中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

経営学の書籍をヒントに考えたこと。現状は「自己選択」の結果と受け入れるしかない。

1.人生は、トレードオフ

誰しも、二つの人生は、選べません。

一つの選択をすることは、他のすべての可能性を(その時点

では)捨てること。 当たり前のことです。

学校の選択、結婚、就職等を挙げるだけでなく、(主観の問題で)

大きな選択、小さな選択、真ん中くらい、すべて選択です。

「取り返しが付かない選択」か否かと思うのは主観ですが、死亡

してしまわない限り、「やり直しの選択」はできるでしょう。

ただし、実行可能か否かは現実の様々な制約があり別の問題です。

ある書物を読んで、少し感じ入ることがありましたので、少し書きます。

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生きていることは、常に選択の連続

2.「 世界標準の経営理論」から

    世界標準の経営理論

 (入山章栄/著  出版者     ダイヤモンド社 2019.12)

を読み始めたのですが、冒頭の「なぜ自分にこの本が書けたか」

の理由付けが、とても面白かった。

少々長い引用から。(ナンバリング、太字、赤字等は私)

(1)優れた学術成果を上げるため、経営学者は一つのディシプ

リンに徹底的に精通する必要がある。

経済学ディシプリンに精通しているマイケル・ポーターが認知心

理学をもとに研究したという話は聞かない。

「知識創造理論」で世界的に有名な野中郁次郎は、当初はカリ

フォルニア大学バークレー校で認知心理学を勉強していた。

その野中が経済学ディシプリンの論文を書いたことも、当然ない。

当たり前だが、一人の学者がその研究キャリアを成功させていく

には特定のディシプリンにこだわりあり続ける必要がある。

だからこそ、経営理論家として大成するのである。   P15-16

(2)一方著者の入山章栄は、

・日本の大学・大学院で経済学を勉強・・・経済ディシプリン

・博士号取得の米ピッツバーグ大学・・・社会学ディシプリン

カーネギーメロン大学・・・認知心理学の総本山

たまたまの偶然とはいえ、3つのディシプリンを広く知るのは、

経営学者の中でも、稀有なパターン。

これは、経営学の研究者として成功するには最悪のパターン。

学者として成功するには、一つのディシプリンに特化する方

がはるかに効率的。

(3)筆者は、経営学者としては最悪のパターン」だからこそ、

初めて「3つのディシプリンにまたがって定型的に経済理論を紹

介できる」

 

3.私が考えたこと

 (1)オマエは、「人生はすべて自己の選択による構成される」

と、評しているように読めるが、現実はそうではないだろう。

選択も何も、生きるためには、その道しかなかった。そして「たま

たま」現在の自分がいるだけのこと。「選択」できたんじゃない、

との反論は当然あるでしょう。

また、就職、結婚、仕事どれにおいても「自分から進んで選択」

した訳ではなく、自分の環境、能力、その他の条件を考慮すると、

「選択の余地はなかった。」というのが正解、との意見もある

でしょう。

例えば、「あの時、こういう病気をしたから、こうなった、とか。

突然、親の経営する会社が倒産したから、こうなった、とか」

 (2)しかしながら、「人権」も奪われ、まったくの奴隷状態を

別にすれば、積極的消極的、意識無意識は問わず、本人なりに、

何らかの選択をした結果の積み重ね、を否定できないでしょう。

 上記2.で書いた入山さんの場合は、経営学でのディシプリン選択

という、極めて個別性の強いことの選択のように、聞こえます。

ところが、これってよくある話、ある意味普遍的といってもいい。

能力や環境、運、等々の要因は大きいかもしれ前んが、何らかの

自己の意識上の選択があって、現在の自分があると、思わざるを

得ません。

(3)現実論として、時間を遡れるわけがなく、現在から未来に向

かって、常に「選択」していかねばならないのであり、結果を常に

受け入れ、現時点から、何が最良かを熟考して、選択を繰り返す

しかないのでしょう。

「選択」を後悔しても仕方なくて、「うまくいかなくて当たり前」と

開き直って、進むしかないと、私は思っています。

 

