中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

例年の築地から変更、銚子に買い出しに行きました

1.食の正月準備

我が家の正月は、例年遠出をせず、基本自宅にいて、正月料理を食べ

ます。

今は人4人家族となりましたから、趣味嗜好は、それぞれです。

いわいる「正月テレビ」を見るのは家族で、一人だけ。

私は、テレビを見るのは、報道系を皮肉っぽく見ることが多いだけで

正月も同じです、よってほとんど見ません。

食事の時が、家族の会話の時間であり、貴重な家族の接触時間です。

 相当前のことですが、「おせち料理」を注文したことがありますが、

 イマイチでした。和風やイタリアンおせちもありましたが・・・・

よって、買い出し、手料理が、正月料理の定番となります。

 

2.例年の築地、今回は銚子

買い出しは、例年築地へ、電車で出かけていました。

マグロ、タコ、牛肉(ステーキ用とすき焼き用)、豚肉(チャーシュ

ー用)定番で、後は諸々。

さて、今年は今年は築地を変更して、銚子まで車で出かけました。

新型コロナに対する私見は、このブログで、たびたび書いて言いま

す。私も私見私見として他人の意見も尊重、「周りにあわせる」

ことも考慮しています。

というわけで、「密」になりそうな築地市場を避けたい家族の一人の

意見を入れ、代替として、銚子のウオッセ21まで、出かけることに

しました。

添付は、車の中からスマホ撮影のもの、午前10時過ぎでしょうか。

天気は曇天、自己も道の渋滞もなく順調に流れました。

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3.買い物は定番

買い物の選択は、家人(妻)です。

タコ、マグロ、するめ(我が家の雑煮は、このするめ出汁です。)

ほか、を買っていました。

例年の築地と、同味が違うか同じかは、やはり、食べてみないと解

らないでしょう。

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今回は肉類はないですね。

家人が避けたいとした「密」ですが、午前中のこともありウオッセ2

1の各店舗は割とすいている感じ。いつもの混み具合が分からないの

で、比較ができませんが、例年の築地より、ダントツにすいていたのは、明言できます。

 

3.早めのランチとお土産

(1)海鮮丼や、キンメ煮つけ定食

ウオッセ21には、レストランもあります。

家人の一人は、添付のキンメ煮つけ定食を注文しました。

(ほかにご飯、みそ汁、御飯、漬物あり、です。)

煮つけは、味はしみて、かつ甘すぎず、また魚の味がしっかりして

いました。

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キンメ煮つけを外で少くするのは、下田旅行以来かもしれませんが、

日本海と違い、この魚は、太平洋側には、広く回遊しているのでしょ

うが。

刺身のほうも、そこそこ量がありましたよ。

浦安市を通じて「Go-To-Eat」のチケットを若干購入しており、

今回、使いました。

(2)ぬれせんべい

家人の一人は、本日仕事のため、参加せず。

お土産にぬれせんべい、です。

銚子電鉄と、醤油がこの「ぬれせんべい」のイメージです。

私も家族の、それぞれかなり、味の嗜好がりがいますが、彼はせんべ

いの類が好きなようです。

 

4.無事帰還

このブログには、まだ書いていませんが、銚子には、若い独身のうち

から思い入れがあり、何度も訪問、宿泊もしています。

今回の主目的は「買い出し」でしたが、車でしたので、少し市内も回

りました。

いい加減なことは言えませんが、寂しい、シャッター通り、商店街の

の疲弊、狭い狭い住宅地の道路、ロードサイドのみ賑わいといった、

コトバが浮かびます。

無論、「銚子電鉄」に、何度も乗りましたし、灯台も上がりました。

今回は下からの眺めだけでパス。

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太平洋は、広い。

 「『地球が丸い』とは、生活の一環で外洋を眺めている人類なら、

いわいる科学的知識の乏しい時代の人でも、必ず思うに違いない、

地球が平たいと思う人は、海を見た経験がないのとだろう」

私は、いつも思い出すのです。

 

