中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

熱誠憂国(読書感想文もどき) 他人の評論でなく李登輝元総統の直言です

熱誠憂国

日本人へ伝えたいこと

李登輝/著  

出版者    毎日新聞出版 2016.6

1.概要

李登輝さんへの追悼は、私の中ではまだまだ続いています。

解説本ではなく、最近(2016年、彼が93歳の時)の時の著作から

生の声を引用したと思います。

書籍の内容は、

「日・米・台」で築け、アジアの平和! 台湾の民主化を実現した哲人

政治家で元台湾総統の著者が、リーダー不在、Gゼロ(米一国支配終

えん)時代の日本の方向性を語っています。

目次を見ると

第1章 新しい日本のレジー

第2章 日本の極東アジア戦略

第3章 日本人として生きる

第4章 戦争を考える

第5章 指導者の条件

第6章 信仰は力なり

第7章 第二次民主改革

第8章 台湾の同胞たちへ

 

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心の中で葬儀に参列しているイメージです。

 2.ピックアップ

私は(十二年の総統在任期間中に)終始国民の支持を受けながら、

この保守勢力に対抗し、一滴の血も流さずに六度憲法改正を実現

する「静かな革命」を成就させたのである。

私は、この「静かな革命」を誇りに思っている。   P13

 

日本が50年間、いわば「さら地の台湾」を統治して近代化し、生活

すべてを鍛え上げたから今日の台湾があるのであって、そういう

ことは、他の外国人には分からない。

それぞれの地域の歴史的な経緯のなかで違いが出てきたということ

である。  P48

 

高校に入ってからは洋の東西を問わず、たくさんの古典を読むよう

なった。

特に日本の思想家や文学者の本には関心が高く『古事記』から

『玉勝間』まで全部読んだ。 (中略) 

これまで読んだ本の中でも特に心に残ってるのは、ゲーテ

『ファウスト』、それからトーマス・カーライル『衣装哲学』

あとは岡倉百三の出家とその弟子

これらは、その後の私の人生に大きな影響を絶え、また、とて

も役に立った。  P87-88

 

(平和を求めたいという期待)は、トルストイが『戦争と平和

で述べた考え方や「人間とは何か」と言う本質に基づいて考え

れば、首尾一貫した原理、原則の適用は不可能なことと言わざる

を得ない。

可能なのは、具体的な状況の中から平和の条件を探ることにす

ぎない。

そうなると、戦争はいけない、いや戦うべきだとは簡単に言え

なくなるのである。  P111

 

中国共産党が中国大陸にもたらしたのは、中国大陸を「アジア

式の発展停滞」から脱出させることではなく、中国伝統の覇権

主義の復活と、誇大妄想を有する皇帝制度が再び生まれただけ

のことだった。 P154

 

(1999年ころの話)

台湾の民主改革の成功、対中国関係の整理は「託古改制」から

「脱古改新」への転換によって実現された。

そして、アジア的価値を否定するという目標を達成し、「新し

い時代の台湾人」という新概念を確立させたことは、あらゆる

価値観の転換の実現でもあった。 P161

 

 もし台湾で改憲がなされるとして、その第一段階として、私

が提唱しているのは、現行では二十歳の選挙権の付与を十八歳

まで引き下げることである。

台湾において未来を担うのはやはり「若い力」にほかならない。

P168

 

「新しい時代の台湾人」という自覚を持つことによって、ここ

で初めて「自分は何者か、台湾人とは何か」というアイデンティ

ティを確立することが可能となり、自分自身を「一人の、独立

した、台湾人だ」と絶対的に認識することによって、過去の自我

が救われる。 P184

 

3.李登輝元総統への私の思い

人間だれしも、「憧れ」があります。

亡くなった人を「歴史上の人物」とするなら、歴史上ではなく

現世の人で「憧れ」がある、数少ない一人、つまり(私にとって)

実績と人間性の双方ある人でした。

今回私の中で彼は、「歴史上の人物」になりました。

「台湾の自由と民主主義を中国から守った男」であると同時に、

「あるべき日本精神を体現した立派なおじいちゃん」の側面が、

私はとても好きなのです。  

 