 

人事権を持つものが、やはり、一番強い 日本学術会議の会員任命の件から 

1.日本学術会議

日本学術会議の会員の一部任命見送りの件で、「双方」だけでなく、

様々な意見が盛り上がっているようです。

(1)NHKの記事から少しニュースの見出しを、取り上げてみました。

時系列で、流れが解るかなと、勝手にピックアップしましたが私見

に近い遠い云々の観点ではありません。

10月1日

  日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り

10月2日

  日本学術会議 任命見送りの3教授 野党会合で菅首相の対応批判

10月3日

  日本学術会議 首相に要望書提出へ 理由説明と6人の任命求める

10月4日

  立民 枝野代表 任命見送り 「明確な違法行為」と批判

 10月5日

  菅首相 学術会議の任命見送り「学問の自由とは全く関係ない」

10月6日

  政府 学術会議任命権に関する見解についての文書を公表

10月7日

  日本学術会議 会員候補の任命見送りめぐり国会論戦へ

  日本学術会議 与野党からの発言まとめ

 10月8日

  日本学術会議任命見送りめぐり 参院内閣委で質疑

  日本学術会議 6人任命しなかった理由「総合的 ふかん的」とは

 10月9日

 「日本学術会議」予算や機構など見直し検討へ 河野行政改革

 日本学術会議の元会長「任命拒否は法律違反の可能性」

 

(2)便宜的に、NHKニュースから、引用しましたが、新聞記事だけ

でなく、各組織、個人のブログや動画もあり、みんな「言いたいこと」

を言っています。

それは社会形態として、いいことだと思います。

それこそ「言論の自由」がない社会、統制する社会は、個人的にもい

やです。

社会の仕組みに加えて、やはり、「技術革新」は、素晴らしい。

情報発信をするツールが格段に増え、情報発信コストも低減。また

情報拡散を阻害する要因も減ってきています。

持ち論、引き換えに情報過多、情報の玉石混交は、否めませんが。

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日本学術会議をイメージしたかったのですが・・・。

 

2.人事権と説明義務

この小ブログで、包括的な論点整理や、事実関係確認は、私にでき

もしないし、やるつもりもありません。

私のつたない社会経験踏まえて、今回は、人事権と説明義務につい

私見を少し書きます。

(1)結論

法治主義を前提とする日本です。

今回も、公務員ですから任免権者は、政府の責任者、内閣総理大臣

にあること。そして内閣総理大臣は、裁量件を持つこと。

よって、通常の人事権行使であり、問題はないと、思います。

(2)批判に対して

「学問の自由」と、任命の問題は、まったく関係ない。

政府側からの言論弾圧は、聞きません。

 いろんな情報を整理すると、「学術会議」側が、「学問の自由」

を制限している事例をよく聞きます。

(3)理由説明義務

民間企業、公務員、非営利団体にかかわらず、人事についての説明責

任があるのでしょうか?

法律に明記してある場合は別として、人間が作る組織において人事権

を持つ側が側がやはり「強い」わけで、組織維持のため人事の内容は

説明しないという理屈でしょう。

つまり、どんな組織でも、組織の自己防衛本能は働き、組織を制御で

る人、ココでは人事権を持つ人が、人事権を行使される人に対して

「説明義務」あり、との見解は、取らないでしょう。

冗談みたいですが、「自分と同期のAさんが昇格し、自分が留保

との人事について、経営側は説明義務あり」、とは「常識」的に、

無理でしょう

 

3.きっかけ

今回の件は、総理の菅さんが、「してやったり」の観があります。

おそらく、上述のようなニュースにある、「流れ」は大方予想して

シナリオを描いたのではないかと、勝手に想像します。

学術会議の廃止、または完全民営化の最終形が、彼には見えているの

かもしれません。

今回の一番の成果は

「学術会議」なるものを、表の世界に引っ張り出し、議論できる土壌

を作ったことでしょう。

「学術会議」の今後にあり方を、決定するうえでも、発祥の経緯や、

予算、人事構成、実際の活動実績といった「運用の現状」を知らない

ことには、話が進まないことになります。

ハンコ行政見青しはじめ、一連の行政改革を進めるうえで、過去から

のしがらみ、うっ血状態、デジタル化拒絶、硬直化した組織等々の言

葉に現れるよう現象の極小化が必要でしょう。

そういった観点では、今回の騒ぎは、よかったことのように、私は思

います。

 

