中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

WHOはなぜ統一基準策定に動かないのかな? 当方の対応は冷静・論理・比較 これは基本でしょ?

1.また新型コロナに対する私見

新型コロナで、マスメディアの大騒ぎは、長く続いてますね。

「これに対応して」、ではないですが、2月後半くらいから、私も時々

このブログでコメントしています。直近では、

先日11月19日に、PCR検査の陽性基準について触れ、

本来の感染者、重傷者を対応するのが、医療の趣旨でしょうから、

 素人ながら、「30~35程度が適正だ」と思います。

 PCR信仰が消えない日本で、台湾並みに、した方が「PCR

陽性者」はより正確な情報になるかと思います。

 PCR検査の陽性基準を、リポートしない不思議さ これをもっと国民に知らせるべきでは? - 中高年michiのサバイバル日記

 

2.ネット上には様々な見解あり

「いわいるマスメディア」報道には、私は首をかしげる点が多いのですが

ネットでのコメントを見ていると、私と「同様に感じているんだ」と

思うケースにぶつかります。

「人は見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない」のバイアスだ、

と言われてみるとそうかも知れませんが・・・

 この意見を踏まえ、私の言葉で、再度新型コロナ対応を、言いたい順にコメ

ントします。

 

 

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本日も新型コロナの話、主張は統一基準

3.統一基準

(1)なぜWHOは、国際的な統一基準を提唱しないのでしょう。

「未知のウイルス」といっても、そうとう情報はたまってきているはず。

PCR検査に重きを置く方針は、それはそれでいいでしょう。

しかし、「陽性となる基準」が各国、各地域で違うのは、やはり不都合。

たとえばCT値下げて、台湾並みに35とし、「検査陽性者」でなく「感染者」

として、数を各国とも、正しく把握数ること。

(2)別観点ですが、感染症5類に指定すれば、もう少し、落ち着いた医療、

社会になるのではないか。実はこれは9月9日に書いていて  

感染症分類が「第2類」のままだと、インフルエンザ検査陰性の

うえで、 またコロナ検査に指定感染症病院へ向かい検査が必要。

それこそ医療崩壊へ向かうリスク高まるのでは。

新型コロナで「軽症」、「無症状」の方が、一般病院に入れなくて、

ホテルや自宅待機で療養は、やはり変。

 新型コロナ 日本では、感染広まり済で集団免疫が成立しているのでは? - 中高年michiのサバイバル日記

(3)上記と同じ趣旨で

指定感染症の基準を修正すれば、解決する

全国筒浦々にある一般の委員・病院でも、診察できるようにすれば

よいだけ。

 これも8月29日にブログで書いています。

新型コロナ、インフルエンザ同様、多くの医者が参加できる形を望みます - 中高年michiのサバイバル日記

 

4.新型コロナの特別扱い

(1)情報が蓄積されてきて「新型コロナ」が特別でないことが、分かっ

てきているのにいに、「特別視」が消えません。

ノロウイルスやインフルエンザウイルスに対して、一網打尽的なPCR

検査の実施は聞きませんい。

「新型コロナが、無症状の感染者が多い、無症状感染者が感染を拡大させる」

としたり顔で解説する人がいるが、どうして新型コロナが、ノロウイルス

インフルエンザウイルスに比べて、無症状の感染者が多いと言えるのでしょ

うか?「多い少ない」というのは、同じ条件で比較した場合にだけ言える

ことでしょう?

 

(2)PCR検査主至上主義

PCR検査が、正当な検査手法の一つだとは、認めます。

しかし、新型コロナウイルスに対する検査数の増加が、すなわち感染の抑

え込みに繋がるという考えは、理論が直接つながらず、しっくりきません。

 

5.ワクチン信仰に一言

これを書いているのは2020年の11月25日、米国のみならず日本も

「ワクチン効果」をネタに、株式市場は高騰しています。

しかし、よく考えると、

新型コロナは新型ゆえにワクチンがなく、これが完成するとすばら

しいとの流れで、株式市場は「はやす」のでしょうが、

感染症にかかわらず「不明確なことだらけ」は、いろんな病気に

あるし、子宮頸がんワクチンしかり、副作用は「未知」な部分ばかり。

インフルエンザ・ワクチンすら、そうでしょう。

そもそも、ワクチンは、重症化を防ぐだけで、感染するしないとは、

別問題でしょう。

 