 

岡倉天心の「茶の本」と、その分析本を並行して読みました。

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茶の本

現代語でさらりと読む茶の古典

岡倉天心/原著 

田中秀隆/著  

出版者    淡交社 2013.9

1.概要

日本文化論の名著とされる「茶の本」。

明晰な茶人の眼で挑み直したその新訳本を、没後100年の岡倉天心

に捧げる、とあります。

天心が『茶の本』で、描こうとした目的は、千利休の死因の厳密な追

及でなくて、日本人の生き方に、きちんとした幻想があることを、茶

道を通して欧米人に理解させること、です。(はしがきより)

他の方の書評に「 ところどころに解説があるので、茶道の知識がなく

ても理解しやすかったです。」とありましたが、同感です。

 目次を書くと、

第1章 人間性を盛る一碗

第2章 茶の流派 

第3章 道家思想と禅道

第4章   茶室

第5章   芸術鑑賞

第6章 花

第7章 茶人たち

 

2.今回引用は少し。

第3章 道家思想と禅道  第一段 茶との結びつき

禅道と茶との結びつきはよく知られている。

すでに述べた通り、「茶の湯」は、禅の儀式から発展した。

道家思想の始祖、老子の名前もまた、茶の歴史と密接に結びついて

いる。 P52

 

第6章 花  第15段落 茶人と花

茶人は満足に花を入れ終わると、床の間に置く。

床の間とは、日本家屋の中で、名誉ある場所とされているところで

ある。  

花の効果を損なうようなものは、花の近くに置かれない。

絵画であっても、花と組み合わせることで特別な美を生みだす理由が

なければ、掛けない。

花は玉座にいる王子のようにそこに置かれている。 P126

 

第7章 茶人 第6段 自害の特権

秀吉にとっては、疑いをいだいただけでも、即座に処刑するのには十

分であった。

怒れる支配者に対しては、いかなる訴えも無駄である。

死刑囚に残された唯一の特権は、自害するという名誉だけであった。

(P142)

 

第七章 茶人 第9段落 旅立ち

顔に笑みを浮かべたまま、利休はまだ知らぬ世界へと旅立っていっ

た。 (P145)

 

(以下は著者コメント)

天心は、西洋人にとって好奇心の対象でしかない自死を取り込みなが

ら、その背後の死生観を理解させることを試みている。 (中略)

利休の死は、「茶道」が世俗を超越できる信念体系てあることを証明

する役割も与えられている。  (P159)

 

 岡倉天心茶の本』を読む 

 岩波現代文庫  学術 302 

若松英輔/著  

出版者    岩波書店 2013.12

 1.概要

こちらの解説本のほうが、難しかった。

「さらりと」と言うわけにはいきません

ある書評に

  「この岡倉天心の代表作を、タゴール内村鑑三井筒俊彦ら人間

の叡知を追究した東西の思想家との接点を探りながら読み解き、

新たな天心像を提示する。」とあります。 

2.こちらも引用は少し。

(鎖国時代が茶道の発達に不可欠、を受けて)

文化は外観からのみ確かめるものではなく、日常の生活の内に見出さ

れるものであると天心は考えた。

この視座は茶道に対してだけでなく、文化の成熟とその発展における

天心の確信だった。

同質のことを同時代人である内村鑑三が、やはり英文著作『代表的日

本人』のはじめに書いている。  P69

 

天心は、茶を、完全なものではなく「不完全なもの」を仰ぎながら、

人生という不可解なもののなかに何かを見出そうとする営みであると

語る。 

ここでの「不完全なもの」はけっして消極的な表現ではない。P85

 

「茶道は道教の仮の姿であった」とも天心は語る。

道教の叡智は、今や姿を変えて茶道に流入しているという。

儒教聖典孔子の語録『論語』である。

道教のそれは、老子の語録で、『道徳経』である。   P100

 