さあ、買い出し終了で、次は、正月料理の準備ですね。

なぜか、寂しい年末の風景 外的には新型コロナでしょうが、実は内心の問題

1.まず一般論

寂しい年末ですよね。

新型コロナに関して、テレビ、新聞等の大手マスメディアの報道姿勢

は相変わらず、です。

国際比較でも稀有のまじめさの日本人ですが、「自粛」ムードの全国

浸透,東京も、しかりです。

無論、大きな比較の話はできなくて、私が知っている狭い狭い世界

、昼間の東京都内と住居の千葉県新浦安界隈の話です。

ニュースで聞く情報も「限定情報」であり、ロンドンや、パリ、ベル

リンの様子の全体ではないし、「アメリカ合衆国」といってもNYと

フロリダ、また中部のテキサスや、西海岸は違うでしょう。

私は、この時期に飲むらしい「ドイツのホットワイン」は存じません

が、平均的気に見て、今年の年末の欧州、米州のコロナの影響は、大

きそうですね。

「都会は重層的」とはよく言ったもので、ほんと近くにいても、

「世界」が全く違うのは、世界中の都会にありがちでしょう。 

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「年末イメージ」ですが、大掃除でも蕎麦でもなく、鍋としました。

 2.実は個人的理由

(1)別に大した理由はなく、私にお声がかかることが少なく、今は

とてもヒマであるというだけのこと。

昔話を少し、私が「忙しかった」頃の話。

実は昨年のクリスマス頃に書いたものを引用します。

  クリスマスも仕事をしていました。

時間は少しまた戻ります。

私の独身時代、バブルの頃のクリスマスの状況です。

巷では、彼女とどう過ごすか、どこぞの食事がいい、

どこかのホテルは、もう予約が取れない、等々。

経済全体から見ると明るい話題が、日本全体に漂って

いた気がします。

将来振り返ってみると、あのバブルの頃が「日本経済

の頂点」だったとなるのでしょうかね。

おそらく、あの時代は日本に再びは、やってこないで

しょう。

面白くもおかしくもないのですが、ぺいぺいの私は、

当時延々と仕事をしていました。

 これも、当時のステロタイプ的ですが、仕事がえり

にスナックに立ち寄り、スナックママと他のお客さん

と一緒にクリスマス会、という経験はありません。

年末のこの時期は特に多忙で、外の夜の会合に出ても、

腹ごしらえし、アルコールを抑え気味にして、会のお開

き後は再び会社に戻って仕事継続というのが、割とあっ

たような。

勿論、当時の「ぺいぺい」から実務責任者中心で、上の

世代、当時の管理職や幹部は、会合から二次会、三次会

へと流れたと思いますが、、、、。

冷静に振り返ると、

求められる仕事があり、仕事内容はそこそこ面白く、また

しかるべき報酬もあって、いい時代だったかと思います。

当然、今の時代の若者と比較するつもりはありません。

 あくまで、個人的体験であり、マスでとらえて「時代を象徴」とは

言えないでしょうが、時代の切片の一つでしょう。

(2)小人閑居にして、不善を成す。

今日の結論も情けない話で、私が自分の内面と対話の中だけで、充実

した時間を過ごせる場合は、少なく、ついつい、良からぬこと、非生

産的なことを、考えたり、行動してしまう、ということ。

(ほかのところでもきましたが)「働いている」という行動が、他人

から社会から「認知されている」、「必要とされている」と感じるこ

とが大方それが、「誤認」であっても、本人に精神衛生上には、とて

も良いのでしょう。

宗教の創造者や、大哲学者であれば、自分の内面と対話しつつ、広大

な精神世界を作り上げ、(時間軸はともかく)周りや後世の人に影響

を与えることになるのでしょう。

もちろん私にはできません。

書籍や、インターネット情報、生身の人間当を通じて、目や耳の入っ

てくる情報に、即物的に対応して、何等か考えている、ふりをしてい

るいわば「反応」している時間が、私の時間の大半。

「退屈を感じない」「気晴らし」の時間の継続のようです。

そりゃあ、ふと我に返ると、「寂しい」わけです。

人口問題の1年ぶりの再論、世界・日本共に昨年とトレンドは同じ、2100年に110億人

1.再び人口問題を考える

(1)昨年の12月に、人口問題について、少し触れました。

約1年を経過を経過し、振り返ってみたいと思いました。

結論から言うと、トレンドは変わっていないし、問題の本質も変わ

っていない、ということでしょう。

(2)今年は世界で、新型コロナウイルスが流行し、死亡者は確か

にありますが死亡者全体に占める割合で見るとどうでしょうか?

