中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

民族という虚構(読書感想文もどき)虚構であることを認識し、虚構を通して「生」を得る

民族という虚構

著者       小坂井敏晶/著  

出版者    筑摩書房 2011.5

文献あり 索引あり

書誌注記              初版:東京大学出版会2002年刊

1.概要 

我々が当然視している「民族」という概念を文化、記憶、歴史、

政治など様々な視点から分析して、それが「虚構」に過ぎないと

説いています。

民族は虚構ですが、その虚構を通して、人間は「生」を得ること

になります。虚構以外に「生」はありえず、虚構を消して置き、

人間同士の関係性を合理化していった結果残るのは決定論的な、

時間のない、意味のない世界となります。

矛盾を妥協的に解消するのではなく、逆に矛盾をもっと先鋭化

することによりより満足な解答が生まれないか、模索している

ように見えます。 

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小坂井さん著書もこの本棚イラスト

2.本文からの引用

第1章 民族の虚構性

境界が曖昧になればなるほど、境界を保つための差別化ベクトルがよ

り強く働く。人種差別は特異性の問題ではない。

その反対に同質性の問題である。差異という与件を原因とするのでは

なく、同質を差異化する運動のことなのであり、客観的な距離が問題

なのではない。

対人関係あるいは対集団関係における距離というものは、もともと社

会心理学的な過程で生み出される現象だ。P044

 

民族は共通の祖先から派生し、血縁を通して連続性が保たれると一般

に了解されている。したがって我々の次なる考察の焦点は、民族が時

間を超えて自己同一性を維持するという通念に定めなければならな

い。 P44

 

第2章 民族同一性のからくり

フランス・ドイツ・イタリア・日本といって諸国は、初めから単一民

族で構成されていたのではない。反対に、内部での政治的統一が可能

であったために、一つの民族という表象が後ほどできあがったのであ

る。

イスラエルの場合も、身体・文化・宗教・政治信条など非常に異なる

人々が集まっている。しかし、神に選ばれた民族だという虚構、そし

て歴史的に迫害を受け、敵対するアラブ諸国に現在も包囲され、外部

が常に意識される状況に支えられて、単一民族という表象が継続して

いる。P69

 

文化は必ず変遷する。太古から続く伝統などというものは、たいてい

が後の時代になって脚色された虚構だ。  P79

 

虚構の物語を無意識に作成し、断続的現象群を常に同一化する運動が

なければ、連続性は我々の前に現れない。民族の記憶や文化と呼ばれ

る表象群は常に変遷し、一瞬たりとも同一性を保っていない。したが

って、結局のところ我々が問題にすべきは、手段的同一性がどのよう

に変化するかではなく、虚構の物語として集団同一性がかく瞬間事ご

とに構成・再構成されるプロセスの解明だ。  P88

 

第3章 虚構と現実

 この章で展開した主張は次の3点

①虚構は信じられることにより現実の力を生み出す

②虚構と現実は不可分に結びつき、虚構に支えられない現実は存在

しない

③虚構が現実として機能するためには、世界を構成する人間自身に

対して虚構の仕組みが隠蔽される必要がある。

 

第4章 物語としての記憶

この章では、民族同一性を根本から支えている記憶の働きをいろいろ

な角度から検討し、記憶は単なる経験の積み重ねではなく、次第に構

成される虚構の物語として理解すべきだと説いた。しかし、記憶の虚

構性を明らかにした目的は、我々の同一性を支える記憶の脆さ。その

根拠の薄弱さを告発し、単に世界を相対化することではない。

それどころが、そのような虚構を消極的にとらえる発想を退け、世界

の同一性と変化とを同時に可能とする源泉として、積極的な角度から

虚構を把握すべく、ここまで務めてきたのだった。  P174

 

第5章 共同体の絆

この章では、集団責任が依存する論理の検討から始め、共同体の絆は

契約のような合理的発想では説明できないことを明らかにした。

個人を集めたときに、単なる集合ができるのではなく、構成員が有機

的に結びつけられた集団が発生するためには、何らかの虚構の助けが

必要になる。したがって、虚構を完全に排除し、社会秩序を合理的に

うち立てようとする企画は不可能なだけでなく、その無理な強行がい

かに危険であるかを説いた。P220

 