タゴールの言葉から、「彼」が岡倉天心

彼は百姓たちの使う素朴な土焼きの油の壺と言うような、全く安価な

ものを求めては、夢中になり、感嘆するのでした。

その辺の朴訥な村人たちが、自分たちはそれとは知らず持っている美

の本能が、それ他の些細な物に表されていることを、わたしどもは見

過ごしていたのです。   P128

 

最後に

非常に個人的な話ですが、祖母が茶の湯の先生で、自宅の一室を茶室

としていました。

小学生の私には、きれいな「おねえさん」ばかりでしたが、弟子と

して若い女性が通っていました。

自宅の一室ですから茶室(兼用です)にも出入りし、茶の湯道具も知

っていましたし、茶をたてたこともあります。

岡倉天心の「茶の本」を通読したのは実は、中学生以来。

思い切り背伸びで通読しただけの中学生には、さっぱり見えなかった

世界が、(当たり前ですが)すこし見えてきました。

 中国古典の中でも老荘思想は好きな方で、その分も理解にプラスだっ

たのかもしれません。

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今週のお題「お気に入りのTシャツ」ハワイ パレルモ(イタリア) バンコク(タイ)

1.今週のお題は「Tシャツ」です

(1)人間は、いい加減で、弱いもの、すぐ「易きにつき」安いも

の。

いや、そうではない、という意見はあって結構。

自分と違う意見を「認める」ことは、大切です。

さて、私の場合、なんか強制力が働かないと「Tシャツ」について

思いを巡らせることは、ありませんでした。

もともと、身につけるものの、衣料関係については、あまり興味が

なく、「社会生活を行う上で、接する相手にきわめて不快感を与えな

い」ことと、「寒さ暑さを防ぐ」こと、ぐらいしか、いつもは考えて

いません。

もちろん、衣料がある人にとって、とても大事なことがあること、産

業としても大きいことは、知っていますし、多様な価値観は尊重して

いますよ。

(2)さて、「この夏大活で、躍の予感」といったサブタイトルは、

大外れで昔、買ったものやもらったTシャツのうち、一定期間私や家

族が着用したもの、現在も着用しているものを、過去の経緯を思い出

しながら、書いてみます。

生地素材や、ファッション性、機能性等はさっぱり書けませんので、

悪しからず。

 

2.ハワイで買ったウミガメ(ホヌ)のTシャツ

子供がまだ小さいこと、家族でハワイに行きました。

ウミガメ(ホヌ)は、いわばハワイ名物でしょうか。

ネットから引用すると、

  ハワイ海域に生息している数種類の海亀の中で最もよく目にする

アオウミガメ(Green Sea Turtle)は、「ホヌ」というハワイ語の呼び

名で親しまれています。

  古くから神話に登場したり、ペトログリフ(古代の絵文字)に描

かれるなど、ハワイの人たちにとっては神聖な生き物でした。

  現在でも幸福や繁栄の象徴として大切にされています。

  ホヌは浅瀬の藻を食べにやって来るので、ビーチでその姿を見る

ことができます。

私が家族で行ったとき、シュノーケリングはやっていませんが、子供

を連れ水族館では、アオウミガメを見たような・・・・。

Tシャツに話を戻すと、このホヌがプリントされた、子供用の小さめ

のTシャツを、長男、次男用に、妻が、どこかのショップで買ってい

ました。

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ハワイもパレルモも海のイメージです

3.パレルモのワイン会社のプロモーション用Tシャツ

以前に、塩や食材、アルコールを輸入する商社にいたことがありま

す。

一度、出張でイタリアのシシリー島のパレルモに、行った際に、ワイ

ン工場も見学しました。

組織が完全に整った大企業でなく、地元オーナー経営の中堅企業でし

た。

その会社は、ワイン販売促進プロモーションのため、いくつかグッズ

を作っていましたが、Tシャツもありました。

私や家族は、日本人の方でも、小柄な部類ですが、合うサイズが、い

くつかありもらって帰りました。

後日、日本に戻っても、また、別の出張者から、もらったこともあり

ました。

いかにも、イタリア的なデザインのTシャツでしたが、ワインの味覚

同様私に、デザインをうまく表現する力がありません。

悪しからず。

 