天然痘、ペスト、コレラ等々最近ではスペイン風邪も含めて局所的

とはいえ疫病は歴史上、世界人口の動向に、大きな影響与えてきま

した。

ありがたいことに、今回は違うようです。

(3)日本の場合、も少し資料があり、「感染症」で亡くなる方は、

例年に増して少ないとのことです。

マスメディアが大騒ぎするのは、彼らの商売ですから、仕方ないと

して新型コロナも含む、感染症で亡くなる方は、今年は少ないよう

で、そのこと自体は、とてもよかったと思います、

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出生率は変わっていきます。


2.人口動態のトレンドを具体的に

さて、まずデータから

(1)「世界人口」について昨年書いたのを引用します

出典は、国連広報センターの20190702のリリースから

世界を見てみると、国連の報告では

世界人口の増大が鈍化、2050年に97億人に達した後、

2100年頃に110億人で頭打ちか

 ② 本日(20190617)発表された国連の新たな報告書で

は世界人口は現在の77億人から2050年の97億人へと、今後

30年で20億人の増加となる見込。 (要は、今後30年で

20億人の増加とのことで、日本と真逆ですね)

③増加率は地域によって異なり、さらに多くの国で人口

が減少

具体的には、今後2050年までに予測される世界人口の増加

の過半は、インド、ナイジェリア、パキスタンコンゴ

民主共和国、エチオピアタンザニア連合共和国、インド

ネシア、エジプト、米国(予測される人口増が多い順)の

9カ国。

インドは2027年頃、中国を抜いて世界で最も人口が多い

国になる。

サハラ以南アフリカの人口は、2050年までに倍増する

と予測(99%の増加)

2019年から2050年にかけて、人口増加率が低下するとみ

られる地域としては、オーストラリアとニュージーランド

を除くオセアニア(56%)、北アフリカ西アジア(46%)

、オーストラリアとニュージーランド(28%)、中央・南

アジア(25%)、ラテンアメリカ・カリブ(18%)、東・

東南アジア(3%)、欧州・北米(2%)が挙げられます。

 以下に、今年の情報を足すと、

世界人口白書2020によると、

 ・ 2020年の世界人口:77億9500万人で、昨年に比べ8000万人増

加。つまり、増加傾向は変わっていません。

(2)日本について、書きます。

・ 2020年の日本人口:1億2650万人で世界第11位(2019年は1億2690

万人で同じく世界第11位)。

2019年に比べ40万人減少し、2015年以降毎年平均で0.2%ずつ減少。

こちらもトレンドは変わっていません。

 

3.現時点で振り返ること

(1)昨年書いた「まとめと私見」は下記の通り

未来予想のうちでは、人口動態は、確度の高いほうで、要は、

世界人口は、100億人まで、あと20億人も増えるけれど、2100年

には、頭打ちとなりそう。

一生物としてホモサピエンスが100億個体というのは、恐ろしい

ですが、総人口に頭打ちが見えてきたのはいいこと。

(世界の高齢化社会の話は、ここではしません。)

私が子供の頃は人口爆発の議論主流で、「頭打ち」が見えていま

せんでした。

最近読んだ本に感化されているのですが、

ホモサピエンスが延々と地球の主人公でないのは確かだが、

近未来に自分自身の個体数の上限をまかりなりにも、弾き出

せたのは、いいこと」かと思います。

以前の支配者恐竜もしなかったし、カンブリア爆発以降、それ

ぞれの時代の覇者も、自己の個体数への配慮はなかったでしょ

う。その点では、人間は、一歩前進でしょうか?

