中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

ちょっと気になった言葉 考えるきっかけとしての読書(スクリーンとしての読書) 

1. 二度目の出会い

「読んでない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール)

という、いかにも「そそりそう」な本が昔あって、本屋で実際手に取

って(持ち論日本語訳です)パラパラめくってたことがあります。

少し読んでは見ましたが、私の理解力の点で、及ばなかったのでしょ

う。署名以外は、記憶に残っていません。

今回、「メディア論の名著30(佐藤卓己著・ちくま新書)」を読み

ました。オオトリ、30冊の紹介で、同書を発見。

「読書案内」ながら、私にとって「二度目の出会い」となり、解説付

きで、今回は理解できました。原文にあたらず、「紹介の紹介」とな

りますが、少し見てみます。 

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2.読書について(本文から抜粋)

(1)①バイヤールは読書の厳格主義を三つの規範から定義

 「神聖な読書」「通読」「正確な再現」の義務

この規範は読書への自己欺瞞を生み出すために有害  P328

(2)著者の先生の言葉から

「わからないことがあるのは当然だけど、そこで詰まる必要はない。

しょせん、論文で使えるのは、自分がよく解っていることだけなのだ

から」  P329

(3)厳格主義の規範からすれば「読んでいない本について堂々と

語る」講義を私は実践していた訳である。(中略)

読書とは本質的に不完全な情報行動である。流し読みはもちろん、目

次を、いやタイトルを眺めるだけでも「読んだ」と言えるのではないか  P330

(4)実際、私たちが書物を話題にする場合、すべて読了したうえで

論じているのだろうか。(中略)

自分の考えを語るきっかけとして、あるいはそれを補強する素材とし

て書物を引用することが多い。そのために流し読みが実践され、書評

など他人の言説も活用される。バイヤールは、それを話者が自己を投

影する「スクリーンとしての書物」と呼ぶ。 P331

(5)こうした書物への自己投影を繰り返すことで個々人は「内なる

図書館」をそれぞれ持つようになる。この「内なる図書館」をアイ

デンティティの中核とする人間こそ読書人であり、その集合的イメー

ジ「共有図書館」が教養の主観的実体なのである。  P332

 (6)こうした公共圏において重要なのは、書物、すなわち「他人の

言葉」を通じて自分自身について語ること、つまり自らの「内なる書

物」を著すことへの試みである。まだ読んでいない本とは現前する

「他者」であり、それについて語ろうとする試みは自己発見の可能性

を秘めた対話的コミュニケーションなのである。

(7)重要なのは、読書そのものではなく自分自身について記述する

ことである。p334

(8)読んでいない本についての言説は、自分自身について語るこ

と、すなわち読者が自ら創作者(著者)になるプロセスに開かれてい

る。(中略)

この「メディア論の名著30」を私が書いている目的も、まず、「読者

が自ら創作者(著者)になるプロセス」を自らの体験として開示する

ためであり、それは読者との対話を成立させるためなのである。

P335

 

3.電子書籍についての考察

①蔵書としての読書履歴が蓄積される紙の書物は例外的なストック・

メディアである。

②紙の本で読者は「他者」の全体性を自然に体感することができた。

しかし電子ブックで読者が対面するのはいつも同じモニターに映るま

とまりを欠いた文字データ、その断片的なデータからリアルな「他

者」を再構成する作業は難しい。

③電子ブックの読者では「他者」との対話を必要としない自己中心的

な世界に逃避しようとする誘惑も強い。

④デジタル空間では「共有図書館」、すなわち教養のイメージがます

ます貧困化していく可能性も否定できない。創造的な教養人の公共圏

を守るためにも、紙の本の保護政策はやはり必要なのだろう。

 

 4.今回の感想

 原典でなく佐藤さんによる「読書案内」ですが、やはり私には難しい

点も多々。

ただし、読書に対する姿勢としては、いいとこどりで、自分の姿勢を

再認識。つまり、解る部分しか解らないし、自分なりに考えるきっか

けを作ってくれるのが書物である、読書という行為だということ。 

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トランプ残念 1月20日で一期目終了 本人は「始まったばかり」と頑張る

1.大統領就任式
(1)時差がありますので、日本時間は深夜?1月21日?でしょうが、1月20日は米国斉藤亮の就任式のようです。
結果は、ご存じの通り。
いわいる「トランプ支持者」だけでなく、一般的な「常識人」にとっ
ても、「してやられた」、「勝てば、官軍」、「死人に口なし」とい
った言葉が、浮かぶでしょう。
私の意見を再度書きますと
権力を握る手段はいろいろ、ということ。
現代社会では、明らかな殺人・すぐバレそうな不正は、主流では、な
いですが、権力を握るために、もしくは権力維持、権威保全既得権益を守るために、ありとあらゆる手段を、人は使う、ということ。
「不正」を正すために、こちらが「正統な手段」に限定していては、負けてしまう、こともありそう、ということ。
(2)結果は、結果として流れていきます。
さて、その次に何が起こるか、否、もう起こりつつあるようですが、
私なりにしっかり見ていきたいと思います。