3.バンコク旅行の黒いTシャツ

これも、以前の話ですが、ハワイ、パレルモより、はるかに近いころ

です。

タイのプミポン前国王が亡くなって、タイ国内はまだ「喪中」の感じ

でした。

プミポン前国王について、引用すると、

  ラーマ9世は、チャクリー王朝第9代のタイ王国の国王(在位:

1946年6月9日- 2016年10月13日)。

  通称はプミポン・アドゥンヤデートタイ語: 「大地の力・並ぶ事

なき権威」の意)。

  英語や日本語では一般に長母音を無視し、プミポン国王とも通称

される。

旅行中は、至る所で、プミポン前国王の対国民への影響度を感じたと

ころです。

この旅行は、もう大きくなった子供は無し。

Tシャツに話を戻すと、妻が真っ黒なTシャツを事前に、妻が日本で

買っていてバンコク他現地では、終日この黒いTシャツを着て、回り

ました。 

台湾の表層と深層(読書感想文もどき) 素直に統治国の努力と実力を評価するおおらかさ

台湾の表層と深層

長州人の熱情と台湾人のホンネ

福屋利信/著  

出版者    かざひの文庫 2017.2

太陽出版(発売)

(ここで勝手に挿入)

李登輝さんが亡くなりました。

彼への思いは私もそれなりに高く、後日書きたいと思います。

当ブログ後日アップ予定でしたが、追悼をこめて、

私にしては早めの本日アップとします。

1.概要

(1)台湾の歴史を概説し、台湾が親日な理由を長州出身の第四代

台湾総督児玉源太郎を基点に考察するとともに、歴史からポップカル

チャーまで、複眼で見たリアル台湾を紹介しています。

山口大学教授で台湾開南大学客員教授も務める著者が、その歴史的

経緯をひも解き解説していますが、福屋利信さんは、1951年山口

生まれとあります。

生まれも、仕事場も、成程、長州ですね。

私は、台湾の歴史、政治経済文化については、ある程度知っている

と、言っていますが、実は台湾の映画もポップスもさっぱり知らない。

これをベースにした分析は、当然私には新視点です。

勉強になりました。

目次も新鮮で

 プロローグ

 第1章 台湾スケッチ

 第2章 台湾歴史概説

   ここに、日本統治時代と中華民国統治時代の、たくさんの映画

   が事例として挙げられています。

 第3章 長州人が台湾近代化の過程で形成した親日感情

 第4章 21世紀の台湾はどこに向かうのか?

 第5章 台湾ポップス(TW-POP)シーン

 エピローグ

 

(2)朝鮮と台湾では同じ日本統治下にありながらなぜこうも状況が

違うのかについて、本文中から少し抜粋しましょう。

韓国は、千年以上も大陸の中国文明を受け入れてきた歴史があり、

その文明形成過程では、日本より先んじていたという誇りがあった。

筆者はその歴史的誇りこそが、韓国をして、日本支配に対する強烈な

反感を呼んだと考える。

台湾の人々は、オランダも中国も日本も、横一線で、どの国の統治が

台湾に一番恵みを与えてくれたか、という純粋な比較論を展開し易か

ったのではなかろうか。

その比較論の中では、日本の統治時代が圧倒的に高い評価を台湾の

人々から得た。

素直に統治国の努力と実力を評価する南国の人々特有のおおらかさが

台湾を親日に導いたと考えられる。

P153-154 

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今回の台湾は、少し違う切り口

2.ピックアップ

特筆すべきは、嘉義農林ナインの民族構成である。
日本人(大和民族、内地人)、台湾人(漢民族本省人)、高砂族(山地先
住民族、蕃人)の三つの民族が揃った「三族共和」のチームが生まれ、
民族の違いを乗り越えて一つになって戦ってい映画に感動を付与し
ている。   P80
(michiコメント:この話は1931年だそうです。なぜか私は、90年弱
    の 月日を経たラグビーワールドカップのジャパン「One  Team」
  連想しました。)
  