(2)今年付け加えること。

何かにつけて「歴史に転換点」と大騒ぎしているヒトはどうも

ニガテです。

「先が見えて居る 」人がそんなにいるとは思えません。

そんななか、世界人口が2100年に「110億人で頭打ち」という

のは、改めてしっくりきます。

疫病や大規模な自然環境変化、文学的な理由により方向図付け

されるのでなく、地球環境の制約の意味で一つの種が110億個

体数で、頭打ちというのは、地球に与えられた「宇宙の摂理

のような感じがします。

それぞれの立場がありますから、、、 多くは生活のため 目クジラをたてないこと

1.もう年の瀬になりますが・・・・

(1)今日も、日々思う独り言的なつぶやきになります。

言いたいことは、単純で

「人は生活継続のため、もっと余裕のある人は気晴らしのため
組織の主張に沿って言うのだから、目クジラたてて、反発する
必要はない。」といったこと。
(2)大方の人は、組織に属するか自営化は別として、社会に
働きかけて「生活の糧」を得ている訳であり、急変はなかなか
困難。今までの行動を繰り返す、ことが多くなります。
特に大人になって社会生活が長い人は、周りから「こういう人だ」
と思われていて、それが急変すると、周りが「困惑」してしまい
ます。
私が、よく引き合いに出す、新型コロナ報道ですが、「わかってい
るが、やめられない」、「姿勢を変えると、周りが困る」といった
具合でしょうか。
 
2.また「新型コロナ報道」の事例から
(1)手を変え、品を変え、連日「新型コロナ報道』が賑わして
います。
いろんな報道がありますが、
国際政治情勢でもなく、芸能人のプライベート問題でなく、
学術的な問題でもなく・・・・・・
要は、新型コロナ報道は、多くの人に関心があり、わかりや
すい情報(生理学的な論点は言っていません)である点が、
「ウケる」のでしょう。
恐怖心を煽るのは、人々の関心を誘う王道であり、それを地
でいっています。
「過去最高」や「〇〇以来最高」「〇〇崩壊」「○○の危機」
は引き付けるための上手な手法です。
視聴者を安心させるような報道は、極力避けるべき(要は報道し
ない)で、ひたすら恐怖心を煽る報道に注力します。
人間の感情はかなり保守的ですし、平均的日本人には、同調圧力
が、かなり働くようです。
新型コロナは、継続して「話題提供材料」となっています。
(2)大手マスメディアではないですが、テレビ報道の批判勢力
一定の力を持っているように思います。
①数字をあげ、比較して説明
インフルエンザとの比較、国際比較 なるほど説得力があります。
「亡くなる方」がそれぞれ大変な個々の事情は踏まえたうえで、
「数字」に着目し、
・年間に日本で、お風呂で体調急変や事故で亡くなる高齢者の方
・餅を喉に詰まらせて亡くなる高齢者の方
・交通事故、で年間亡くなる方
こういった数字較は説得力があります。
②提言の説得力
つまり「批判」ばかりで視聴者はつかめませんので、「提言」も
説得力が必要ですし、確かにあります。
(いわいる国会「野党勢力」の説得力無さとは、違うようです。)
・保健所の実務家が、新型コロナについて、現行の「感染症5類
認定」を2類に偏向するのではなく、一歩進めて、指定感染症自体
の見直しを要請。
本当の重篤者を、看護する体制をしきたい、という主張。
個人的にも私も、賛成です。
・実務離れた「専門家」の「医療崩壊」にのせられるのでなく、
十分余力のある、民間医療者(津々浦々の個人医院、個人病院等)
の活用。
個人的には、とてもまともに聞こえますが、上述の「煽る」「恐怖
心を与える」趣旨に反しますので、メジャーには、ならないでしょう。
(3)一般人の常識
11月から寒さと乾燥でウイルス活発化は、ある意味当然の自然現象
ある。
9月ごろから、外国からの人の出入り緩和の方がその相関関係が高そ
うな感じがする。だが、それは報道されない。
年末になって、やっとイギリスが槍玉に上がったくらいだ。
GO  TO キャンペーンは、スケープゴートじゃないの?
化学的根拠なしとすれば、さしづめ魔女裁判