第6章 開かれた共同体概念を求めて

 民族は虚構の物語だと一貫して主張してきた。個人心理の機能から社

会秩序成立の過程まで、あらゆる次元において虚構が絡み合って人間

生活は可能になっている。しかし、人間生活の虚構性を繰り返して確

認したのは、虚構から目を覚まして自由な存在として生きよというた

めではなかった。

逆に、人間の生にとって虚構がいかに大切な機能を果たすかを説いた

のだった。  P281

 

あるいはこう言ってもいいだろう。もし文化と時代を超えて人間存在

を貫く本質があるとすれば、それはまさしく、本質と呼ぶべき内容が

人間には備わっていないということにほかならない、と。 P283

 

3.私の理解の範囲での感想

 今回も手ごわかった。理解できたという自信には乏しい。

直近立て続けに、小坂井さんの肉声をyoutubeで聞き、著作を三冊

程、読んだ。少しわかりかけてきた感もある。

自分がいつも『当たり前』と思っている社会秩序が「虚構」であり、

その「虚構」無しでは生きられないことは、私の勝手理解の仏教の

「空」に通じるものを感じています。

私は、このブログの節々に自分の「諦観」を書いています。

虚構の考え方が、諦観をまた、支援するように、思えてならないので

す。 

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情報があふれる社会 結局多数決が最善? 現時点では仕方ない

1.現代社会は情報があふれる

世界的規模で、特に、この10年くらいかと、思っています。

大げさに言うと、歴史上の転換点のような気がします。

最も、後々の世界は私が生きているわけでないので、検証

しようにもできませんが・・・・

 

「情報化社会」といわれてきたのが、この30年くらいでしょうか。

若い私なりに、本を読み、人の話を聞き、考えてきましたが、

技術革新を前提に、誰もが雑多な情報を、非常に低コストで発信

できるようになったのは、やはりこの10年くらいでしょうか。

いわいるSNS情報が、世界中を席巻していますよね。

「情報過多」「情報を消化できない」とjは、かなり昔から言わ

れていましたが、まさに今、全世界的に起こっているように思い

ます。

 

2.人間の能力の限界 

もち論人間の能力はこの2万年くらい変わってない、と言われます。

ドメスティケーション依頼、脳の大きさも、喜怒哀楽の感情も、変わ

っていません。

確かに、技術革新により、道具は進歩し、情報伝達手段は画期的に変

わりました。

しかし、人間の情報処理能力自体は、変わっていません。

 有限な時間のなかで、処理できる情報は限られています。

歴史の流れ亜とともに、暴力が減り、寿命が延び、強制的労働時間が

減り自由な時間、余裕のある時間が増えたことは、事実でしょうが、

インプットされる情報量自体は限界値に近い気がしています。

問題は、情報を理解し、意思疎通を取る足「共通基盤」が脆弱化,

消滅化をたどっているように思います。

共通の情報基盤があった卑近な例を2つほどあげましょう。

 ①旧制高校のエリートは(理解度は置いといて)共通の古典を原書で

読んでいました。何とか「話を合わせる」ことができました。

②50年前の日本の普通の小学生は、大可方同じ時間に夜のTV番組を

見ており翌日の学校で、「話が合う」ことになります。

「歌謡曲」も同じようなのを聞いていたのでは?

現在は違います。

TVで情報を得る人、書籍で得る人、SNSで得る人様々であり、

しかもTVも書籍もSNSの内容も様々。

「共通点」を鞭けることが難しい、くらいです。 

人間は、自分の見たいもの、聞きたいものに特化する傾向があります。

異なる意見を受け入れるのは、とても難しい

「分断」という言葉が、全世界的に通用しているようです。

その分断は、益々拡大しているように、私見では思います。

もうしばらくすると、米国の大統領選挙です。

共和党民主党の主張やそれを支持する見解人々の鼓動を見るに

まさに、「自分の見たいもの、聞きたいものに特化する傾向」を感じ

ます。

異なる、意見wおs通訳されてみょり高みに、という感じではありま

せん。

ずっと、折り合わず、自己の主張を繰り返す、ことでしょう。 

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多数決は、「優れた制度」とは思わないが、「代替手段がない制度」