魏徳聖監督、映画『KANO』、李登輝元総統との対談 から)
かつて日本と台湾は同じ国だった。
そして日本人と台湾人は、甲子園大会優勝という同じ目標を抱いた
こともあった。
そのことをいま、日本人に知って欲しい。 P83
 
台湾にとっての1990年代は、日本にとっての1960年代、韓国にと
っての1980年代、中国にとっての2000年代のように、希望に満ち
満ちた時代であったろう。
(中略)
若者たちにとって、夢が持てることこそが重要で、その実現なんて
二の次だった。    P110
 
台湾人が自分たちを中国人と差別化しようとするとき、台湾独自
「台湾人意識」に加えて、日本の統治時代に日本人から学んだ
「自己犠牲」、「誠実」、「勤勉」、「責任感」、「遵法」、
「清潔」など、一言に要約すれば「日本精神」の継承を挙げる人
が少なくない。
その理由は、中国人が国民精神としては持ち合わせていないもの
だからである。  P152

 

(第5章 2.山地民族音楽の多様性から)

台湾では現在、全住民族は、平地先住民と山地先住民に分けられ

ており,山地先住民は台湾東部に多く住み、アミ族が最も多く

約18万人である。

 (中略)

言語的には、部族間で使用言語が異なるが、近年では中華民国

公用語である、中国語を話せる人が多い。

しかし、高齢者の中には、日本統治時代の公用語であった日本

語のほしっくりくる人もいる。(中には日本統治時代を懐かしみ

、積極的に日本語を話したがる高齢者もいる。)  P226

 

3. 最後に

私には、新しい切り口での台湾もありました。

なんと言っても、今一番気になるのは、中華人民共和国との、

政治対立関係でしょうか。

台湾本土、台湾海峡のみならず、香港、南シナ海まで話は広が

り、利害関係者は、米国を筆頭に、オーストラリア、日本等々、

こちらも広がります。

私に、何ができるわけではありませんが、継続して注視したい

と、思っています。 

 
 

  

株式投資の基礎 第23回 不動産にまつわる話 開発業者、家賃利回り投資 リート

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今回は、不動産関係の話です。

1.不動産投資は過去必ず儲かった?

(1)前回第22回は「あまり気にするな」として、本コーナーの投資家が直接

投資対象としない、種類株式のうち特に優先株の話と、資本政策の一環として

使う「黄金株」について、少し書きました。 

「不動産投資」は種類株式の話と違い、ある意味「投資の王道」として、捉え

る方も多々いらっしゃいます。

私が若いころ、今から30年くらい前は、

「株は下がるが、土地は下がらない」と発言する、経営者もありました。

国家経済全体が、長期の右肩上がりの段階にあって、上記発言が「結果とし

て正しかった」という、実感の、ある方も多かったでしょう。

少し、そのあたりの話をします。

(2)20年ほど前の、中国広東省の事例です。
「官民一体」どころか、政府役人である中国共産党幹部が、主役で動きます。
都市開発プロジェクトのリーダーとして、長く君臨するのですが、まずは
デベロッパー」の役割。
非常に単純に言うと、開発対象となる地区を決定し、(海上ならば土地を
造成し)、現在いる人を追い出して、自分で所有権を押さえます。
権力を握っているから、開発に伴う一連の許認可も、スムーズでしょう。
「追い出し」て、土地を造成し、建物を立て、今度は「呼び込み」です。
この一連の主役を演じると、儲かります、というか儲かってきた歴史で
した。
収益の基礎となるのは不動産を握っていることであり、収益を生み受け
皿は、法形式上形式上、直接保有ほか、公共セクター組織、株式会社、
第三セクターとか、極論すると、何でもあり、です。
(3)当然、各国で、法制度、税務、歴史や文化まで、さまざまに違い
ますので、細部を論じると、いろんな差異が出てきます。
しかしながら、基本的には、
土地を押さえて、「ヒトを追い出し」、開発して、「ヒトを呼び込み」
、当該土地建物を長く保有する、というパターンは類似でしょう。
この一体化、というか不動産をベースにした展開というのは、以前から
よく用いられた手法です
関東では、西武、東急、関西だと阪神、阪急としましょうか。
日本でも「不動産で財を成した」と言われるような、大規模で、長期間
にわたる収益を生む事業投資に、不動産が不可欠であった事例は、過去
多々ありますよね。
 