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抽象的ですが「それぞれの立場」のイメージ
3.それぞれの立場
(1)以下、最初に戻り今日のタイトルに、帰結します。
マスメディアや政府関係者、医師会関係者のなかには、上記2
(2)(3)で私が書いたようなことは、そんなこと、重々承知
の方は、多いでしょう。
しかしながら、
組織が決めた行動に従わないと、明日からの生活ができない。
今更、新しい仕事で食べていく自信も気概もない。
どうせ決めるのは、上の方で、自分は無関係。
でも、上は責任を取らないんだよね。
これって、どこにもある話。
自分では、そうでないと思っても、明日以降の生活があるため、
組織に反旗を翻す、「自由な主張」は許されません。
(2)持ちつ持たれつ
どの世界でも、批判する相手が必要です。
相手が想定以上に弱ってきたら、新たな敵を作り出す。
敵を非難することでのみ、自分の存在意義があるのだから。
要は、エロ・グロ・ナンセンス、なんでもいい。
大衆、と言われる層が経済力含め力を持つ時代ですし、
世論や、雰囲気を持つならそれに合わせるべき。
「迎合」でいいじゃないか、日本の同調圧力バンザイ、
といったところ、です。
(3)蛇足で、思いつきの「出版の事例」記載
例えば、ほとんどの新規出版物は無意味と感じている、
出版業界の方はいるでしょう。
新しい出版作品が「古典」を超えるのは、ほどんどない
のは、当人がよくご存じでしょう。
さは、さりながら、プロモーションを打ち、一定の販売を
しないと、その出版の組織で生きていけない、報酬が貰えず、
生活できないとなります。
 
4.最後に
年末になって、いわいる「暗い」話の連発になっていますが、
無理に、「明るく振る舞う」こともなく、自然体で、生きて
いければいいのでしょう。
その点では、飢え死にも迫害も免れ今日の安全を脅かされる
でもなく(安全に見えているだけかもしれませんが・・・)
まだまた日本は、大丈夫かと、思います。

「怖い相手」とは、若さ・捨て身(失うものがない)・未知のもの

1.怖い相手は様々

我々は、何に対して、誰に対して怖いと思うのだろうか。

もちろん「自分の命が惜しくない」人は、ほとんどいないでしょう

し、その意味では生命を危険にさらす「暴力」を保持している人や

組織は怖い。

暴力を言い換えると広義の「権力・強制力」であり、受ける危険は生

命の危険だけでなく、経済的危険もあります。直接的・間接的に権力

を行使されると、抗しがたいことになります。

官僚組織やサラリーマン組織で「カネと人事権」が力の源泉、という

アレです。

さて、以下では、上記の「非常に大きな怖さ」ではなく、自分と同等

か、少なくと現時点では、自分が優位と思われることに対して

「怖さ」を感じることを、つづってみます。

タイトルの通り、「若さ」「捨て身」「未知」の3点ですが、包括し

た論理や網羅的でもなく、例示として受け取ってください。

 