成功するには、机上の空論でなく、実務家の視点が必要

1.組織においてリーダーが必要なのは必須です。

というか、言葉の定義として、いかなる組織であっても、一部の決断

して組織の方向を決める人と、それに従っていく多数の人がいるの

は、当然です。

ボスのいる猿山しかり、リーダーが正しい判断をすると、その組織は

生き残れます。

さて、今日はリーダーシップ論を書くのでは、ありません。

組織の決断や、方向を正しく上手に実行し、具現化させる「実務家」

について少し書きます。

話の結論は「実務家がしっかりしていないと、成功はおぼつかない」

という当たり前の話ですが、例示して説明します。

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それぞれが「仕事人」である「実務家」のイメージです。

2.カジノが成功しない3つの視点不足

https://times.abema.tv/posts/7033719  

 (1).顧客目線の不足

顧客への優遇という、りする「コンプ」という仕組みが、ある。

これが、カジノ管理委員会の検討結果次第で、禁止される可能性

あるという。

ある関係者は「業界内では、コンプがかなり規制されるので

はないかという話出ている。

やはり(主催者側の)利益を多くしたいというのが理由ではないか。

 (中略)海外から来た人にとって、日本のルールは全く魅力的な

ものではなくなる可能性がある。

やはり他国のカジノとの競争を考えれば、お客さんに対して何ら

かのメリットを示さないといけない」と指摘。

  (2).ディーラー目線の不足

優秀なディーラーを集める上で、日本版ではチップが賄賂に当たる

として禁止されることに警鐘を鳴らす。
 

やはりチップは賄賂ではなく心付けだ。仲居さんに心付けとして

お金を渡したり、タクシーに乗ってお釣りはいいというのと同じ

感覚だという考えが定着してほしい」。

3).カジノ事業者目線の不足

 日本では一つの区域にカジノが一つだが、遊び慣れた客は複数の

カジノを渡り歩くため、すぐに飽きてしまい、お金が落ちなく

なってしまう懸念があるという。

規模が大きすぎるのもだめ。
 「また、競争が起きないということは、長い目で考えると投資

が集まりにくくなるということでもある。

 

 最後にギャンブル依存症対策

・「筋を通すのであれば、現存しているパチンコなどのギャン

 ブル依存症に対して手を打つべき」だと思う。

僕が最もダメだと思うのは、年齢確認をしないことだ。

 

3.上記見解へのコメントと私見

カジノ事態への拒否感、嫌悪感、「理屈付けも一方的だ」と反感

の議論はしていません。

私は、実務家ならではの地に足がついた現実が「よく見えた」意見

かと思います。

上記の趣旨は、話の説得性であり、カジノ賛成・反対の議論では

ありません。

 

(別件で、思い出したことをかきます)

昔、竹内宏さんの「路地裏の経済学」というシリーズモノを

をよく読みました。

人間の本質のどろどろした部分、建前と本音の部分をよく理解し

て、現実的に対応していかないと、たとえば、一方的に上から

目線で、どんな賢い(と自認する?)方知恵を振り絞って考え

ても、うまくいかないことも、多いように思います。

 