 

 6.怖いというより面倒

マスメディア他、「あおって」得をする人が、あまたいるようですが

私の知る、一般人の多くは、冷静です。

「一日中テレビウイルスに犯されている」という社会人は、少ない

ですが、非常によく聞くのが新型コロナにかかると「面倒」ということ。

なぜか、他の感染症と違った手続きを強要され、また「社会の目」に

沿った「対応をするのがとても大変」ということ。

 

それは同感です。

法律を超えた「自粛」や「世間の目」が、大きな影響を与えているのは、

私も実感しています。

 

科学化する仏教(読書感想文もどき) 修行と瞑想 人類の真理を探る思想と技法だ

科学化する仏教

瞑想と心身の近現代

碧海寿広/著  

出版者    KADOKAWA 2020.7

1.概要

ときに対立し、ときに補い合う仏教と科学の歴史から、日本近代の

いかなる姿が浮かび上がるのだろうか。

催眠術、念写、オウム、そしてマインドフルネス。宗教と現代人の

危うい100年史を、気鋭の近代仏教研究者が描き出します。

 近代日本の仏教が、科学と対峙することなく、これを取り入れること

で、合理主義が信奉された近代ならではの時代の要請に応えてきたこ

を明らかにして、います。

今まで読んできた「仏教」の本とは視点が違いました。

目次を書くと

 序:仏教と科学

 1:心理学と仏教

 2:催眠術と仏教

 3:密教の科学

 4:禅の科学

 5:ニューサイエンスと仏教

 終:心身の新世紀 

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瞑想しているイメージです。

 2.本文からの引用

近代日本では、進化論を積極的に受容し、新たな宗教思想を開拓した

仏教者たちがいれば、仏教的な発想を取り込みながら、自らの生物学

を構築し発信した生物学者もいたのだ。

こうした科学による仏教の、必ずしもネガティブでない再編成は、

進化論以外の事例にも、様々に見て取れるだろう。

P 19  「進化論と仏教」から

 

宗教には関心のないビジネスパーソンも、瞑想の意義の科学的な説明

には納得して、進んで瞑想に取り組むようになってきたわけだ。

瞑想と科学の結託こそ、現代世界における仏教の位置を問う上で、最

も注目すべき動向の一つだと言っていい。  P25

 

(井上)円了は、心理学という西洋由来の新たな学知を応用すること

で、むしろ、仏教の伝統の核にある超越的な審理を、再確認したかっ

たのだろう。  P46

 

(元良雄二郎によれば)

人間の心の、心理学では光を当てられない「ミスチックな所」。言い

換えれば、神秘的で不可解な部分。それは、個人の人間性を形作るう

えで非常に重要な部分であり、現状では宗教によってしか、アプロー

チできない。この問題を解決できなければ、科学が宗教にとって変わ

ることはないだろう。  P50

 

円了や元良が活躍した明治期には、宗教と科学の交差するようなとこ

ろに、催眠術が置かれていたのである。そして、催眠術はやがて、従

来にない新しいかたちの宗教的な実践を生み出しもすれば、既存の宗

教に新たな活力を与えたりもする。  P66

 

宗教で世界は変えられないが、個人は変えられる。あるいは、個人を

変えることでなら世界を変えられる。これが、近代以降に科学と対話

した少なからぬ宗教者や知識人の至った結論である。   P134

 

森田は、禅(仏教)の思想や実践を意識しつつ、自己の精神療法を開

発したのではない。そうではなく、病を抱えた人の苦悩を取り除こう

とするその真摯な営みが、必然的に禅(仏教)の思想や実践と通じる

結果となった、というわけだ。非常に示唆深い見解である。 P140

 

宗教は「体験の世界」を自己の身で味わい、科学は「概念の世界」を

構築して人々に利便を与える。これが(鈴木)大拙の考える宗教と科

学の相違である。  P178

 

人間を超えた科学の力が支配する世界で、個々人が自己の存在に向き

合い直すために求められるものそれが「禅」だと大拙は言うのだ。

 P179

 