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「若さ」をいろんな局面からイメージ

2.「若さ」が怖いこと

 (1)相手は、知性、教養もちろんこちらにかなわないし、経験値も

当然違う。それでも「若さ」に対して時々怖さを感じることがあり

ます。例示すると、大作家先生と駆け出しの編集者。剛腕オーナー社

長と、若手営業マンにしましょうか。

若手には、説教じみたことに聞こえそうですが、

以下は、昔私が言われてことでもあります。

「社会的地位も、経験値も、それから資産も、圧倒的に貴方より有利

な日々企業経営をしているオーナー社長が、貴方の話を聞くのは、

貴殿のバックにある大きな組織の情報分析力の話を聞きたいからだ。

いわいる名刺の力、看板の力であり、ゆめゆめ自分の力と誤認しない

ように。」ということ。

(2)も一つ若さの話

昔「ドラゴン桜」というドラマ(原作は連載の漫画)がありました。

そこで教師役が、高校生に向かって言う言葉から

君らの未知で無限の可能性に期待なんて、世の中はそんな甘いもの

ではない、勉強して社会の仕組みことを知れ」といった趣旨だったか

とおもいます。

同じく私が思うのは、

「自分探し」と言ったって、たかだか生まれて20年くらいで、蓄積さ

れた「自分」の内部に、探すほどの、モノがあるのだろうか。

いろんな形態があるにせよ、「知識と経験」の習得が必要かと、思い

ます。

(3)さて、小見出しの趣旨「怖さ」ですが、

「若さ」を失った人に対して「可能性がもたらす恐怖感」を与える

ことはできそう、ということ。

つまり、「若さ」に対する、年長者の恐怖感です。

このままいくと、早晩、追い越される、自分が役立たずになるとい

う、経営者としての恐怖感、といったところでしょうか。

そしてその怖さは、順繰り巡っていくというか、過去からずっと巡っ

てきた、ということでしょう。

  

3.「捨て身」の相手に対する怖さ

いわいる「反社会勢力」の組織の中で相対的に地位が低い人に対する

怖さです。

一般論でいうと、ある程度の年齢となり「社会的地位」というか「社

会のなかでの自分の居場所」を確保すると、その位置を「守っていき

たい」と思うのは、ヒトの常。

自分にとって大切な人を守っていくためにも、こういった「社会のな

での自分の居場所」を保持したいのですが、それを壊そうと捨て身

でかかってくる人(組織)は怖い。こちらに「失いたくないもの」が

あり、相手に失うものがないとすると勝負は、極めてこちらに不利と

言えます。

 

 4.「未知のモノ」に対する怖さ

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」ですが「未知のモノ」に対する「怖

さ」は、誰しもあります。

昨今の「新型コロナウイルス」に対する怖がり方で、よく聞くのは

新型コロナウイルスは未知のものだ。いまだにワクチンができな

い」ということです。

おそらく人類に未知なウイルスはたくさんあり、「withコロナ」どこ

ろか、有史以来人間は、ウイスと共存してきた思うのですが、今日は

反論の多くを書きません。

「未知」だと感じるものに、ヒトは大きな「恐怖心を抱く」という事

例でした。

 

5.まとめ的に

一般的に、生まれて乳児幼児のことは「怖いもの」が少なくて、だん

だん社会性を帯びるについて、中高生くらいから、57歳くらいまで怖

さの対象は、刻々と変わるものの「怖さの定量」が、高い状態で続い

ていき、老人となるについてまた少しずつ減っていく、と考えていましたが、どうもそうでもなさそう。

年齢にかかわず、怖いものがたくさんの人も、そうでもない人もい

て、 結局本人の気の持ちようでは、ないでしょうか。

はなはだ、尻切れトンボ的な幕引きとなりました。

ここで、終わります。

「AIは人類に取って代わらない」との見解の、1年ぶりの再論

1.昨年11月時点の情報

昨年の11月18日ですが

 人類の起源、宗教の誕生  

ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」

山極寿一/著  小原克博/著  平凡社 2019.5

という本の、引用と感想を書いています。

1年以上経過したわけですが、AIに絞って、私がアクセス

できる範囲の情報で、変化を追ってみたいと思います。

まずは、昨年の引用から

 

 本書の対談が5章に分かれ、第3章で特にAIについて

触れています。

第1章 人類は「物語」を生み出した

第2章 暴力はなぜ生まれたか

第3章 暴走するAIの世界

第4章 ゴリラに学べ!

第5章 大学はジャングルだ 

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AIも得意・不得意がありそう

 2.AIについてピックアップ 

本文から私がハッとした部分を引用し、蛇足ながら( )に私が

コメントしています。太字も私です。
ホモ・サピエンスの言語の特徴は類推する、比喩の能力(P24)
(この類推する力こそ、体力に勝るネアンデルタール人を駆逐する力、
「想像力こそが他の動物との違い」(P26)と述べています。)
   
・長く存在している宗教集団は、ほぼ例外なく、多様な集団の
 形態を持つ(P32)
  
・人々の規律や共同意識を形成するのが宗教(の役割) (P69)
  
世界宗教は例外なく抵抗勢力P71)
(最初はまず抵抗視力、それがしだいに権力を持つようになると・・)
  