3.科挙にふと思う

(1)上記竹内宏さんより、ずっとずっと古い話、歴史の話です。

中国の官僚制を支えた科挙ですが、実質的意味合いは大きかっ

たともいます。

「中国」国土をどう定義するかは問題で、内モンゴルウイグル

チベットを一時的占領地域でなく「中華人民共和国」と呼んでい

いかといった、ナーバスな議論は置いといて、広大な地域である

ことは、確か。いわいる「ヨーロッパ各国」全体がすっぽり入る

くらい。

その広大な地域を支配するのは、確りした官僚制が必要で、血縁や

世襲門閥によるのではなく、試験を通じた「有能な官僚」統治と

甥のは、歴史的にみても、正解でしょう。

当時としては画期的。

(2)しかしながら現在目線で見ると、科挙は「実務能力を見る試

験」ではありませんので、その点はやはり問題。

古典の素養、読み書き能力は、大事でしょうが、詩歌作成がうまい

のと農林水産業、鉱工業、金融業等の実務を円滑にこなす能力では、

違って当然です。

そして当時は、それを計る手段ではありませんでした。

歴史にIFはないし、科挙制度批判でもありません。

タイトルのように官僚ほか、権力者・意思決定者に「実務家の視点」

があれば、行政運営ももっと円滑に進んだであろう、とふと思いまし

た。

仕事があるのは、やはり幸せの話 言い訳、隠れ蓑にも使えます。

1.ライフワークバランス

タイトルは、何か、暗くて、おどろおどろしい感じですが、2.以下

に私が日常感じる軽めの話を、2つ、3つと書いてみます。

先日、ある講演を聞いたいたら、

・ライフワークバランスという発想自体がおかしい

・1年間で8,760時間の中で、「働きすぎ」といわれる2,000時間

だろうが、「少なすぎる」という感覚の1,000時間だろうが、数字の

上では時間の使い方のトップではない。

・現実に睡眠や、プライベートですごしている時間が、多くて、

「仕事」時間が、そんなに多いわけではない。

「充実」というならまずシェアの高い順位「充実度」を考えるべき。

・「仕事が生きがい」というのは、時間的みみると矛盾もあるのでは

ないか。

といった、類の論調でした。

確かに、一つの見解として、説得力はあると思います。

当然反論もあります。

例えば、「睡眠」は生理現象として不可欠だから、これを除いて

考えないと・・・とか。

以下では、上記のライフワークバランスとは視点をずらして

「仕事している時間」を極めて肯定的に取ら得た見解です。

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仕事は千差万別、このイラストも仕事の一例です。

 2.「温泉でのんびり」の勝手解釈

日本人の温泉が好きは、古い話ではなく、現在も脈々とあります

よね。

お年寄りばかりでなく、若者にも継続して温泉での癒しは、人気

です。

私は、テレビを激しく見る方ではないですが

若いアスリートやビジネスパースン(マンもウーマンも)が、目先

の目標を達成し、次の飛躍を目指す合間に

「温泉でのんびりします。」というインタビューを複数回見聞き

したことがあります。

(ウラは、取れていませんが、このコメントは、日本独特の

 感想かと、思います。)

私の独断と偏見で分析すると、この意味は

   当面の目標を達成したし、

   一時期ゆっくりしても許されるだろう

   メディアで開示できない遊びもしたいし、ちょっと

   孤立し  てみたい。

   とはいえ、「何をやっていたんだ」と突っ込まれる

    のは嫌だ。

   「そうだ、温泉でのんびり」という回答としよう。

   身体のケアを怠らないだけでなく「英気を養う」とも

   言え るぞ。

 

上記で言いたいのは

 「自分が温泉自体がどう好きか、とは言えないが、温泉でのん

  びりというコメントは、「仕事」をしていないのに、批判を受け

 ない絶好の隠れ蓑だ。

 解放感に浸りたい、一人で考えたい、常識やしきたりの鎧を脱ぎ

 捨てたい、良からぬ遊びをしたい、等々の本心があるのだが

 【温泉でのんびりします】 のワンフレーズで済む。」

ということ。

 