2.収益不動産への利回り投資
スケールと、時代背景を、今日の日本に戻して「不動産投資」の一例を
検討します。
「事業」と投資とは、違います。
つまり、投資家が、直接事業をおこなう訳ではありません。
しかるべき調査をして、土地付き建物を所有し、家賃収入の利回りが、
投資収益となるパターンです。
「しかるべき調査」と言っても、投資家のできる調査は、様々。
新築のワンルームマンションもあれば、競売・任売(任意・売却)の
物件を相対的安価で所有し、リノベーションをかけ・・・・
当たり前ですが「一物一価」の上場有価証券とは違います。
不動産に二つと、と同じものはありません。
「多様化」というより、本質です。
 (2)投資価格と、収入(家賃収入)が解れば、利回りがはじけて簡単
なようですが、上場有価証券の場合と違い、当初の投資価格とその後の投資
価値が違ってくる(通常、下がってきまする)ことがポイント。
「不動産の経年劣化」という言葉は、解りやすいですが、不動産の維持管理
コスト、減価償却費用をど計上していくか、等々、論点は多いです。
「小口からできる不動産投資」の情報も、山ほどありますから、参照される
といいでしょう。
 
3.リートについて
リートは、なかなかよくできた商品です。
ここでは、上場株式同様流動性があり、「上場リート」の話をします。
(セールストークめきますが)
小口で買えない、流動性がない、情報がわからないという不動産投資の
ネックを解消した金融商品とも言えます。
「その分投資収益性が落ちる」と言われると、それは、仕方ありません。
当然、仕組む側にメリットがあって、ビジネスとして成立するから、商品
組成もするのですから。
下記は、5月 24日アップの第3回で、リートについては触れたものに、
少し加筆修正しています。

不動産収益を基にしたリート(REIT)

(1)リートの説明

リート(REIT)とは、投資法人が投資家から資金を集めて複数の不動

産に投資し、賃貸収入や不動産の売却利益が配当金として投資家に還

元される金融商品のことです。

そのため、REITに投資することで、間接的に不動産に投資したことに

なります。

REITでは不動産が証券化されて、10万円程度からの小口の資金で証券

会社を通じて購入できます。

上場しているリートを前提としています。

つまり、株式と同様に、売買できますし、事業内容について「開示」

しています。

運用益以外に売却益も得られる可能性があります。

リートでの不動産投資は、「オフィスビル」「ホテル」「マンショ

ン」「商業施設」など用途別の不動産に対して行われます。

 

(2)リートのメリット

・高利回り(不動産投資よりは低いが株式よりも高い)

・不動産現物投資に比べて小口資金で投資が可能

証券取引所に上場しており、株式と同じように取引できるので

 換金性が高い

・不動産の選定・運用・維持管理・賃貸募集などを専門家が行う

 ため手間がかからない

 換言すれば、不動産現物投資に比べて、小口で投資できて、流動性

あり、収益が低くなるのは仕方ない といったところ

 

(3)リートのデメリット

・株式と同様に上場廃止になる可能性がある

投資法人が倒産する可能性がある

金利の変動や物件価格の低下で配当金が減少する。

 

別項目で、海外のリートの話もしています。

海外の不動産現物を、詳細調査することは、実務上不可能でしょうが、

投資信託の語りで、一枚かませて、複数の海外リートに投資する手法

検討に値すると思います。

 

 

