構わない。

②対象が決まれば次にタイミングで、それは、市場が冷えて「不人気」な時

がよい。

ウォーレン・バフェット流投資といったところでしょうが。

 

思い出含め、いろいろなものが流されてしまいました。 地元の球磨川氾濫から思うこと。

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昔は釣り小僧でした

1.球磨川氾濫のニュース報道

陳腐な表現となりますが、「自然の力」は、すさまじいものです。

おそらくテレビが登場して以来、私の地元が、ここまで大々的に

報道されることはありませんでした。

おそらく今後もないでしょう。

悲しいことに、報道の内容は、災害、地元を流れる急流が、連日の大

雨をうけ氾濫、地域全体が、水浸しとなり、甚大な被害というもの。

報道は、別のサイトで見ていただくとして、今回は、書評や、社会情

勢コメント等でなく、極めて、個人的な話を書きます。

2.昔話から

昨年10月30日に「釣りの思い出」として下記ブログをあげています。

釣りの思い出(子供の頃、学生時代、社会人、最後は子供の見守り)原点は球磨川 - 中高年michiのサバイバル日記

冗長になりますが、

熊本県球磨川のハエ釣り

と題した、小文を再掲載(一部カット)させてください。

九州の南の方に、人吉盆地を流れる球磨川という急流が

あります。

「アユ釣り」で有名な川です。大きい尺アユが取れます。

メディアでもよく取材が流れますし

関西から西の方に住まいの「アユ釣り師」なら球磨川

知っているはずです。

さて、球磨川は、子供の私にとっては、自転車で、もしく

は歩いても行ける近場の川です。

内容は、普通の川釣りです。

ハエ(一般的にはウグイ?)を狙います。竹竿に道糸と

テグスをくっつけて、リールはありません。投げ釣り出な

いので、道糸もごく短いもの。

ウキ釣りで、エサはドングリムシまたはサシムシ。

一時期は集魚用の「マキエ」もよくしました。

子供で釣りあげられないような、そんな大物がかるわけではありません。

しかし、ブルブル竿が震える、「引き」の感触がいいで

すよね。

手軽な娯楽、といえばそうですが、幼少から中学生まで、

かなりの期間、よくハエ釣りに出かけました。

ハエの引きは楽しみますが、持ち帰って母に甘露煮依頼

するわけでなく、キャッチアンドリリースですね。

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橋げたにいろいろ引っかかります。最悪、橋が流されます

 3.幸い人的被害は、なかった

高齢の実父母や、親戚もこの熊本県人吉市在住なのですが、幸い

現在の住まいは、割と高台にあり、水没は免れました。

固定電話はダメですが、携帯は通じました。

陸の孤島」状態は否めませんが、実父母の所は、電気ガス水道の生

活インフラは、切断されていないようです。

2.昔話からの「釣りの思い出」の頃、私の子ども時代の住まいは球磨

川のすぐ近くの家でした。

今回、堤防の決壊もあり、私の生まれ育った地含めこの市街地は、一

の水浸し状態。

私の思い出の地が、いくつも物知的に「泥をかぶった」状態です。

ここまでひどいのは、今回が初めてですが、

もう少し小さいのは、何ども経験あります。

川の氾濫後は、後片づけが大変、経験者でなくても解ると思います

「床上浸水」というのは、泥水が、いろんな生活物資を混ぜこんで

家の中まで、入り込んでくるのですからね。

4.生活の再建

私と同世代、またより若い人のほとんどは、現役世代の生活者です。

市役所勤務や、教職員だけでなく、地元で旅館や飲食店の経営(及

び)勤務の方々も、たくさん知っています。

(農家の方も少数親しくしていますが、ここでは述べません。)

後者にとっては、飲食店や旅館が、自分の城なのですが、こちらが

かたなく流される、もしくは「床上浸水」による、使い物にならな

い、状態。

悔もうにも、自然の力の前に、いかんともしがたい、状況ですよね。

旅館や飲食店の話を続けます。

実質、ことし2月くらいから、新型コロナ感染症の影響がではじめる

のは、ある面日本全国一緒、と言ってもよいでしょう。

5月を過ぎ、6月も過ぎ、「緊急事態宣言」も解除され、漸く人の動き

「温まってきた」矢先の話ですからね。

「大変ですよね、頑張ってください」とか、「どこ見いても、みんな

生きていくのは大変です」とか、軽々しく私には言えません。

「掛けるコトバを失う」というのが、的を射た表現でしょうが。

5.最後に

実質的に自分と無関係だら、報道するアナウンサーや、テレビ等のコ

メンテイター等々が無責任にしゃべっています(実は、他人の考えを

言わされているだけ?)が、責任とれないから、それはそれとして

無視しています。

ただ、「正確な報道だけにしてくれ、解りもしないコメント挟むな」

とついつい、いらだっている自分を感じています。

(彼らは自分の言葉でないかもしれない、冷静に!)