3.「飲酒中」は仕事をしていない時間の証明

仕事の後酒を飲むことの昔話、というか先輩の言葉から。

「この時価酒を飲めるのは、その時間仕事をしていないことを、

自分で確認している。この解放感に自己満足」とありました。

 補足すると、

   まずいわいる接待で仕事の延長で飲む酒でないこと

   また、昔の牧歌的時代の話であり、よほどの「不測の事態

   発生」でなければ、緊急電話もこない、ましてや当時存在

   しない携帯メールや電話で邪魔されることは無い、という

   前提です。

時間管理の面でも、内容の面でも「充実した仕事」の渦中にある

ことが前提です。

そういった仕事ができる環境や時期は、「幸せ」なことかと思い

ます。私は古代ギリシャのような「労働は奴隷がするもの」には

くみしません。

マックスウエーバーの解釈はわかりますが、私はキリスト教

倫理観は、持っていません。

しかし「仕事」ができて、それで生活の糧をお稼げるなら、私は

自己満足であり、大変感謝すべきことたと、考えています。

 

4.私の「仕事」とのいい思い出

クリスマスに日も仕事

私の独身時代、バブルの頃のクリスマスの状況です。

巷では、彼女とどう過ごすか、どこぞの食事がいい、どこかの

ホテルは、もう予約が取れない、等々。

経済全体から見ると明るい話題が、日本全体に漂っていた気が

します。

将来振り返ってみると、あのバブルの頃が「日本経済の頂点」

だったとなるのでしょうかね。

おそらく、あの時代は日本に再びは、やってこないでしょう。

面白くもおかしくもない話ですが、ぺいぺいの私は、当時延々と

仕事をしていました。

 これも、当時のステロタイプ的ですが、仕事がえりにスナックに

立ち寄り、スナックママと他のお客さんと一緒にクリスマス会、

という経験はありません。

年末のこの時期は特に多忙で、外の夜の会合に出ても、腹ごしら

えし、アルコールを抑え気味にして、会のお開き後は再び会社に

戻って仕事継続というのが、割とあったような気がします。

勿論、当時の「ぺいぺい」から実務責任者中心で、上の世代、

当時の管理職や幹部は、会合から二次会、三次会へと流れたと

思いますが、、、、。

冷静に振り返ると、

求められる仕事があり、仕事内容はそこそこ面白く、またしか

るべき報酬もあって、いい時代だったかと思います。

当然、今の時代の若者と比較するつもりはありません。

物事を多面的に考えるのは難しい、報道はその要素の提供を、という当然の話

1.考えかたの「転向」は、混乱の元

一つの考えで、押し通す方が、ずいぶん「楽」な場合もありますし、

政治や経営方針に限らず、周りが「あの人はこういう考え方だ」と

評価しているのに、突如「転向」すると、混来の元になる、という

のもしかりです。

 何事も「想定して」、「先を読んで」行動するのが普通。

考え方が急に「転向」されると、信頼関係に基づく「方針」は、変更

せざるを得ません。

一方、自分の考え方を、決して変えないのは、「一方的考え方」との

批判もある面、生じるでしょう。

 新型コロナウイルス報道と、米国大統領選報道を例にとり、少し考え

てみます。

 

 2.新型コロナ報道

世界各国の報道ぶりは、私が外国語ができないせいもあり、よく

解りませんが日本のニュースだけ見ても、一方的な報道、見解披露

に違和感を常々感じています。

(1)新型コロナ感染者、とはなんだろうか。

普通の感覚だと「感染者」とは、何らかの症状が出ている人を言うと

思いますが、「PCR検査の陽性者」を感染者として、「数ありき」

で報道しているのは、どんなのでしょうか。「無症状感染者」という

のは、言葉自体に違和感を感じます。

物事を一面的にみる例の典型の気がします。

(2)PCR検査の精度について

精度の報道も少ないです。

私を含め、一般の人は「精度」の判断はできませんが、PCR検査の陽性・

陰性の判断に、統一した見解の有無、レンジの有無等々をちゃんと報道

してから、陽性者数を、感染者数と表現する理由を述べて欲しところ。

 

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一回面のディベートの評価から

3.米国大統領選報道の話。

現地9月29日のアメリカのトランプ大統領民主党のバイデン前副大統領

の初めてテレビ討論会の判断の話ですが

総評として、アメリカメディアは「これまでで最もひどい討論会だった」

 ということです。

以下に引用して、私が言いたいことは、

「両論併記」は、報道のイロハのイと、私は思っている、ということ。

(1)バイデン優勢見解  慶應義塾大学 渡辺靖教授”