  
・ 宗教が人々の共同幻想になり、そこに生きる意味を付与される
 と、力が必要になる。
その力を求めると、今度は逆に個人の犠牲を求める
 
 ・AIはデータを集めて処理する検索エンジン
全体的思考とか「可能性を見抜く」ことはできない
確率論で人と付き合うことが、本当に人間といえるか (P107)
 
・偶然性に対する耐性や、偶然性を受容する力を
 現代人はかなり失っている (P109)
 
・身体をもたないAIから主体性がでてくるかどうか (P114)
 
 
 ・人間が生きる意味についてAIは答えられない
 今ある特化型AIは、人間の設計したアルゴリズムのもとに
動いているから
(確かにその通り、ただ、特化型AIから、進化して汎用型AIと
 なったらどうなのか?)
  
  3.昨年11月時点の感想
 まとめとしては、
・  農耕による定住生活以前から神殿を作っていたようだし、
  文明の誕生以前の人類にも宗教的な思考は存在していたようだ。

・「神や仏を信じる力」は、不在者をどう捉えるかから、生まれた

 ようだ。

肉体から離れた意識は存在しないし、AIは、人類に取って

 代わらないではないか

といったところでしょうか。

 私見としては、総論賛成、各論反対でなく、大部分の主張に同調し

ます。

ただし、汎用型AIに、どうも生身の人間がとって変わられそうな

一抹の不安が、私には、あるのです。 

 

4.直近アップの資料から

AI(人工知能)は、結局のところ人間を超えることができるのか? | 人工知能(AI)搭載キャラクター「さくら」による接客システム

引用するのは、2020年6月22日アップのまとめ記事。

無論、これが100%正解とは、誰にも言えません。

一つの見解として、引用します。

 (人工知能)は「人を超える」ことができていたか?

ここまで、実際にAI(人工知能)が色々なところに使われていること

を紹介しましたが、「人を超える」の定義3項目はクリアできたのか、

1項目ずつ見ていきましょう。

 (1)まず一つ目

「人より効率的に素早く作業を処理することができるか?」

これは、今の時点で「超えている」といって差し支えないと思います。

 具体例: 膨大なデータを処理するのは、人よりも機械の方が向いて

います。よってビックデータの処理についてはAI(人工知能)の方が

向いています。

 

 (2)二つ目

「人と同じように物事を考えて判断して処理することができるか?」

これは、将来的に「超える」と思われます。

現時点では、物によって難しいものはありますが、膨大な教師データ

を元に、正しい基準を学習していけば、より複雑なことも判断するこ

とができるようになると思います。

 

(3)三つ目

「人と同じように新しい創造してすることができるか?」

 これは、現時点である技術の延長線上では「超えられない」と考え

ます。

 「TEZUKA2020」は、新しいマンガを人との協業とはいえ作り出し

ています。その延長線上には、新しい創造があるように思えますが、

なぜ、「超えられない」になるのでしょうか?

それには、「TEZUKA2020」に使われた技術を説明させてもらう必要

があります。

キャラクターの作成を例にしますが、AI(人工知能)が新しい手塚

治虫タッチのキャラを想像したのではなく、手塚治虫の絵を教師

データとして取り込んで、そのデータを元に「人間らしいか」

手塚治虫の絵の特長があるか」この2点を条件の特長を持ったパタ

ーンの絵を判断して抽出したため、新しいものを創造したとはいえず

「超えた」とは言えないのです。

 

(4)以上のことをまとめると、

人工知能は人間を超えることができるのか?」ですが、

作業など同じことを繰り返し行う処理に関しては、人を上回ること

できるが、新しいものを生み出す創造性の部分については、

今の技術の延長線上では人を超えることはないと考えます。

ブッダの毒舌(読書感想文もどき)逆境を乗り越える言葉 私は仏教好み、一神教はニガテ

ブッダの毒舌   逆境を乗り越える言葉

著者       平野純/監修  

出版者    芸術新聞社 2017.9

1.概要

人間ブッダのナマの人生観を伝える“容赦ない”名言集。逆境を突破し

得た者のみが発せられる、迫力ある言葉の数々を収録する。

章立ては

世間、プライド、財産、愛情、家族、神、死 です。

 特に、家族についての章は、なかなかそう簡単には実践できないし、

もろ手をあげての賛成とは、なかなか難しそうです。

物理的に「家族を捨て去る」ことは、非常に難しいのが現実。

しかし 悟りをひらくまで様々な苦悶や苦労があったブッダの言葉は、

「人間味にあふれて」いる、という表現が使えるでしょう。

 