座禅の実践の拡散を後押ししたのが、座禅は個人の能力開発に役立つ

という、禅の効能ないしは実益に対する信用であったのだ。

禅は、僧侶でなく一般人に「現世利益」を着実にもたらしてくれる手

段の一つとして、その宗教的あるいは社会的な地位を変化させたと言

えるだろう。  P185

 

湯浅(泰雄)に見立てによれば、東洋思想は、西洋の最先端の科学的

研究に通じる実践を、遥か昔から推進してきたことになる。

「東洋思想の伝統においては、修行という場面において、心身関係の

カニズムに対する経験的実践的研究が古くから為されてきた」とい

うわけだ。

西洋の現代科学に比肩するポテンシャルを、湯浅は東洋思想に見出し

たのだ。  P209

 

マインドフルネスとは、単的に言えば瞑想法の一種である。仏教に由

来する瞑想法を、その宗教性を排除するかたちで再設計した瞑想法

だ。あるいは広義には、そうした瞑想法をもとにした生き方や考え方

も「マインドフルネス」に含まれるだろう。そのような瞑想法がや考

え方が、世界中の人々を魅了しつつある。 P241

 

 

 今から約2500年前、南インドのある地方に立つ大きな樹の下で、一人

の男が真理を悟った。(中略)悟りを開いた男はやがて、その真理

を、同じように自分の人生の中で喜びや哀しみや苦しみを経験してき

た人々に向けて説くようになる。単に言葉で伝えるだけでなく、自ら

行ってきた瞑想の仕方も指導しながら、それぞれの人に、自分の心身

のありようを探求せよと唱え続けのである。

男が開拓した人類の真理を探るための思想と技法は、21世紀の人類に

とってもなお、いや、科学技術が史上最も発達した今だからこそ、求

められる知恵だろう。その21世紀の字類のための知恵の名前を、仏教

という。  P261

 

  3.最後に

 修行や瞑想などで得られる「現世利益」が、科学理論とともに喧伝さ

れ、本来の宗教的意味なく、効果だけが求められるのは危険だ、との

著者見解ですが、同感です。

いとこどりや勝手解釈は、自分のなかだけだといいですが、周りを考

え無いといけません。「科学信仰」になりがちです。

 僭越ですが、私の感想類似として、本文中の「ホモ・デウス」を書い

たノア・ハラリ氏を引用します。

   科学技術の力で人間が「神」になる前に、あるいは、人間の条件

  の決定権を、人間が科学技術に明け渡す前に、我々は自らを省み

  るべきではないか。そう論じながら仏教瞑想を実践するハラリの

  言動は、仏教と科学が改めて手を結び、瞑想の評判が高まる21世

  紀の現在に、一人の知識人としての立場から重要な展望を示して

  いると言えるだろう。  P258 

 

やはり広域行政への移行が必要では? 技術革新背景に少子高齢化対応に必須との私見

1.行政区分の切り替えの必要性

本日は、少し硬い話。

あくまで私見ですが、結論は以下の通り。

明治以降確立した基本的に150年変っていない都道府県体制も、

 効用より弊害が大きいと感じる。非効率性も強いと思う。

技術革新の現状を踏まえ、どうしても少子高齢化が避け難い日本で

事業の効率性から広域行政への移行が必要と思う。

ということです。

 

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2.私の勝手な論点整理

平成の町村大合併は、評価しています。
実務当事者にとっては、大変な大事業であり、苦悩や苦労もあったこ
とでしょう。 
個々の業務に当たっている人の多くは、真面目だし、高い公務員意識は、評価しています。
しかしながら私見は、グランドデザインに基づく根本的解決が必要
ということ。
明治以降確立した都道府県体制は、立派なものでした。150年以上も一つの制度として生き残っているのもその証左のひとつ。
しかし、歴史的役割が変ってきているように思います。
(1)目指すもの
目指すところは、広域行政による行政の「効率化」です
広域行政の構想は、過去から、浮かんでは消えての道州制であり、
また最近の大阪都構想も、ありました。
制度度を変えていくことには、非常に国民は保守的で、何においても
現状制度が回っている以上、変更には反対論はつきものです。
変更のデメリットは必ず存在します。
卑近な例で学校の秋入学(10月入学)。新型コロナ問題が一つの契機
となり、議論の遡上に乗りましたが、結局、実現しませんでした。
秋入学は、国際化、開かれた教育制度には、私見は必要と思いましたが、反対勢力が、優ったようです。
 