いつの時代も不安は同じくらい。 絶対者がいた昔も、権威が消えつつある現代も

1.権威があるもの、昔は権威があったもの
(1)関東は遅い梅雨明けまだのようですが、次は暑い夏があって、
それも過ぎるころには、「ノーベル賞の季節」がやってくるのでしょ
うか。
いろいろ議論があるノーベル平和賞や、文学賞はともかく、理科系の
ノーベル3賞(物理学、化学、生理学・医学)は、まだまだ「権威」
がありそうですね。
(2)一方時代ともに、「権威」からずれ落ちたものも多々あります
よね。
 国連本体及び下部機構は、非効率運営、悪い意味の官僚的批判で、戦
後すぐの輝かしい「国際機関」のイメージから最近は輪をかけてWHO
(国際保健機構)はもうさんざん悪口言われるし、ユネスコ評判も怪
しいものですよね。
国連尊重の外交というと、特に日本では、不偏不党の連想もあり、
「聞こえ」は確かにいいです。
(3)和訳の問題ですが、「国際連合」を「連合国」というと、どう
でしょう?
枢軸国に対抗する「連合国軍」と紛争地に派遣される「国連軍」で
は、微妙なニュアンスのあるような・・・・
国連職員になって「国際公務員」になると、「地方公務員」より、な
んだかカッコイイような、雰囲気もありました。
いずれにしても、私には「権威からずり落ち」のイメージです。
 
 

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不安な心理状態です

2.変わるもの、変わらないもの
(1)比較憲法として特に海外での研究は、大日本帝国憲法と、日本
憲法は、いろんな点で共通点が多いものらしい。
一方、私自身中学生の頃までは、「太平洋戦争を境に戦前戦後で、日本がガラリと変わった、基本法たる憲法もしかり」、と思っていまし
た。
しかし、年を経て、社会についていろいろ学んでくると、基本的な社
会経済制度が戦前戦後といっても、あまり変わってない面多々ある
と、気付くようになりました。
 (2) スティーブン・ピンカーの著書
「暴力の人類史」や
ったと実感します。
理論があり、数字根拠に基づく、説得力のある説明は、とても勉強に
なります。
踊らされない、あおられない、冷静な、数字分析は必要ですよね。
(3)しかし個々人の持つ心理面、不安の総量はどうでしょうか?
飢餓、弾圧、衛生上から来る死の恐怖、これに伴う不安は確かに減り
ました。
(以下、話を大きく広げますが)
天動説がどうも正しくなくて地動説が正解ではないか、
産業革命によって、資本主義社会へ舵を切ることになった
これまで変わらないと思っていた幕藩体制の権威が揺らいでしまっ
た・・・
現在の大衆社会になるとメディアか何かと不安をあおる。
 つまり、これまで不変と思っていた権威はくずれ、精神的に拠って立
つべきところが、なかなか見つからない。
「安心、安定を得るところがない」
不安の対象と、考えていることは多種多様でしょうし、各自の頭の中
で刻々と変わるものかもしれませんが
不安の総量は昔も今も変わらない。
「人間気の持ちようだよ」といっえしまえばそうですが、割り切りは
難しい。
「飢餓、弾圧、衛生上から来る死の恐怖」から発する不安が減った
ら、人はすぐ別の不安が心を満たすのでしょう。
人間が変わらない以上、未来もこの不安の総量自体は、変わらないと
思います。
 
3.どうやって不安解消?
ここでの結論は、「人間である以上、不安が解消することはない。
不安とともにずっと生きていく」ということです。
やはり、あきらめ、というか開き直りでしょうか。
まずは、飢餓、弾圧、衛生上の死の恐怖がなくてありがたいと思い
生きていれば、常に何らかの問題が生じ不安のネタが生じるのは仕方
ないと開き直り、日々を過ごしていく。
それが、無難な、気がします。
 

「群れない」生き方 (読書感想文もどき) 私に「しっくりくる」 曾野綾子さんのエッセイから

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現実は使わないでしょうが「随筆」のイメージを出したかった