3.意思決定の手法

とはいえ、社会を維持していくうえで、何らかの決断を、常に行い、

強制力を持って、実行していくことが必要。

何かの意思決定において、「絶対的真理」に行きつくことは無理で、

というかそもそも、「絶対的真理」は存在していないので、神や全知

全能を聞いたする方が不可能。

勢い全体主義的意思決定か、民主的意思決定に集約されそうです。

全体主義的な意思決定は。反体勢力の「抑え込み」へのコストが、

かかります。そのコストがどれくらいかによって、体制維持の強固さ

の度合いが決まる気がします。

 

4.多数決のコスト

結局民主制に代わる、マシな政治体制は、今までで構築できていない

ようですが、民主制の一翼わ担う「多数決」というのが、これまた厄

介な制度。

つまり、「多数決」制度も問題だらけ。

投票しようとする、母集団は、確り定義されているのか。

投票の手続き、手法は、正しいのか、不正はないのか?

そもそも、登用しようとする対象、内容をよく理解しているのか。

心配ごとを挙げていくと、枚挙にいとまないが、しかたありません。

 

5.結論めきますが

 本日言いたかったことも、実は単純なこと。

自由主義、民主主義という体制では、情報が取りやすくなってい

て、雑多な膨大な情報が入る。

②人間の能力では、その情報を適切に消化できなくなってきている。

③とはいえ社会維持のために、意志決定は必要で、厄介な問題は、多

いが民主的な「多数決」に代わる手法が、現時点ではなさそう。

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その13」 今回もまた多数紹介

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敗戦記「その13」も同じイラスト

本年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」

というのをアップしていますが、今回13回目です。

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 

読者への何らかの参考となればと・・・

  1.モンゴル帝国誕生

チンギス・カンの都を掘る

著者       白石典之/著    出版者    講談社 2017.6

「モンゴルもの」は、割とよく読みます。

本書は、長年の精緻な現地調査を踏まえたもの。

時代の流れで西側学者が、思考と腕力を振るえるのは、いいこと。

私が気に入っているのは、下記の文章。

 モンゴルを含む北アジア地域では、11世紀後半に轡と鐙に大きな

 変化があった。

 チンギスはこれらの先進技術を活用して、馬具の軽量化を図り軽装

 騎兵を生み出した。軽量化自体は他のモンゴルの軍団でも見られた

 ことだが、チンギスの巧みさは軽量化と鉄器生産技術をリンクさせ

 たことだった。そして鉄器の安定生産を支えるため交通インフラ

  の整備に努めた。

馬・鉄・道」の3者を戦略的に選択し、経営資源をその3点に集中

 したのだ。

 

2.劇場

又吉直樹/著   出版者    新潮社 2019.9

実は「敗戦気その11」で、又吉さんの「火花」を取り上げてい

ます。

「文芸評論家の小川榮太郎氏が、現代作家として又吉直樹氏を

高く評価しており、ベストセラー小説など、手に取らない私が、

読んでみました。

ほんとに彼の評価が固まるのは、私が死んだ後かもしれませんが、

それは、解りません。」と、その際書いています。

当該「劇場」は「火花」より、前の作品。

正確には、「着手」が前で、「完成」は花火より後のようです。

現代の「貧乏」の状態が、よくわかります。

あらすじは以下の通り。

 劇団を旗揚げした永田と大学生の沙希。公演が酷評され、まま

 ならない日々を送る永田にとって、自分を信じてくれる沙希の

 笑顔だけが救いだった-。理想と現実の狭間でもがきつつ、か

 けがえのない誰かを思う、不器用な恋の物語。

 

3.未来の自分に出会える古書店

齋藤孝/著   出版者    文藝春秋 2020.8

進路、受験、友情…。迷った時にこの一冊

斎藤さんは大学教授ですが、般向け読書論や自己啓発書を

たくさん書いています。

「声に出して読みたい日本語」は、よく読まれたと思います。

本書は、 中2と高2の兄弟が古書店「人生堂」の店主に導かれ、

読書を通じて成長していく姿を、小説スタイルで描いており、

斎藤さんとしては、初めての企画です。

8章立てで、各章ごとに3から4冊紹介しています。

今までの私と毛色違って、ココ・シャネルに言葉を一つ紹介し

ます。

「美しい生地はそれじたいで美しいが、ドレスに金をかけると、

かけただけ貧しくなる。装飾をはぎ取って簡素にすることをみじめな

ことだと勘違いしているのだ。(それにしても他人に剥ぎ取られるぐ

らいなら、自分で剥ぎ取ったほうがましね。)」 P193

 