(2)広域行政の具体的構想
アメリカ合衆国のように州に独立権限を与えるのは、日本の歴史的経
緯を考えてもそぐわないと、思います。
幕藩体制」的な、地方分権には、戻すべきではありません。
私が思うのは、連邦制でなく、現在の「地方自治法」のレベルでの、広域行政と権限拡大です。
都道府県レベルの大きなくくりが10くらい、後は地元密着の人口50万人くらいの組織、大きくこの2段階で、行政は回るように思います。
 
(3)制度上のインフラは、完備しつつある。
言うまでもなく、科学技術の進歩は、実に大きい。
諸手続きの大半がオンラインで行えるし、今後制度は拡大していく
でしょう。
金融を例に取りましょう。融資を受けようという方を除き、通常の資
金管理、決済に銀行窓口が必須な人の割合はどうでしょうか。
別の観点から言うと「現金」より「電子マネー」であり、親和性が
旧来の金融業界にあるわけではありません。
「銀行業が構造不況業種」という段階はもう過ぎてしまい、淘汰・廃業が普通の流れに思えます。
つまり「広域行政」だできるインフラは、あるのです。
 
(4)少子高齢化の特に高齢化について、おカネの面から
ホモサピエンスの長い長い歴史の中で、
いつ死ぬか分からない、人生は自分が考えるより短い、やり残した意識を持って人生の舞台から降りる人が、大部分でした。
これが、大きく変わりつつあります。
人口のヤマの団塊の世代が実質的にあらゆる局面から引いていく10か
ら15年で、日本の世の中は変わっていくと、思っていたし、このブロ
グでも書いています。
しかし、最近少し、考え方を修正しつつあります。
100歳や110歳まで、生きる人が増えてくる。やり残したと、感じる人
はへり、充分生きたのにまだまだ「老後」が続く人が増える。
「生きがい」議論もしたいのですが、ココでは、お金の話です。
行政のスリム化、効率化により、おカネを残していかないと、立ち行かなくなります。
 
(5)おカネの話、補論
a: 広域行政により、多数の公務員の人件費を削減できると思います。
b:実はもう一点、費用的には僅少でも、議員という立法府の人員削減も「効率化」アナウンスメント効果は、充分あると思います。
情報インフラが、技術革新によりますます充実するわけであり、同じ仕事量をこなすにしても、地方の立法府(地方の都道府県、市町村の議員)は、もっとコスト削減ができることになります。
 c: 別の観点ですが、国会議員も、大幅削減できるともいます。
冷たい言い方ですが、私見では国政を担うのはエリートであるべきで、見識、素養とも非常に高いレベルが必要で、衆議院に500人以上もの人材は存在しなと、考えています。
地元貢献をアピールするのでなく、日本の将来のことだけを考えて
意見を出す人は500人も不要で、現状では「悪貨は良貨を駆逐する」状態に私には、思えます。
 
3.おわりに
今日は、結論を冒頭に書いたので、書き足すことはありません。
私は、行政関係者でも、マス・メディア関係でもありません。
一私人として、少し思うところを書いただけです。