特別お題「仕事と子育て」 私の場合、子供に遊んでもらった思い出話です

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仕事と子育て両立に苦悩する女性(男の私ではありませんよ)

1.お題は「仕事と子育て」ですが・・・

(1)特別お題のニーズとしては、

結婚、育休、在宅ワーク、転職など、仕事と子育てにまつわる前向き

な話を希望しているのでしょう。

忙しい日々の中で、ふと子どもに癒やされたとか、パワーをもらった

とか。

仕事と子育ての両立に悩んだ時期を、家族に支えられたとか。

といった、エピソードにより、読者に元気を出してもらうという趣旨

かと思います。

 (2)私の場合、地元九州を離れて、首都圏で妻とふたり、双方の祖

父母は当時健在でしたが、双方熊本県住まい、親戚も県内、といった

具合。

つまり、妻の直接的なサポーターは、近くにいません。

(最も、夏冬と、子供が小さいときは帰省しており、じいちゃん、ばあ

ちゃんにはよく接して、いました。)

私はどうかというと、子供が育つ頃は組織人として割と多忙で、「子

育て」参加は、土日の一定時間ぐらい。

ほとんど妻任せの子育てであり、このお題でブログを書くこと自体、

僭越かもしれません。

とはいえ、子供と過ごした思い出はいくつかあり、

「子供に遊んでもらった」思い出話をとりあげることにします。

2.子供に遊んでもらった思い出

妻に命じられて、土日に「子守をする」という名目で、子供の相手を

したという「おとうさん」は多いでしょう。

私もその口です。

私は、実質「子供に遊んでもらって」いい運動をした、と当時から思

っていました。

 (1)「子守(監視)」の話

 私の場合、1歳5ケ月しか離れていない男の子ふたり、です。

ずいぶん長い間、子供に遊んでもらいました。

例えば、トイザらスでの一面。

勝手に遊ぶ二人の間を動物園の熊みたいに行ったり来たり、たまに

トラブルありです。 結構歩いたと思いますよ。

また、近くの公園にも、よく行ったのですが、下の子供が、行方不明

となり、警察に保護されたことが、ありました。

 彼(次男)は警察に対して、自分の名前の話をしたようですが、

「す」と「つ」の発音がよくできなくて、氏名を間違えられていまし

た。

(2)釣りの思い出

➀本格的な磯釣りに、ファミリーフィッシングです。

子供と釣り道具を車に放り込んで、千葉県浦安市を流れる境川

餌のゴカイを買い、釣り場到着。安全な場所です。

私は子供が釣るのを、サポートとしたり、監視したり。

サポートなんて書いていますが、幼児の時は特に投げるポイント

指示や、タナの取り方、糸のもつれを取る、エサに脱着とか、何で

も屋です。

「監視」には兄弟げんかも含みます。

さて、ハゼは、持ち帰って天ぷらにできます。 

ハゼ釣り、というよりは「ハゼ釣りをする子供の見守り」ですね。

新浦安はいろいろ釣り場があります。

② 倉庫のある堤防近くで、サビキで、回遊してきたコイワシ

たくさん釣ったことがあります。

この時は、子供にもよく釣れました。(こちらはリリースです。)