渡辺教授は、

「バイデン氏が当選した場合、これまでで最も高齢での大統領就任と

なるため、その健康状態が1つの注目点だったがきょうの討論会で不安

を払拭できたのではないかと思う。

トランプ大統領に途中で話を遮られてもバイデン氏は失笑してかわし

たり、反論すべきところは反論したりして、総じてうまく対応していた。

また、途中でトランプ大統領のことをあえてこの人、この男と呼んで

カウンターパンチを出す部分もあり、弱々しいバイデン、寝ぼけたジョー

というイメージを払拭できた」

と述べました。

 一方、トランプ大統領については、

「やつぎばやに話を遮ったり個人攻撃を仕掛けたりと、余裕がない感じ

がした。議論を錯乱する戦略だったかもしれないが、そこまで強いカウ

ンターパンチは作れなかった。

バイデン氏が言い間違うなど、反論できないシーンを作りたかったが、

バイデン氏の受け答えが予想以上にしっかりしていた」と指摘して、

支持率でバイデン氏にリードされているトランプ大統領は、巻き返し

につながるような場面は作れなかったという認識を示しました。 

 

(2)トランプ優勢見解 明治大学 鈴木健教授

鈴木教授は

「どちらを支持するか決めていない人は、テレビを見終わったとき

の印象で最終的に決めることが多い。

トランプ大統領の場合は、後半で経済の実績を強調したり、バイデ

ン氏を激しく攻撃したりと多少、強引でも結果的に相手を押している

という印象を視聴者に与えることができた」と指摘しました。

 一方でバイデン氏については、

「ゆっくりとした話し方で、相手の攻撃を笑ってやり過ごすなど、

冷静な印象を与える戦略はよかったと思う。

前半は政権の新型コロナウイルス対策を批判して、トランプ大統領

が論理的に説明できない場面があるなど、バイデン氏が優勢に進め

たが、後半はややアピールに欠けるところがあったのではないか」

と評価しています。

 

そのうえで、「大統領選挙は祭りのようなもので、有権者を熱狂さ

れる人が当選する傾向にある。」

と評しました

 

 

(3)引き分け見解 上智大学 前嶋和弘教授

前嶋教授は、

「さまざまな政策について話されたが、相手の言ったことに対して

すぐに反論していて政策論争が深まらず、全体的に何が話されてい

たか覚えていない。

ただ、議論は全くかみ合っていなかったものの、自分たちの支持者に

対しては個々の政策をアピールしたという意味で甲乙付けがたい

と述べました。 

そして、討論会の性質がこれまでとは変わってきていると指摘し、

かつての討論会はまだ誰を支持するか決めていない人に向けて

政策論争をする場だったが、いまは自分の支持者へのアピールに終始

、分極化の時代だと感じた。

反対側へのメッセージはほとんど何もないので、無党派の人も心が揺れ

ないという感じだと思う」と述べました。

 そのうえで、「2回目、3回目の討論会では答えにくい質問に対しても

答えざるをえない場面がでてくるはずなので、もう少し議論は深まる

はずだ。

 

当該記事のように、バイデン寄り、トランプ寄り、引き分け記事

を併記して、読者の判断にゆだねるスタンスに、私は好感を感じ

ました。

出口治明さん的モノの見方、世界史の10人から 「何もしないリーダー」を評価する眼

1.先日は、クビライを一人取り上げました

参照は「世界史の10人  出口治明/著    文藝春秋 2015.10」

本日は少し視点を変え、歴史上の人物を材料に、「出口治明さん

的モノの見方」が現れれている部分を、特に取り上げます。

なぜ、取り上げるかは、私が気に入っているから。

僭越ながら、私の考え方に非常に近い点が多々あるからからです。

 

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出口治明さんについては、いつものこの本棚イラスト

2.引用

バイバルスは歴史オタクであって、「過去を知らずして勝利なし」

という考え方を持っていました。暇さえあれば歴史の本をひもとい

ていたといいます。

十字軍とモンゴル帝国を相手に戦わなければならなかったのです

から、「昔のことを知らなければ、戦争にも勝てないぞ」と思っ

ていたのでしょう。  P40

 