4.イスラム国の反乱 ISISと新スンニ革命

原タイトル:The jihadis return

パトリック・コバーン/著  

大沼安史/訳   出版者    緑風出版 2015.4

イスラム国の勃興。何が起きているのか? 何が起ころうとしている

のか?英国高級紙『インディペンデント』特派員として、1979年から

中東で現地取材を続ける著者による、イスラム国の最新緊急現地報告

です。

こういった、歴史を住まえた、確りした現地報告を読むことが、頭の

整理となります。しかし2015年4月刊行。イスラム国がまだ広大な領

地を支配しているころ、米国の登場人物はオバマとバイデンです。

時は流れ、2019時点では、ISISはほぼ壊滅状態、米国の登場人物は、

トランプとポンぺイオです。

2020年8月には、イスラエルUAE,オマーンとの国交回復と、中東も

また、大きく動いています。

未来は誰にも分りませんが、一冊の書籍で整理した「考え方の軸」を

持つことは、大切です。

 

5. ペストの記憶

ダニエル・デフォー/著  

武田将明/訳  

出版者    研究社 2017.9

ロビンソン・クルーソーを書いた、ダニエル・デフォーの作品とは、

実は知りませんでした。

ロンドンで約10万人の死者を出した、17世紀のペスト大流行の詳細

を、当時の公的文書や個人の記録などを基に再現した、伝染病の爆発

的流行や、都市型災害の勃発に関する貴重なドキュメントです。

ほかのところでも何度も書いていますが、「人間か考えること、行動

する原理は、今も昔も変わらない」ことを、再認識させられます。 


 

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子供の写真は、『特定の人、親(ないし実質的に育てた人)』にだけ意味を持つ話。

1.一枚の子供の写真

ある事象が、特定の人にだけ意味があり、ほとんどに人には無意味

ということはあります。

タイトルにあげたような、自分の子供の写真がその典型でしょう。

 宗教の話はしません。宗教が生活の一部どころか、宗教が支配する

人生観に基づいて、生きる子こそ、本来雄型と、思う人は、世界で

現在でも多数いるでしょう。多くの日本人は、明治時代に出てきて

ダーウィンの進化論頭ごなしに否定する人は少ないでしょうし、

「世界は神が、一人で作った」と思う人のほうが少数派でしょう。

kの部分には、今日は触れません。

一枚の子供の写真を眺めているうち、数年前、数十年前の、リアルな

記憶がよみがえってくる、という話です

 

2.親として生きてきた証

(1) 子供が生まれたばかりの時期から、子育て真っ最中の方には、

なかなか解らない世界ですが、月日がたち、「親離れ」「「子離れ」

する時期になると、子供との過去の関係が何となく、見えてきます。

 (2)さて、ここで、前提を少し整理しておきます。。

ここで、「子供の写真」とは、プリントアウトした、紙製のカラー写

真です。デジタル情報ではありません。 また動画のビデオではあり

ません。

今の若い世代には、動画や静止画問わずPCやスマホの中で、自分の子

供が踊っているかもしれませんが私の子育て時代は、上記のような、

プリントした紙です。

(3)さて、子供が社会人といわれる年齢になり、彼が幼少だったこ

ろの写真を見ると、「親ばか」で「昔はかわいかった」と思います。

ココまでは、一般的な話です。

 

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「子供の写真」イラストとですが、男子幼稚園児にしました。