複数の魚がサビキにかかって、小学校前の子供には少し竿が重く

なり引きが楽しかったようです。

 ③ また、子どもに、「おとうさんのいいとこ」を見せようと、

ルアーで夜の浦安港での、スズキ狙いをやったこともあります。

向こう岸にはディズニーランドの明かりが見えます。

子供を、車に乗せて同伴させていったこともありますが、その際、

釣果無しの撃沈でした。

(3)次男の名言(迷言?)沖縄はいまなんがつ?から

沖縄旅行の昔の写真を見ると、某年4月29日です。

羽田から、飛行機で沖縄の那覇に飛んだのですが、東京は、すこし寒

かったのでしょう。

幼児であった次男には、飛行機の中で眠っているうちに外は一気に暖

かくなったので少し混乱、はて何が起こった?。

 想像するに、当時の次男の月齢で

  カレンダーの1月から12月の意味は理解できる。

  暑くなる、寒くなるといった季節の移り変わりも、理解できる。

  温かい寒いという季節感と、カレンダーが 紐づけられていた

  のでしょう。

 つまり、(彼の頭の中は)これくらいの暑さ寒さなら、カレンダー

でいうこの月くらいという具合。

東京では、親から、もうすぐ5月だよ、と教えられていたこともあ

り、彼には肌寒さが、「もうすぐ5月」だったのでしょう。

飛行機が沖縄に到着、急に暑くなったので

彼の思考回路が、

「この暑さなら7月とか、8月というんだろう。

 沖縄は、今何月なのか、そうだ、お父さん、お母さんに

聞いてみよう」となったのでしょう。

3.今となっては

子どもたちも成人して、月日が立ち、お題の「仕事と子育て」もはる

か昔の思い出となりました。

こどもは、飢餓、病気やケガ、内乱、戦争、難民化等で亡くなること

もなく、成人しました。

それは、決して全世界的に見ると「当然」では、ありえず、まずこの

環境に感謝です。

また、当たり前ですが、こともも私とは別の人格。

それぞれ別の人生を送っていくわけです。

私の生命が続く限り、というか私の脳細胞が正常に動く限り、私の思

い出は私のものとして存在しつつけます。

まさに私の経験であり、対象の子どもにも、ましてや他人には無関係

の感情。

それがナンダ、と言われると、私にとっては大切なもの、というだけ

です。 

反穀物の人類史(読書感想文もどき) 定住と国家継続は全く別物ほか 私の初期国家観は偏見でした

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定住から初期国家成立までの4000年をイメージ

穀物の人類史

国家誕生のディープヒストリー

原タイトル           原タイトル:Against the grain

 ジェームズ・C.スコット/[著] 

立木勝/訳  

出版者    みすず書房 2019.12

1.概要 

(1)話の論点は、

豊かな採集生活を謳歌した「野蛮人」は、いかにして古代国家に家畜

化されたのか?

国家形成における穀物の役割とは?

農業国家による強制の手法とは?

等について、考古学、人類学などの最新成果をもとに、壮大な仮説

を提示しています。

月並みな表現ですが、とても面白かった。

過去、自分が「通説」と思っていたことが、いや違うのはないか、と

気づいたときの、刺激への反応と言うか、快感です。

(2)目次

はじめに

序章 ほころびだらけの物語――わたしの知らなかったこと

1 火と植物と動物と……そしてわたしたちの飼い馴らし

2 世界の景観修正――ドムス複合体

3 動物原性感染症――病理学のパーフェクトストーム

4 初期国家の農業生態系

5 人口の管理――束縛と戦争

6 初期国家の脆弱さ――分解としての崩壊

7 野蛮人の黄金時代

 2.ピックアップ

湿地社会が見えにくい最後の、そしてさらに推論的な理由は、こうし

た社会が、中央集権化や上からの支配に環境面で抵抗し続けたこと

だ。 (中略)

後で検討する初期国家と違って、中央の権力が耕作可能地や穀物、灌

漑用水の利用権を独占することが(したがって分配することも)

できなかった。

そういうわけだから、こうしたコミュニティに何らかの階層構造があ

ったという証拠はほとんど残っていない。 

(なぜ無視されてきたか P53)

 

歴史上の行為者についての第一の、そして最も堅実な前提は、彼らは

与えられた資源と自分の知っていることを基に、直近の利益を確保す

るために合理的に行動する。  (ギャップに注目する  P55)

 

私は、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当

多くは、政治でなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思

う。  (病理学のパーフェクトストーム P94)

 

定住とそれによって可能となった群衆状態は、どれほど大きく評価し

てもしすぎにはならない。

なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に対応した微生物による感染症

は、ほぼすべてこの1万年間にーーしかも、おそらく過去5000年のう

ちにーー出現しているのだ。  (同 P97)

 