人はなぜ死ななければならないのか(読書感想文もどき) 死があるからこそ生に意味が与えられる

人はなぜ死ななければならないのか

 小浜逸郎/著  

出版者    洋泉社 2007.2

1.概要

今回も、理解に大変でした。

最も今日的な生=死とは何かについて

「死の自覚こそが生を規定する」という考え方を日常生活の

基本項目に即して展開し、日常における普通の人々の生き方

を肯定する哲学的考察。シリーズ三部作、でありついに完結

となります。

4章立てになっていて

第1章 「人は何のために生きるのか」と問われたら

第2章 哲学・思想はほんとうに役にたつのか 

第3章 死はなぜ不条理で恐ろしく、また悲しいのか

第4章 人はなぜ死ななければならないのか 

 著者紹介 を少し  

  1947年横浜生まれ。横浜国立大学工学部卒。批評家。

国士舘大学客員教授。2001年より連続講座「人間学アカ

デミー」を主宰する。

小浜逸郎さんについては、11月9日 18日に取り上げており、

3冊目の紹介です。 

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いろんな意味を重ねた老人のイラスト

2.本文からの引用

現実には、人生を経験してきたまともな大人ならば、多くの
人が生の虚しさについてある感性をもっている、と私は思う。
いいかえると大多数の人もまた、生きる意味などないとわ
かっているのに、仕方がないので短中期的な物語を自らに課
して、意味があるかのようにふるまっているにすぎない。
ただ彼らは、自称「哲学者」のようにいちいち大騒ぎしてみ
せないだけだ。  P62
 (michiコメント:私に気持ちに非常に近い。こういったセリ
フが自分でうまく書けないんですよね。)
 
112
この原理主義的な思考様式は、欲望を欲望として認めず、生の
意味を生の外側に求めるから、「永遠の魂」とか「最高善」
いった空手形によっていつも人々を欺かなくてはならなくなる。
そしてその手形を懐にしていることを自認する哲学者は、その
ことによってふつうの人々よりも優位にあるという自画自賛
「構造」を絶えず再生産するのである。  P112
 
 
哲学や思想は、閉ざされた「密教」ではない。それらは公開さ
れた言説であり、いつでもだれでもそれをあとから追尋し、
かつ必要とあらば反省や批判や修正を加えることができる。
だから、たとえ過去の思想的遺産のなにがしかが社会的な悪影
響を及ぼしたとしても、長い目で見ればその「罪」の部分を刈
り取っていくことができるのである。
そこに哲学や思想のかすかな希望がある。  P119
 
人間にとって死が恐ろしく不安なものとして感受されるのは、
ひとことで言えば、それが意識そのものの永遠の消滅という、
生きている限りは決して招来し得ない事実だからである。 P142
 
死に対して一番恐怖を感じるのは、自己意識の水準が最も高
まった状態、年齢でいえば、少年期から青年期にかけてである
と言える。この時期は、個体としての孤立の意識がきわだち、
個体としての自分の存在がどうあるべきかということを最も
気にする時期である。   P145
 
自殺には死の恐怖を克服する勇気が必要だと感じる人と、ほん
とうに自殺に踏み込む人とは、その気分状態が決定的に異なっ
ているのだ。
死とは共同存在としての人間のあり方からの脱落だから、本当
に自殺を決行する人は、すでにその脱落を「気分」としてじゅ
うぶんに味わい尽くしているのである。そこにはもう「自殺は
勇気が要ることだ」という観点を超越したものがある。  P147
 
人間が死に対して抱く三つの態度(不条理感、恐怖、悲しみ)
由来
不条理感 
 言語によって構成された「私」という絶対的な主観性の構造
 から やってくるものであり、それ自体として克服不可能
恐怖
 人間の自己意識がそれ自身の消滅を表象できないという不可
 能性に由来。
悲しみ
 他者の死に対する悲しみは、人間が根本的に情緒的なつな
 がりにおいて生きる存在であることからやってくる。  P157
 
結論から先に言えば、人はまさに人たる資格において、「死な
なければならない」のである。いいかえると、死があるからこ
そ、人間の生には意味が与えられるのである。  P159
 
 3.最後に
 読後感は、また複雑。
死があるからこそ、生に意味があるとの結論は、理解できるし、
腑に落ちるところです。
しかしながら縦横無尽と思えるし思考展開には、私の頭がつい
ていかない、というもどかしさ。
頑張ろうとは思う一方「仕方がない」という割り切りもある。
 同様のもどかしさを、今後ずっと、それこそ死ぬまで、引き
ずって、生きていくのでしょう。
  