わずか五十年ばかりの生涯とはいえ、バイバルスの成し遂げたこと

の意義は大きい。戦闘能力、決断力、知性、戦略性。そしてカリス

マ性までも兼ね備え、死後も長く語り継がれた波乱万丈の名リーダ

ー。

日本では知名度の低いバイバルスですが、もっと多くの人に知られ

ていい存在ではないでしょうか。  P44

 

なによりのバーブルの真骨頂は、その人間性と生き方にあります。

彼が残した『バーブル・マーナ』は古今東西を通じ、自叙伝の最高

傑作のひとつで、君主の手記としてはカエサルの『ガリア戦記』と

並ぶ名作でしょう。とりわけ描写が的確で、生き生きとしている。

(中略)バーブルの描写によって、色彩や音、匂いまでもが蘇って

きそうで、往時の背顔を克明に知ることができるのです。 P92

 

(シェール・シャーが行政能力を発揮して国の仕組みを構築した

という解釈に対して)

これは、王朝が違っても、誰かがやらなけれならないことでした。

中国で、秦の始皇帝が国家のグランドデザインを定めたおかげで

漢ができ、隋の文帝が汗をかいてくれたおかげで、唐の太宗・李世民

武則天長安の春を用意することができた、というように。P100

 

(アリエノールのこと)

こうした強い意志をもってやりたいことをやり遂げたのは、ロマ

ンチストだったからこそだろうと、私は思っています。年をとって

も夢見る気持ちがなければ、人は保守的に傾きがちです。 P174 

 

ローマ皇帝アントニウスピウスについて)

考えようによっては、治世二十三年で一度も首都ローマを離れなく

ても、帝国がきちんと機能し、みんなが繁栄を謳歌していたという

ことは、素晴らしい名君以外の何者でもありません。何もしなくて

も市民がおいしいご飯を食べられるなら、リーダーは何もすべき

ではない。

エリザベス一世はドラマチックな生まれで、一か八かのアルマダ

戦いに象徴されるような波乱万丈の生涯を送っていますが、実はこ

アントニウス・ピウス型のリーダーだったような気がします。

p235

 

ナポレオン三世の二十年にわたる政治に一貫しているのは、「国民主

権+帝政+社会主義」をミックスした皇帝民主主義です。この三要素

はそれぞれ少しずつ相矛盾するものですが、それを懸命に何とかまと

めて実現しようとした。彼の一筋縄ではいかない複雑な性格とも相ま

って評価が割れるところですが、素直に業績を眺めれば、近代的な知

性を持ったひとりの立派な政治家ではなかったか。

そして何よりも、今に残るあの美しいパリの街を作った、その一点

だけでもナポレオン三世を評価していいと私は思うのです。 P286

 

3.私の感想

アントニウス・ピウス、エリザベス一世の「何もしなくても市民

おいしいご飯を食べられるなら、リーダーは何もすべきではない。」

について、ひとこと。

「実績主義」とか「話題性」を突き詰めていくと、要は「目立って」

「印象に残る」ということでしょう。

私がキライな言葉ですが「体よくアピールする」ということでしょ

う。

むろん現実にには「アピール」は重要。

米国大統領選に限らず、選挙は有権者に「アピール」しないと、始ま

らない。マスメディアは、目立つ、関心を引くニュースを中心にしな

いと商売にならない。

「歴史が評価する」というとかっこいいですが、一般人は、現世であ

る程度評価されないと、ご飯が食べられません。厳しい現実です。 

 

今週のお題「運動不足」若いころは問題なし。最近はもっぱらウォーキングにて問題解消。

今週のお題は「運動不足」です。

はて、私は運動不足なのだろうか、仮に運動不足だとして

何が問題なのかと、と改めて考えてみました。

1.運動不足が心身に及ぼす影響

(1)サイトを参照すると、運動不足が心身に及ぼす影響として

一般論ですが以下の記載がありました。

基礎代謝の低下のよる肥満

 