社会から切り離された奉仕者という原理は、14-19世紀オスマン帝国

のイェニチェリ、中国の宦官、中世ヨーロッパの宮廷ユダヤ人など、

スキルはあるが政治的には中立な側近をおくという支配者のテクニッ

として、その後も長く行われてきた。

しかしある時点で、奴隷の人口が大きくなり、集住が進み、民族的な

つながりができてくると、この望ましい微粒子化ができなくなる。

(「人的資源」戦略としての奴隷制 P155)

 

交易と戦争による疾病は、初期国家の消滅に関してどれほど重要だっ

たのだろう。(中略)

わたしの直感では、古代世界で人口の中心だったところが理由もわか

らず突然放棄されたのは、かなりの割合までこれで説明できると思

う。  (急性疾患と慢性疾患 P177)

 

私は一つの偏見に異を唱えたい。

国家センターという頂点への人口集中を文明の勝利としてみる一方で

、他方では、小さな政治単位への分散を政治秩序の機能停止や障害だ

とする、ほとんど検証されることのない偏見に対して、である。

わたしたちは崩壊の「標準化」をめざし、これをむしろ定期的で、お

そらくは有益でさえある政治秩序改革の始まりとして見るべきだ、と

私は考えている。  (崩壊万歳 P191)

 

どう控えめに見ても、ただ国家の中心地で人口が減少し、巨大建築や

宮廷記録が存在しなくなったという理由だけで、その時代を暗黒時代

と名付け、文明の光が消えたのと同じだと理解するだけの正当な理由

はないと思われる。    (同 P194)

 

時期によっては、国家の臣民が鍬を捨てて狩猟採集、遊牧、海洋採集

を始めることが、自由への逃走であるとともに、合理的な経済計算で

もあったのだろう。

そのような瞬間には、国家の臣民に対する野蛮人の比率が大きくなっ

たと考えられる。

辺境での暮らしは魅力がないどころか、むしろずっと魅力的だったの

だから。 (黄金時代だったのか  P230)

 3.改めて感じること

 ヒトにより、取り方感じ方が違う、という当たり前のことを再度気付

かされます。

 考古学や歴史家にとっては、充分な研究材料が欠落すると「暗黒時

代」でしょうが、その時代の生活者からすると「くびきからの解放」

を意味することも、多々でしょう。

「当然のように聞いた」城壁や長城を築いて、外敵の侵入を防ぐとい

う目的も、実は「中にいる人を逃亡させない」ことが主目的の場合

も、有るようです。

なにごとも多面的に見るべし、と改めて感じた次第、です。  


 


 

賞与(ボーナス)払いは、昔日の話、本来の賞与の意味に近づく? 原資は税金・政治家の賞与評価は誰がするの?

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半期の一度のボーナス支給のイメージ

1.6月末はボーナス支給?

もう7月ですので「歳時記」的に書くと、すこし時期がずれました。

国内ニュースは、かわらず新型コロナ感染症報道が盛んですが、6月

末は、ボーナスを受け取った人もいるでしょう。

誰しも自分に有利なことは「こっそり」、下手に大騒ぎはしません。

メディア関係者でも、ボーナス取得した人は多そうで、それは突っ込

んだ話にはなりませんよね。

せいぜいマクロで他の経済指標に絡めて、過去比較で報道するくらい

でしょう。 

2.そもそも論

(1)ボーナス定義を議論するつもりはなく、とりあえず

 「年末や夏期などに,正規の給与以外に特別に与えられる賞与金。

もとは,能率給制度において標準以上の成果を挙げた労働者に対して

支払われた賃金の割増し分」、くらいにしておきます。

(2)なお、公務員について、下記記載がありました。 

公務員のボーナスに関しては法令により定めがあり、期末手当と勤勉

手当という2種類の手当の合計額が、いわゆるボーナスとして支給さ

れることになっています。

 期末手当とは、民間企業における基本給連動型の特別給料のようなも

ので、定率で支給される賞与です。

一方、勤勉手当は、個人の勤務成績に対する評価によって変動のある

賞与となります。

また、ボーナスの支給日は夏が6月30日、冬が12月10日と決められて

います。

 (3)以下、私見となります。

そのそも、生活費側面の「給与」とは、別物で成果報酬のハズですよ

ね。いつの間にか、「支給を受けて当然」との既得権益のようです。

イヤ貰うほうには「生活費補填として必須」となるのでしょうが。

しかし公務員の「勤勉手当」と言う表現には嗤ってしまいます。

たいていの仕事は「勤勉」に対応しないと、そもそも仕事にならない

給与も発生しないのでは?