 楽天に、本書が載っていなくて、著者小浜逸郎さんの「頭は
良くならない」の紹介にしました。 
 

今週のお題「ピザ」 いつものずらしで ピザトースト さめたピザ、カクテル他

今週のお題は「ピザ」ですが、いつものように、本論から「ずらし」

「こじつけ」「飛躍」を多用し、私が書けることを書きます。

1.ピザトースト

いきなり「ずらし」を使い、ピザトーストについて、書きます。

我が家は、朝食は常に食べます。

米飯が60から70%でしょうか。

朝から「麺食」はほとんどなくて、米飯以外はパン食です。

そのパン食のうち、20~30%くらいはピザト-ストです。

特別なレシピはありません。

①まず食パンに市販のピザソースを塗ります。

このピザソースの選択権は、妻にあります。

②玉ねぎ、ピーマン、ベーコン、が中心具材で、たまにアレンジ

もあります。

この段階で、オーブンで、結構焼きます。

③チーズをトーストの上に振りかけます。

あまり欲張るわけではないですが、この段階で、どうも、私は

こぼしてしまい、オーブンの網を炒めることがあります。

そうして、もう一度焼いて、出来上がり、です。

④飲み物は、このピザトーストの場合は、ストレートティー

(紅茶)です。

別途、サラダが付くこともあります。

 

2.ピザの注文

今度は、「ピザ」です。

そんなに多くはないですが、家族で、イタリアンレストランに

出かけることが、あります。メニューは妻子におまかせのこと

が多いですが、うまくコーズ的に頼んでくれます。

最初にでてくるるのが、ピザの場合が多いですね。

冷凍ピザを。家で解凍して、焼いて、ランチにすることは、たま

にありますが、テイクアウトセ、ピザを頼むことは、ほとんど

ないです。

テイクアウトピザに関する思い出は、私のの注文のことではなく、

以前車を運転していて、とても寒い日に、「出前」のバイクで出

かける配達員とよくすれ違ったことです。

何の仕事も大変です。 配達ご苦労様です。

 

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ピザ・セットのイメージです

3.冷めたピザ

若い人には??でしょうが、昔日本の首相を揶揄する言葉に、「冷めた

ピザ」という表現もありました。

具体的には、「平成オジサン」として有名な小渕恵三氏が首相になっ

たあと「冷めたピザ」ほどの魅力しかないと、政治決断力の乏しさを、

皮肉られた言葉です。

2006年ころの話?当時から「ピザ」は日本の食卓において、完全に市

民権を得ていた証左です。

 

4.マルゲリータマルガリータ

ピザの人気メニューはマルゲリータ、続いてクワトロ・フォルマッジ、

ロマーナ,ナポリターレ、日本的なシーフード、ベーコン&ポテト

等々あるらしいですが、それについては書かきません。

「こじつけ」「ひやく」で、カクテルの「マルガリータ」について、

少し。

カクテルの「マルガリータ」とは、テキーラベースで、ライム・ジュ

ース、レモン・ジュース、ホワイトキュラソーを混ぜた、アレです。

グラスのふちに塩をまぶしてスノースタイルとか、格好を付けます。

うんちく話は、一切しません。

ジンベースのドライマティーニウイスキーベースのマンハッタンに

並び単にマルガリータ、私の好きなカクテル、というだけの話です。

 

5.宅配ピザ屋さんは、儲かる?

何の商売も大変ですが、飲食業のカギは、商品の原価率及び人件費で

しょう。

肉や魚はじめ高級食材を相対的に多く使う、フレンチや和食に比べて

ピザは原価率が相対的に安く、経営上の有利さはあるでしょう。

もちろん、お客さんのニーズがあってこその話ですが・・・

いくつも、宅配ピザ屋さんが存続しているのは、経営努力はもちろん

ですが、準「国民食」的地位を確立?

いわいる「コロナ禍」で飲食業はどこも大変ですが、頑張ってください。

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その14」 今回もまた多数紹介

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敗戦記「その14」も同じイラスト

本年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」

というのをアップしていますが、今回14回目です。

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 

読者への何らかの参考となればと・・・

1.スパイはいまも謀略の地に

ジョン・ル・カレ/著  

加賀山卓朗/訳

出版者    早川書房 2020.7

イギリス秘密情報部のベテラン情報部員ナットは、引退の時期が迫る

も、対ロシア活動部署の再建を任される。そこでロシアの大物スパイ

の活動をつかみ…。

EU離脱に揺れるイギリスを舞台に、練達のスパイの信念と誇りを描い

ています。 

直接本文とは無関係ですが・・・・・

職種によるとはいえ主人公のように、早く引退できるのはうらやまし

いし、また、著者みたいに、いくつになっても、仕事ができること

もまた、うらやましい。

 

 2.読んで旅する秘密の地図帳フシギな謎と新発見!