(4)年よりじみた結論になりますが

写真をじっと眺めていると、当時の生活環境、苦しかった、楽しかっ

ことが次々湧いてきます。写真の背景にも、妙に感じ入ることになり

ます。

つまり、被写体は子供ですが、その写真は親の「怨念」や「当時の感

情」を閉じ込めたもの、なのです。

昔仕事上にある先輩が、よく言ってていました。

自宅が火事になったとき何を一番に守りたいか。物さんでも現金でも

ありません。

子供の写真が入ったアルバム・・・・・

まさに、現実に不要の中心となった特定にヒトだけに、意味を成すも

のです。例えば子供のとなりに若い頃の自分が写っています。髪は真

っ黒なるほど若い。でも自分に関心がいくのはそこまで。

写真全体から当時の生活環境がが思い出され、記憶が再生産されま

す。つまり、写真を通じて、見えないものを見ています。

おっと、若くて美しい奥さんがが移っていたら、お付きでなく、それ

は素直に称賛しなけれなりませんね。トラブル回避です。

 (5)結局、子供をダシに、過去の自分の生き様を反映、投影してい

るのですね。

写真の本人である、子供にとっては、特に感動を呼ぶものではありま

せん。これは時間をズラスと、よく解ります。

自分を子供に据えて、昔の写真があったとします。

それは、自分の父親、母親にとっての宝であって、大方の人は、自分

自身の子供のころの写真をみて、感慨に浸ることはありません。

(ヒト様々ですから、反論もおありでしょうが・・・)

当たり前です。

その時闘ってきたのは、自分ではないのは、父母もしくは生活を支え

てくれた保護者のはず。

物写真の裏に、まに見えない当時の社会環境、生活環境をみている

のです。

 (6)脱線を少し

生活環境変化はじめ諸般のの事情により、50年前比較して現在の30

代、40代のお母さんは、ずっと生理的に若いですね。

見ず知らずの女性を捕まえて、ある女性が60代前半として、彼女に

「おばあさん」と言ったが大概の女性が立腹するでしょう。

話を戻しますが、50年前の田舎で、私が知る限り特に60代後半といえ

ば、まぎれもまく「おばあさん」でした。

 (7)さて、当時を思い出したと、現実にもどると

 「こんなはずじゃなかった」、という感情が湧いてきます。

 程度の差はあれ、親と言う立場のヒト多く感じることでしょう。

そういった感情が全く沸かない、人生すべて予定通り、という方も

いらっしゃるかもしれませんが・・・

(8) 話を飛躍させますが、

古今東西、各地域にある「子供の祝い事」は

『よく、事故、病気、諸般の災難に負けず、よくぞ生きてここまで成

長した。これは実におめでたい』という子供本人の祝いと同時に、

それを支えた、親や、保護やに対する「ご苦労様」といったねぎらい

に、感じられてならないのです。

自由がある程度保証されている「マシな世界」に生きています。全体主義は避けたい。

今日も暗い話です。

特定書籍引用から、考えた私見でなく、平時ツラツラ考えていること
を少しまとめます。とはいえ、今日書くことは、単純で、
①時代や地域を超えて永続する「絶対的真実」は存在しない
②正しいほう、正義が勝つのではなくて、逆に「勝った方が正しい」
③反対意見を抹殺しないで生かして置ける時代になった。
④反対意見も取り入れ、先に進むことがまれで、通常非難の応酬
 品の佐々は、目を覆わんばかり。
全体主義共産主義や過激な宗教的排除を含む)がたくさんの人
を殺してきた。
⑥自由と民主主義は、やはり「ましな制度」、「ましな世界」かと
思う。 

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相手を認める寛容さが必要
 
以下逐次言葉を補足していきます。
1.「絶対的真実」は存在しない
 最近(といっても少しまえ)小坂井敏晶さんの本をいくつが再読して
いて「虚構の考え方」が、頭の一部を占めています。
換骨奪胎気味に拝借して、私の言葉とすると
「近代社会秋では、は死んだ。絶対的真理は、存在しない。
 生身の人間が、それぞれ価値観を持って、対立し争う世界」
そこには、勝ち負け100%から、妥協産物まで、いろんな流れがある。
 
2.勝った方が、正しい。
これは、言葉を補うまでもなく、古今東西の歴史を見れば明白。
時の支配者・権力者は、自分が絶対であり、往々にして過去を否
定して、自分を権威づける。
 
3.反対意見でも生きていける
今の日本がそうでしょう。
時に為政者・権力者に反対意見でも、生きていけますよね。
いわいる自由主義、民衆主義といわれる国家では野党勢力
反体制的勢力があり、なんとか抹殺されずに、生きています。 
 