3.「ボーナス払い」から考える

(1)もうひと昔前の話となり、いまどき「ボーナス払い」という

言葉は、死語かも知れません。

当たり前ですが、「ボーナス払い」というのは、年2回程度、通常の

労働対価が給与とは定期的に支払われ、しかも、ある程度金額が読め

る、と言うことが前提です。

今でも、常勤の公務員とかは、「自治体が潰れる可能性」が低く

自分の評価も急変することは無く、ボーナス支給も将来にわたり、

大丈夫と思うのも解ります。

(2)民間企業はどうでしょうか?

 給与みたいに、年間2回 しかも、金額が見えている、という立て付

けは、よほど「しっかりした愛艇業績の」企業でしょう。

たしかに、「正社員」には、ボーナスは憧れでなく、既得権益かも

しれませんが、ボーナス支給原資が税金でなく、企業収益となると

将来を見通すのは難しいですよね。

経済環境が大きく変わってきているのは、皆さん周知のとおり。

小見出しの「ボーナス払い」は、だんだん消えていくでしょう。

(現実に消えている?)

詳細は追っていませんが、もろもろの「働き方改革」のなかで

「非正規」の方にも、将来賞与が出るかもしれませんが、上記の「賞

与原資」の問題はあります。

正社員含め、支給額は、いわいる安い方に「さやよせ」?

給与や賞与の概念がないフリーランスについては、別途書きます。

(3)話は脱線して「政治家」の賞与

ここで「政治家」とは、税金から「賞与」をもらう国会議員や、地方

議会議員を指します。

政治家の質とか、員数とかは、今日は書きません。

理郎としては、「政治家のボーナス」は月額報酬の、上乗せ、別途支

給でなく「仕事の対価」であってほしい。

でも、その「仕事」って誰が評価して査定できるの・・・・

 4.最後に 

  ボーナスに関する小文なんて、「ボーナスのないオマエのひがみ

だろう」、言われると、そうかもしれません。

誰しも、ヒトは弱いもの、ひがみっぽいぽの。

報道されること、音声・画像・文字で流れる情報には、割と反応しや

すいですが、「流れない情報、書かない情報」を、どう考えるかは

極めて難しい、と思います。  

経済学の宇宙 (読書感想文もどき) 岩井克人さんの自伝でもあります 2回に分けます その2

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長年の広範な読書に支えられた岩井克人さんの頭脳をイメージ

経済学の宇宙 

岩井克人/著  

前田裕之/聞き手  

出版者    日本経済新聞出版社 2015.4

 1.概要と目次

「不均衡動学」はじめ次々と斬新な経済理論を生み出してきた学者・

岩井克人、とさらりと、紹介みたいに書きますが、3年振りに読みか

えす今回も、いまいち理解がすすみませんでした。

本書は著者が巧妙なインタビュアーにこたえて、みずからの「経済学

との格闘」を語るという体裁をとっているので、素人でも現代経済学

の世界に接近できるところはあります。

また、本書は著者の歩んだ人生の軌跡を語った、味のある自伝でも

あります。

目次

第一章 生い立ち――「図鑑」から経済学へ

第二章 MIT留学――学者人生における早すぎた「頂点」

第三章 エール大学――『不均衡動学』を書く

第四章 帰国――「シュンペーター経済動学」から「資本主義論」へ

第五章 日本語で考える――『ヴェニスの商人資本論』から『貨幣論』へ

第六章 再び米国へ――「日本経済論」から「法人論」へ

第七章 東京とシエナの間で――「会社統治」論から「信任」論へ

第八章 残された時間――「経済学史」講義からアリストテレスを経

て「言語・法・貨幣」論に

2.ピックアップ

 (これより以前の抜粋・引用は「その1」に記載しています。)

 

マルクスの資本主義論は、「発展途上国」における 資本主義論でしか

ないのです。

産業資本主義にのみあてはまるその「不完全」な資本主義論を、資本

主の一般理論として提示してしまったこと、そこにマルクス経済学の

不幸の一つがあったのだと思います。 (マルクスの不幸 P195-196)

 