おもしろ地理学会/編  

出版者    青春出版社 2020.8

領海と公海、接続水域の違いは? リアス海岸の由来になった海岸は?

 日本が年々広くなっている理由とは? 世界と日本の地名、地形、気

象、名所・旧跡など、「地図帳」をめぐるさまざまな疑問を解き明

かします。こういった「軽め」の「雑学的」なものも、読書レパー

トリーにいれるのもいいモノ。

知っている話が、3割程度ありそうで、一層読みやすいモノです。

諸般の事情で「旅」がしにくい昨今ですが、自分の脳という小宇宙

では、勝手に動き回れて、いい気分になったりします。

 

  3. 地名の世界地図

21世紀研究会/編  

出版者    文藝春秋 2020.9

地名にはその土地の歴史が込められている。地形、戦争、民族の移

動、大航海…。人類の歴史を、地名から読み解く。世界各国の国名

と首都名の由来がわかる「大索引」も収録。

大幅な増補と改訂を施し、全カラー図版にした新版。

下記のような「なるほど」が満載です。

ペルシャ」の名も、もともとはある小地方の名をギリシ

ャがペルシャ全体をあらわす名としてしまったことによる

もので、ペルシャ人にとっては国全体、民族をもう一度ま

とめるような名前が求められたのだ。

そこで、自分たちが中央アジ化から南下し、やがてヨーロ

ッパに広がっていったアーリア民族の一つであることをア

イデンティティとするため、アーリアン(高貴な人びと)

ペルシャ語に転訛したイランを国名にしたのだった。

サンスクリット語で「高貴な、偉大な」という意味であ

る.。 P251

 

4.中古典のすすめ

 斎藤美奈子/著  

出版者    紀伊國屋書店 2020.9

 文芸評論家である著者が、ひと昔前(1960年代から1990年代)の

ベストセラー48点の賞味期限を判定します。視点は、

現在(2020年)の時点において、今も再読に耐えるかどうかを

「名作度」と「使える度」の二つの観点から星印で示すことに

した。

いちおう客観的に考えた、本としての価値。

「使える度」はあくまでも主観的に、読んで面白いどうか、響

くかどうかだ。 P7

著者の「名作度」が星三つで、私が過去面白いと思った作品の

一部は、丸山真男」日本の思想」、山崎豊子白い巨塔」、梅棹

忠夫「文明の生態史観」、北杜夫「どくとるマンボウ青春期」、

小松左京「日本沈没」、森村誠一悪魔の飽食」といった感じ

です。 

 星三つではありませんがホイチョイ・プロダクションの「見栄

講座」 から

1994年と2016年を比べると

      スキー人口 1670万人から330万人(80%減)

     ゴルフ人口 1370万人から550万人(60%減)

     テニス人口 1240万人から570万人(54%減)

テニス界は再び始めた50~60代はいても若者や新規参入はなく、

ゴルファーは檀会世代と元「オヤジギャル」だけだそうである。

あな恐ろしや、むかし撮った杵柄組。  P257

 

 5. 世界標準の経営理論

MANAGEMENT THEORIES OF THE GLOBAL STANDARD

入山章栄/著  出版者     ダイヤモンド社 2019.12

知の探索・知の進化の理論、取引費用理論、センスメイキング

理論・・・

「ビジネスの真理に肉薄している可能性が高い」として生き残

ってきた、世界の主要な経済理論30を体系化し、わかりやすく

解説しています。

実は10月11日に、ちょっとした感想を書いています。

経営学の書籍をヒントに考えたこと。現状は「自己選択」の結果と受け入れるしかない。 - 中高年michiのサバイバル日記

 

 
 
 
 