4.反対意見には避難の応酬
とはいえ、私みたいな「一般人」に情報が入らないのは事実です。
割と情報あり、と思える米国大統領選挙を例にとります。
・米国大統領選における共和党民主党それぞれの選挙活動は、
主義主張は大きく分かれ、「妥協点」が少ない。
メディアは、報道倫理や「中立性」は感じられず、こちらも見解
相違が大きく、意見が割れている。
たとえば共和党候補で現職のトランプ大統領の、ある集会での演説
内容という一つの事実があります。しかしならがCNNとフォック
スで正反対といえるくらいの、報道です。協調すべき点がずれてい
るし、論評スタンスも論量も全く違います。
私の感覚からすると「品がない」という日本語が適切に感じること
も多々あります。
 
(蛇足的に、日本の野党国会議員の発言を載せます) 
与党悲観は「仕事」ですから当然ですが、
「ほかの政党の考え方を無視して突っ走ろうとするならば、
一戦交える」いう見解と、「国会の審議には応じられない」
という考えが、並列して書いてありました。
私には奇異に感じる。
「一戦交える」というのは、政治家だから、武器を取っての
戦争でなく議論することであり、「審議に応じない」ことと
は矛盾することのように思います。
 
5.全体主義国家の話
全体主義は、反対意見を認めないから、相手を「矯正」できない
とすれば 必然的に「抹殺」することになります。
 ヒトラースターリン毛沢東・・・本当にたくさん殺してきた。
国民人口比率からすると、カンボジアポルポト北朝鮮金日成
親子三代、等もすぐに浮かびます。ルーマニアのチャウチェスクも
いましたね
私が知らない同様の事例はおそらく山ほど、あるでしょう。
世界中にありそう。しかも現在進行形で。
 
6.自由世界は、「ましな制度」「ましな世界」
英国のチャーチルは、民主主義は最低の政治制度
ただし、これまで試された政治形態を除けば、といったそうです。 
つまり、我々は、
自由と民主主義以上の精度を、生み出していないのでしょう。
  
典型、選挙、裁判、法律学等に限らず、「正解」というものはなく、
それでも、どちらか決め打ちで決断し、妥協することもあるし、
相対的敗者も生き残ることができる。
人言はみないい加減なもの、人は自分が見たいものしか見ないし、
あらかじめ、結論が決まっていて、自分の気に入った、自分の考え
にそった主張、書籍、記事を探す。
とはいえ、それが抹殺されないのは、いいことだと思います。
 
世の中、うまくいかなくて当たり前、楽観的でいようといくら
考えても、思想、信条のために生命が脅かされるのは、よろ
しくない。 
まあ、私は自由がある程度保証されている「ましな世界」に生き
て居られることを幸福だと、感じるようにしています。

責任という虚構(読書感想文もどき) 責任という現象の構造・意味は何か

責任という虚構

小坂井敏晶/著  

出版者    筑摩書房 2020.1

1.概要

責任という現象の構造・意味は何か。自由意志によって行為がなされ

るという常識を斥け、この知見を背景にホロコースト、死刑制度、冤

罪を考察。

道徳や社会秩序の根拠がどのように生成されるかを検討しています。

補考の部分が、文庫化に際し充実されています。

 

先日「神の亡霊」でも以下を書きました。 

小坂井敏晶さんについては、かつて

社会心理学講義」や「答えのない世界を生きる」を、ゆっくり

読みましたが、消化不良は続いています。

正直、私にはとても難しい。

最近、「教育という名の虚構」をyoutubeで聞きました。

https://www.youtube.com/watch?v=7jlqCjHi8Yo

 難しい、消化不良であっても、惹かれる著者はいます。

まさに、彼がその一人。

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この種類のお気に入りは、この本棚イラスト

2.本文からの引用

 責任の正体に迫るためには、自由に関する我々の常識をまず改めな

ければならない。近代的道徳観や刑法理念においては、自由意志の

もとになされた行為だから責任を負うと考えられているが、この出

発点にすでに誤りがある。実は自由と責任の関係は理論が逆立ちし

ている。

自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけ

なければならないから、つまり事件のけじめをつける必要がある

から行為者を自由だと社会が宣言するのである。

自由は責任のための必要条件でなく逆に、因果論で責任概念を定立

する結果、理論的に要請される社会的虚構に他ならない。 P245

 