生活習慣病リスクが高まる

うつ病など精神疾患

④仕事の効率低下  

この4点を指摘していました。

(2)③の精神に与える影響がよくわからなかったのですが

 「自律神経系の働きを阻害されるとホルモンバランスが乱れ

、気持ちが不安定になる」との説明がありました。

私見ですが、運動による「気晴らし」や、「時的な気分転換」、

というのもあるでしょう。

私は若いころ、サイクリングを少しやっていて「複雑な思考を

追い出す」効用は、精神的にいいのでは、と思います。

サイクリングの途中に風景を眺めたり、地図を読んだりはしま

すが、通常の「歩いているとき」とは全く違って複雑な思考は

できず、「ひらめく」こともありませんでした。

ひたすらべダルを漕いでいたような気がします。

こういう体験れ、激しい運動系には、あるでしょう。

その運動に集中しないと、肉体的に危険ということは詰まり「他の

思考」を頭から一時的に排除することになります。

(3)④の仕事の効率低下について

「長時間同じ姿勢のままだと、筋肉が固まって血行が悪化し、

肩や足腰の痛みやストレスによって集中力が続かず、仕事効率低下」

との説明。

その通りかと思うのですが、少し脱線します。

疲れにくくして使途と効率低下を防ぐには

ある程度、筋肉量を増やすべき、と思います。

もちろん、年齢、性別、本人の体質等々個人差がありますし、他人

と比較する問題ではありません。

単に、筋肉を増やさないと、すぐ疲れる,肩こりが起こりやすく

なると、私が感じているだけです。

 

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やや早めに歩くことも運動不足解消の手法

2.運動不足を解消するためのポイント

答えは、「適度な運動」を実践するに尽きます。

問題は、「人によって適切な運動量は異なる」ということです。

成長期の子供ならいざ知らず、一定年齢を超えると「その人に

とっての適切 な運動量」は、変わってくるはずで、その把握が

何より必要でしょう。

具体的になにをやるの?について、

挙げていたのは、

「これから運動を始めるという方は、次の運動量を目安に、無理

なく取り組めるボリュームとなるよう調整、疲れすぎず、軽く

汗ばむ程度」とあります 

  • 今までより1,000歩多く歩いてみる
  • 1回30分の運動に週2~3回取り組む
  • ストレス解消が目的なら、1日15分のエクササイズを毎日継続

事例として挙げていました。

 

3.自分自身の対応

(1)いつまでが「若く」て、いつからが「若くない」かの基準

は置いといて「若い」うちは、運動不足はあまりいなくて「他の

思考を追い出す」的な激しい運動もしていました。

子供から高校生のころまでの、ソフトボールハンドボール

ラグビー等の球技や、ある程度の年齢まで経験した、「うまくは

ないスキー」等は、集中しないと危険ですらありますから、

「他の思考を追い出す」典型ですよね。

つまり、私にとって「若いうち」の「運動不足」は、あまりな

かったようです。

(2)「若くなく」なってきてから、もっぱら「基礎代謝

低下を運動によってカバーする」ような方向です。

手段はウォーキング。イラストにあるような「早歩き」もす

れば、考えるため「ひらめく」ための「そぞろ歩き」もします。

歩き方は変えますが、自宅から最寄りの駅まで、歩いている

ことが多く、最低限の運動はしているといえます。

「スイミング」は、やや毛色が違います。

「泳ぐことの負荷」は歩くこととは数段違います。

水に入ると「外と隔絶した世界」を感じることもできます。

泳ぎ方で、「考えを引き出す、整理する」ために使う場合と

「他の思考を追い出す、無心になる」場合と、使い分けが

できます。

(3)最後に蛇足。

歩くといえば、地方都市のライフスタイルは、私にはやや

びっくり。

地方というのは地元の熊本県の各地、以前の仕事がらみで

よくいった、新潟、栃木、群馬、岐阜の都市部ですが、いず

れも、ほんの少しの移動にも「車」、まさに「くるま社会」

であり、デイリーでは私より歩いていない方がほとんどでした。