真実の情報と存在するのだろうか、という問い自体が変 歴史は勝者の歴史

1.米国選挙を契機に

今日はまた、変なタイトルです。

タイトルのきっかけは、米国大統領選挙です。

11月3日の投票日から3週間弱経過していますが、トランプ陣営の

「不正選挙」主張の法廷闘争が、まだまだ続いており、憲法上も

だ「次期大統領の確定」までは、行っていないようです。

当該選挙に関して、私に何らかの一次情報があるはずはなく、各

種報道を見て(聞いて)、勝手に思いを巡らせているだけです。

(1)メディア報道について

今日メディアに公平中立を求めても無理で、なにが「フェイク

ニュース」なのか、そうでないかも個人では判断はつきません。

私見では、

 権力者や政治家、経営者であれば、実績をいかに出したかに

 よって評価 されるべきであり、人間として「嫌いだ」「気に

 食わない」といっても、 そういった人格や個性を判断基準に

 含めるのは、変だと思います。

米国メインストリームメディアの「トランプ嫌い」は、この人格

や個性を 前面に出しているように思います。

話を戻して、「報道が間違っているか否か、判断がつかない」話

をします。

集会やデモ行進の参加者の人数について、今どきは映像があるの

で、「桁違い」の報道があると、素人の私が見ていても「違うな」

と分かります。

とはいえ、映像がすり替えられていたり、加工されていたりする

とお手上げです。

また、選挙の不正手段として「アルゴリズムの操作があった」と

言われても、一般の人に、「不正証拠の判断」ができるわけでは

ありません。

(2)裁判所の判断について

「法廷闘争」においては「挙証責任」の問題があり、つまり自分

が正しいと思うことを、潤沢な証拠を積み重ねて、裁判官の判断

を得ることが、「勝つ」ためには必要です

言葉を変えると、不正を知っても「証拠」があり、「証明」しないと、

相手に認めれれない。ということは、証明できないと法的には「なか

ったこと」になります。

もちろん感情的には、収まらないでしょうが、それを解消する手法は

ないようです。

「不正を正し、民主主義を守る」主張は、その通りで同調しますが

「勝たない」と、結局「力」を持たないことになります。

しかしながら、裁判官に一定時間内にすべてを理解する能力を求め

る方が無理で、困難が、伴うと思います。

個人的には、トランプ支持派の主張の方に、分があるように思えま

す。何らか不正選挙行動がありバイデン勝利は「正しい」とは言え

ないでしょう。ただし、裁判所の判断で、選挙結果を覆す証拠能力

が、あるのかどうかは、別問題です。

一定期間後迄には「選挙結果」は確定するでしょうが、トランプ

・バイデンどちら陣営にも、「不満」は残ったままで融和はない

でしょう。 

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歴史は、いつも、どこでも対立と抗争の歴史でしょう。

2.歴史を見てみると

(1)少し、米国大統領選挙から離れて、歴史上の権力闘争に

ついて、少し考えます。

勝てば官軍、歴史は善悪を判断しない、勝者の歴史、・・・・・

表現はなんでもよいですが、 「勝った側」が自分が正しいとして

、歴史を作ってきたのであり、私のつたない知識でも、高潔な人、

(その時代の倫理に)正しい人、立派な人、慕われた人等等が

権力を握るのでなく、結果として「勝った人」が、自分が正しい

として歴史を作ってきたのが実情でしょう。

権謀術数でも、なんでも手段は問わず、すべて「結果で判断」

するのが歴史でしょうし、後々の人が見たら、今回の「選挙結

果」であっても、相対的に、歴史上は小さいことなのでしょう。 

 (2)宗教のくびきから解き放たれて、「近代科学」が「科学

的に正しい」ことを、証明したことになっていますが

「大多数の人が説明がつきやすいと、納得している場合」だけで

ある可能性もあります。

進化論を信じていない「福音派」もあると聞きますし、例えば

「地動説」でも、「オレにわかる証拠を示せ」といわれても「オ

レ」の理解力は貴方には、未知数であるわけですから・・・

 

3.当たり前の結論

共同幻想でも虚構でも、どういう言い回しでもいいのですが、

「正しいこと」も個々人が勝手に作り上げて、大多数の人が納得

しているとの範疇を出ません。

今日の結論の一つですが、時代を超えて普遍的に正しいこと、真実

情報といったものは、存在しなくて 、また「後々の歴史が正しい

と証明する」ことはなくて、 「勝者の歴史」だけが続いていくよう

です。