「ポスト産業資本主義」が、これまでの資本主義と違っているところ

があるとしたならば、それが資本主義の基本原理を意識的に実践して

いる、最も純粋な資本主義の形態であるという点にしかありません。

(もっとも純粋な資本主義 P199)

 

ヴェニスの商人資本論』をワープロに入力しながら、私は、木の

中に埋まっている眉や鼻を掘り出すように、シェークスピアのテクス

トの中にすでに埋め込められている「資本主義論」と」「貨幣論」を

単に掘り出しているだけだーーそういう感覚にとらわれ続けました。

ヴェニスの商人 P212)

 

「貨幣の進化」論文を書き終わったとき、私は自分の考えを大きく

 変えました。

資本主義社会にとっての真の「危機」は、恐慌でなく、ハイパーイン

フレーションであると。

(資本主義経済の真の危機とは  P243)

 

真の危機、それは、貨幣を貨幣として支えている「予想の無限の連

鎖」そのものが崩壊してしますことなのです。

それは「ハイパーインフレーション」に他なりません。 (P248)

 

シュンペーター経済動学」を書くことによって、マルクスの余剰価

値説を相対化することができました。

そして、今度は、『貨幣論』を書くことによって、マルクスの体系の

基本公理であった労働価値論を、イデオロギーとは無関係に、純粋に

理論的に捨て去ることができたのです

(遅ればせの解放 P250)

 

日本型会社システムは

変わらなくてよい 

  株主資本論から距離を置いてきたその歴史は経済学会や法学界に

  おける多数派意見とは逆にポスト産業資本主義という新たな時代

  と親和性をもっているから

変わらなければならない

  ポスト産業資本主義における会社の運命は、もはや機械制工場の

  脇役としての能力や知識の育成と発展ではありません。

  会社の中で、従業員や技術者や経営者が自ら率先して再生を生み

  出し続けていくことのできるような人的組織、そういう組織をい

  かに育成し発展させるかにかかっているから。

 (「日本経済論」から「法人論」へ 末尾 P322)

 

(1997年夏から)断続的に1年近くかけて「21世紀の資本主義論

ーーグローバル市場経済の危機「と題した長編論文を書き上げました。

貨幣論』と『不均衡動学』とを組み合わせ、通貨危機金融危機

背後に働いている基本原理を明らかにすることに主眼を置いた論文で

す。 (21世紀の資本主義論 P343)

 

では、会社の経営者とはいったい何ものなのでしょうか。

会社と「信任関係」にある人間であるーーこれが、この問いに対する

答えです。  (混乱の元凶 P354)

 

アリストテレスこそ、何の価値がないモノでも、貨幣として使われる

とモノの価値をはるかに超える抽象的な価値を持ってしまうことを、

歴史上最初にしかもその二千年後のスコットランドにジョン・ローと

いう人物が現れるまで、最も明確な形で定式化していた人間であった

のです。 (貨幣の思想家 P408)

 

経済学史講義の章立て

序章(1):経済学史とはどのような学問か?

序章(2):アダム・スミス重商主義

第1章:アリストテレスとポリスの経済学

第2章:西欧中世における貨幣経済

第3章:重商主義貨幣経済

第4章:調整の利潤論と重商主義の利潤論

第5章:重商主義から古典派経済学へ

第6章:いわゆる「科学」としての経済学

第7章:アダム・スミスと貨幣

第8章:リカードマルサス

第9章:マルクスと価値形態論

第10章:ヴィクセルと不均衡累積過程の理論

第11章:ケインズ有効需要原理 

第12章:古典派とマルクス派の利潤論と産業資本主義

第13章:シュンペーターの利潤論とポスト産業資本主義

終章:貨幣・法・言語と人間  

(「経済学史」プロット P447)

3.最後にまた感想

 初版が出てすぐ読んだので、3年振りくらいの再読です。

今回もまた、完全に消化したとは、決して言い切れません。

このブログでも、ちらちら書いていますが、私の性分なのでしょう。

何か、「憧れ」を感じるものには、解らないなりに突っ込んでいき

たくなります。

跳ね返されるのが、解ってはいるのですが・・・・。

「古典」と言える中にある通説を、理解したうえで、論破し、新しい

理論を構築していく、それが学者なんでしょうね。

  岩井さんは、未だ故人でありませんが、本は、私の都合で、勝手な

時間管理で読めて、結果として岩井さんに付き合ってもらうことにな

り、ありがたいものです。