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2.本書からの抜粋

世間について悩む者は、まず「ありのまま」を見よ。
感情にまけるな。
負けそうになるときは「ありのまま」を見る力を奮い起こせ。
「ありのまま」を見る力、これこそは最後の救いになる。  P14
  
経験を積むことはプライドを正当化しない。
経験に学ぶことがプライドを正当化する。
経験とは失敗がもたらす教えの集積のことである。
失敗に学ぶことを拒否する人間は、
つねに論争を堂々めぐりにおとしいれる。     P45
 
「私はこれを得た、あれを得た」と誇る人がいる。
貨幣、金銀、家や土地---
この世に財産と呼ばれるものは尽きない。
が、それらもすべて死が奪い去ってゆく。    P51
 
 あらゆるものは芭蕉の茎のように実体を欠く。
どうして愛情だけが例外であろうか。      P85
 
家族に救いを求めるな。
それは執着を生む。
執着なき自由に救いを求めよ。  P92
 
家族があの世で幸福になれたかなどと悩んではならない。
死後の世界については知る手段がないからだ。
わからないことをあれこれ悩んでどうするのか。
よりよく生きることだけを考えよ。     P103
 
かれには気がつくと子供も妻も親もない。
得た物も捨て去った物すらない。
苦しみはもはや彼の戸を叩かない。
かれは自由という最後の落ち着きを得てしまった。  P108
 
 肉親について色々と思いをめぐらしたところで、
結果は思う通りにはならない。     P110
 
神の前で呪文を唱え、火を燃やせば
罪業が浄化できるのだという。
もしそれが本当ならば、いつも火を扱う鍛冶屋は、とっくに
悟っているだろう。     P121
 
私の教えは「不死の境地」をめざす教えである。
「不死」とは霊感の不滅のことではない。
霊魂の不滅を論じるのは無意味である。
この世において得られる「ゆるぎない安息」、
それが「不死」の意味である。  P147
  
だれもが老い、そして滅んでゆく。
死をまぬがれる人間はいない。
この「ありのっま」の事実は受けいれがたく、人間の難所
となる。
死の不安、それは」人間にとって最も手ごわい迷いである。
この難所から自己を救い出せ。
像がはまりこんだ泥沼から我が身を脱出させるように。 P154
 
  3.私が考えていること
 (1)まず、本書の「おわりに」から引用します。
 ブッダという人物は決して完全無欠な人物ではありませんでした。
欠点だらけの一人の人間として生きたかれが、ふりかかってくる
難題の数々をどう切り抜け、逆風をはねかえしたか、それこそが
本書の監修者として私がたずねてたみたいことでした。
その勝手な問いかけの一々にブッダがどう答えたか。その中身は
すべて本書に詰まっています。  P158
(2)誰しもそうですが、自分と波長の合う考え方しか、受け入れな
くなります。
私は、宗教を考える際、絶対的な力を持つ神、厳しい厳しい天父心
はニガテです。つまり、ユダヤ教キリスト教イスラム教に見られ
る「神」や、最後の審判概念は「にがて」ということです。
どうも、しっくりこない。
一方、「人間」として苦しんだ「ブッダ」は好みであるし、中国の諸子百家(特に韓非子孫子)、「人間的な」ギリシャ神話の神々、日本神話の神々は、好みです。
ヘンな言い方かもしれませんが「苦悩する人間」に非常に惹かれます。本書に書いてあることは、「当たり前」のことばかりに思える
のですが、自分で感じる「当たり前」がなかなかできないのが、また
人間かと思います。