「群れない」生き方

ひとり暮らし、私のルール

曾野綾子/著

出版者    河出書房新社 2020.2

1.概要

曽野綾子さんの最近のエッセイはよく読んでいます。

昔の若いころの書かれた小説は、あまり読んでいません。

ネットで見ると1931年生まれの88歳のようです。

本書について、概要を借用すると

『家族を看取り、老いを受け止めながら、ひとり暮らしを楽しむに

はどうすればいいのか。

生涯、魂の自由人であるには。

著者の生き方の根幹である「群れない」という美学を軸に、豊かな老

後のあり方を綴ったエッセイ集。』

とあります。

私がいたるところで書いていますが、「人は自分の見たいものしか見

ない、聞きたい意見しか聞かない」

と思います。

彼女のエッセイは、僭越ながら「私にとっての好みの定食」みたいな

もので、内容はそれなりに理解できるし、彼女の見解が私に「しっく

り」来るものが多い、ということです。

さしづめ、「自分ではうまく書けないが、同じ趣旨を主張している」と、いいたいところ。

引用を以下に進めていきます。

 

2.ピックアップ

国家なら犯罪は起こさないだろう、などと本気で思っている日本人が

いて、それで日本軍のしたことをあげつらうのだが、北朝鮮の拉致事

件に真相を知ると、どの国家も残忍なものである。

つまり人間はたやすく集団で理性を失える性格を持っているのだ。

それが万人に共通の弱点なのだから、自分だけが例外でないと覚悟す

べきである。 (P26)

 

疑ってもなお、用心しつつ、助けるべきは助けることはできるのだ。

理由なく信じることはいいことではない。

それは愚かなことである。」もっとも詐欺師は、信じるに足ると見え

る理由を作るものなのだが・・・。

そこでマンガ以外の本もたくさん読んで、人を見抜く目を養うほかは

ないことになる。    (P28)

 

「誰でも知識があっても、その用い方を知らなければ、不十分に知識

を持っているに過ぎない。」(トマス・アクィナス)  (P30)

 

「道徳」とは、単なるお説教ではないのだ。

人間関係を、最低限あんまりこんがらかせずにやっていくための謙虚

知恵なのである。  (P35)

 

民主主義は、安定した上質の電気が、国の隅々にまで提供されている

にしかありえない。  (P43)

 

人はめいめ位が好きで特異な道を生きればいい。

好きなことのない人が、実は一番、危険で困るのである。  (P58)

 

人間は、自分が直接見聞きしたこと以外、信じてはいけないのだ。

世間の噂、マスコミの記事、ついでの歴史小説も、それを真実だと

して処世訓にしたりするのはやはりまちがいなのである。 (P76)

 

(「イランでは宗教がそのまま政治である」を受けて)

そういう宗教家たちにたいしてイランのインテリはかなりはっきりと

批判的である。

人前で握手をすることはその反抗の現れであるらしい。

こういう現実の端っこなりとも知らずに自分の尺度で世間を見ると

危険になってくる。 (P88)

 

人は、自分の思考や行動を守るために、静寂を侵されない自由がある

と思う。

世間は実に多くの考え方から成り立っている。

その個人の自由を守ることは、最低の礼儀だと言っていい。(P94)

 

テレビは麻薬的かつ非現実的だから、過酷な現実に対応し耐える力

を奪って、いわゆる切れ易い性格を作るのだという。  (P99)

 

夜の時間は、人間たちにとって、魂の輝きを見せる時なのではないか

と思う。

思考が内向きになった時、その人の精神は燃え上がる刺激をまだ十分

には、消化しきれていない。 (P116)

 

大勢で仕事をするのは、つまり誰一人として「自分が責任を取りま

す」という勇気を持たなくなったということだ。  (P153)

 

3.最後に

引用して文章に、理解のために特段の捕捉をつける必要は、無いようですし

コメントも不要でしょう。

読みながら、普段、考えている頃が浮かんだので、一つ記載します。

情報を得る手段として、テレビ、インタネットの動画、オーディオ

ブックがあります。

それぞれ全然違う分野でしょうが、「相手から主体的に情報が流れる

(送られてくる)」という点は共通。

そのスピードに自分がついていけるか、逆に遅すぎるとか、いろんな

ケースがあるでしょう。

また、情報が入ってくることを「自分が考えている」と錯覚しやすい

点もあると思います。

一方書籍だと、読む行為は自分が主体的にならざるを得ないし、自分

の考える速度に調整が、できます。

少なくとも、自分で理解し、考えているように時間調整できるのは

すばらしいと思っています。