どうして犯罪が生じるのかと嘆く時、悪い結果は悪い原因が引き起

こすという暗黙の了解がある。社会の機能がどこかくるっているか

ら犯罪が生じると考えやすい。

だが、この常識は発送の出発点から間違っている。

犯罪のない社会は論理的にあり得ない。悪の存在しない社会とは、

すべての人々が同じ価値観胃染まって同じ行動をとる全体主義

社会だ。つまり犯罪のない社会とは理想郷どころか、ジョージ・

オーウェル『1984年』が描くような人間の精神が完全に

管理される世界に他ならない。 P260

 

(責任の正体について)

民主の怒りや悲しみを鎮め、社会秩序を回復するために犯罪を

破棄しなければならない。しかし犯罪はすでに起きてしまった

ので、犯罪自体を無に帰すことは不可能だ。そこで犯罪を象徴

する対象が選ばれ、このシンボル破棄の儀式を通して秩序が回

復される。責任という社会装置が機能する順序をフォーコネは

こう分析した。  P294

 

死刑を望む本当の理由は、犯罪によって乱された社会秩序を再

び取り戻すために、犯罪行為のシンボルとして受刑者を世界か

ら抹殺する必要があるからだ。勝手に自殺しないように死刑囚

は厳重な監視下に置かれる。 P311

 

人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外的な存在

となる。共同体の誰に対しても権力者さえも手の届かない<外部>

だからこそ、社会制度が安定する。無根拠で偶然の産物に過ぎな

いのに、あたかも根拠に支えられたかのように機能する。つまり誰

にも自由にならない状態ができるおかげで、社会秩序は誰かが勝手

に捏造したものでなく普遍的価値を体現するという感覚が生まれる。

 P335

 

共同体の<外部>に投影されるブラックボックスを援用せずには社

会秩序を根拠づけられない。社会秩序は自己の内部に根拠を持ちえ

ず、<外部>虚構に支えられなければ成立しない。

それだけではない。

虚構のおかげで社会秩序が機能する事実そのものが人間の意識に隠さ

れなければ、社会秩序が正当なものとして我々の前に現れない。P344

 

神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける<外部>

は生み出され続ける。虚構のない正解に人間は生きられない。

P371

 

世界の根拠を定立する方向は3つしかない

①禅やプラトンイデアのような精神的実体を究極的原因と

して想定

ラプラス決定論のように、現在の世界秩序を物質的初期

条件へと還元する

究極的原因という概念自体を否定しながら世界の根拠を

解明する第三の道

 

人間はどう生きるべきか、責任・刑罰体系はどうあるべきか

という規範的考察を避け、人間は実際どう生きているか、社

会はどう機能しているか、責任という現象の構造・意味は何か

という記述的態度を本書は一貫して採った。

責任はどうあるべきかという問いから逃げたのではない。この

問いに究極的な答えは存在しない。社会・文化・歴史条件に

拘束されながら、私たちにはこの答えが正しいと思われると

いう以外に、この問いに答えなない。 P387

 

人間の相互作用から集団現象は必ず遊離し、そこに虚構が生

まれる。無根拠性・恣意性は必然的に隠ぺいされる。P387

 

3.私の理解の範囲での感想

 今回も手ごわかった。理解できたという自信には乏しい。

 はるか昔の大学の法学部での刑法講義依頼、責任現象について、

真剣に考えたのかもしれません。

 上位気に引用していますが、

「人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外的な存在

となる。共同体の誰に対しても権力者さえも手の届かない<外部>

だからこそ、社会制度が安定する。」

という部分が、今の私にはしっくりきます。

どんな人間に対して外的な存在たる秩序は、それなりにに堅固なの

でしょう。もし、その秩序を全面的に壊しうる存在とは、いったい

何だろうと、考えているところです。 

 

不安対応再論:昔も現代も不安は同じくらい。思い付き私見処方箋

Ⅰ.いつの時代も「不安」は同じ
今年の7月末にこのブログで「いつの時代も不安は同じくらい」との
趣旨を書いています。
要約しますと、
1.権威があるもの、昔は権威があったもの
(1)理科系のノーベル3賞(物理学、化学、生理学・医学)は、
まだまだ「権威」があり。
(2)一方時代ともに、「権威」からずれ落ちたものも多々あり
戦後すぐの輝かしい「国際機関」のイメージから最近は輪をかけて
WHO(国際保健機構)はもうさんざん悪口言われるし、ユネスコ
評判も怪しいものですよね。 
(3)かつて国連職員になって「国際公務員」になると、「地方
公務員」より、カッコイイような、雰囲気。
いまは、「権威からずり落ち」のイメージです。
 
 

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不安な心理状態です

2.変わるもの、変わらないもの
(1)大日本帝国憲法と、日本国憲法は、いろんな点で共通点が多い
年を経て、社会についていろいろ学んでくると、基本的な社会経済
制度が戦前戦後といっても、あまり変わってない面多々あると、
気付く。
 (2) スティーブン・ピンカーの著書
「暴力の人類史」や「21世紀の啓蒙」を読んでいると、確かに暴力
は減り、衛生状態は良くなり、死亡は減ったと実感します。
(3)しかし個々人の持つ心理面、不安の総量はどうでしょうか?
これまで不変と思っていた権威はくずれ、精神的に拠って立
つべきところが、なかなか見つからない。
「安心、安定を得るところがない」
不安の対象と、考えていることは多種多様でしょうし、各自の頭
の中で刻々と変わるものかもしれませんが
不安の総量は昔も今も変わらない。
「人間気の持ちようだよ」といっえしまえばそうですが、割り切り
は難しい。
「飢餓、弾圧、衛生上から来る死の恐怖」から発する不安が減った
ら、人はすぐ別の不安が心を満たすのでしょう。
人間が変わらない以上、未来もこの不安の総量自体は、変わらない
思います。
 
Ⅱ.どうやって不安解消?
(1)ここでの結論は、「人間である以上、不安が解消することは
ない。不安とともにずっと生きていく」ということです。
やはり、あきらめ、というか開き直りでしょうか。
まずは、飢餓、弾圧、衛生上の死の恐怖がなくてありがたいと思い
生きていれば、常に何らかの問題が生じ不安のネタが生じるのは
仕方ないと開き直り、日々を過ごしていく。
それが、無難な、気がします。
 
(2)長い長い要約となりました。
わずか数が月前に書いたことであり、変更事項はありません。
本日は、不安解消の具体的処方箋について、上記に切れ切れに
書いたことも含めて、少し整理してみます。
①不安を紛らわせる
これが、一番現実的でしょう。
正常な判断力を、一時緩和ないし、停止させること
一時的にしろ、解消します。
投薬にしても、アルコールにしても、自分の心身、周りとの人間
関係に悪い影響を与えるリスクはあります。
マルクスが言うように「宗教はアヘン」かどうかは、分かりませ
んが宗教は、一つの強固なに価値観を与えて不安を紛らわせる効果
はありそうです。
②もっと大きな別の不安で満たす。
これは意図的に出来るか否か、意志力の問題だ、というより、結果
としてそうなった場合が多いように感じます。
より切羽詰まった状況に変化し、従来の不安が相対的に小さなモノ
になり、いま前面にある不安が、とってかわった状態。
③時間が解決してくれる。
何もやっていないといっても、生きている以上何か考えているわけ
で時間の経過で、自然治癒、不安が解消されていることが、あり
ます。上記②同様に、別の不安に取って変わっただけ、というのも
あります。
④自己肯定による、慰め
自分なりに、頑張っているからいじゃないが。
これ以上は自分は頑張れない、頑張れるとしたら別の人格だ。
あくまで、自暴自棄を避け、自己肯定帝をベースに不安を解消する
手法。
 ⑤諦観
人生、どうあがいたところで、なるようにしかならない。
そもそも、自分の人生は、客観的には存在しないもの、つまり「空」
であり、今自分が見えている世界も実体のない「空」である。
悩んでいること時代が、無意味である。 
⑥無理やり楽観
先を心配してどうなる。すくなくとも、今生き永らえているから
それで、いいじゃないか。今日食べるものがあり、住む場所がある
ことだけですばらしい。
悩んでも、悩まなくても、結果が同じであれば、悩まない方が人生
楽しいし、得だろう。 
 
Ⅲ.最後に
私見による処方箋」とは、大それたタイトルにし、思うままにツラ
ツラ書いてきました。
①から⑥の区分方法がおかしい、重複、結局同じことを言っている
等々の、批判は多々あるでしょう。
一つ言えるのは、不安に思うのも、解消しようとするのも、極めて
主観的なものだ、ということでしょう。