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今回も、アメリカ合衆国の国旗
 2.言論統制

ツイッターの件、それに続く数々の事件は、アメリが合衆国で、ソフ

トでない見え見えの言論統制に、あんぐりといったところです。

ココは政治主張ではトランプさんの「天敵的」である、ドイツ

メルケルさんを引用します。 

それは暴挙でしょう、といった感じで以下のコメントです。

メルケルは11日、ツイッターがトランプのアカウントを永

久凍結したのは「非常に問題がある」と報道官を通じ てコ

メントした。

言論の自由という基本的権利はソーシャルメディアプラッ

トフォームの経営陣の決定に従ってではなく、法の支配と

政府によって判断されるべきものだとの考えを示した。

 トランプのSNS締め出しに欧州から批判 テック大手への警告か | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

3.過去の業績振り返り

トランプ大統領の過去4年間の功績は、いたるところで言及され

ていますが、私も3つばかり、ショートコメント

大統領令を発して「一つのルール・規制を制定するさいは、同時に

二つのルール・規制を廃止せよ」というもの。日本に限らず、世界各

国でなかなかできていない。「岩盤規制」という言葉も人口に膾炙し

ています。

規制緩和は、裏を返すと既得権剥奪であり、「既得権益側の恨みをか
う」というのは、ごく当たり前のことでしょう。
②大統領任期中の4年間戦争をし無かった。
中東和平を含め、外交問題も大きな成果だと思います。
戦争がないという子とは、軍需産業には、大きな痛手であり、このサイドの「恨みを買う」のも、よく解ります。
いわいる「ウォール街」も、こちらサイドに近いでしょう。
 ③治安の維持、インフレ抑制
安全に暮らせて、腹いっぱい食べて、というのが生活の要望であり、政治の基本。
詳細は避けますが、国境の壁をつくり不法移民流入を抑え、失業率を最低に抑え・・・
りっつぱな構成だと思いますよ。
 
4.今後も頑張る
トランプ氏発言については、言論統制含めいろんなバイアスがかかり
私がちらりと見たニュース記事が、今後再生できるかは分かりません。かいつまんで書くと
・「不正」との闘いは、終わりではない。
・始まったばかりである。
とのこと。
何を注視か?具体的な手法は?実効性は?いろんな論点は、あるでし
ょう。
米国一国のことさえkではなく、日本にも大きな影響かと、私は思っています。

街道をゆく 台湾紀行(読書感想文もどき) 司馬遼太郎の筆がさえます。

  街道をゆく 40  台湾紀行

著者       司馬遼太郎/著  

出版者    朝日新聞社 2005.3

1.概要

40巻は、「ふるくは国主なき国」だったが、「奇跡」を経て「本島

人」の国になりつつある変革期の台湾を歩き、「国家とはなにか」を

司馬史観」にて、考えています。

私は台湾モノは、よく読んでいます。

本書は、1994年11月の初版ですから、もう四半世紀前の台湾ですよね。

その司馬さんは1996年に死去し、李登輝さんも昨年亡くなりました。

 米国、台湾、中国をめぐるの昨今の政治情勢も注視しています。

海外事情で、私の最大関心事の一つです。

私の今回の台湾モノは、「司馬遼太郎語録」みたいになってしまいま

した。

  

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2.本文から引用

日本時代は、太平洋戦争の敗戦で台湾を放棄するまで50年続いた。

私は日本人人だから、つい日本びいきになるが、余分な富力を持たな

い当時の日本がーー植民地を是認するわけでないにせよーー力のかぎ

りのことをやったのは、認めていい。国内と同様、帝国大学を設け、

教育機関を設け、水利工事を起こし鉄道と郵便の制度を設けた。

P17

 

現代中国の統一者である毛沢東も、漢の武帝と同様、一思想をもって

統一を維持しようとした。(中略)

もっとも、武帝の世とは違い、毛沢東のやり方は苛烈だった。かれの

教説に沿わない者は、殺されたり幽閉されたりした。この点では、清

朝よりもさらに”古代”だったというほかはない。  P57

 

(以下李登輝の発言)

「まして自分が権力そのものになるのではなくてここ(机の上)にお

いて、権力を客観化して、・・・・つまり実際主義でもって、権力か

ら役に立つものだけをを引き出せばいい、と思っているんです」とい

った。

多年、そのことを考えてきたらしく、一気の述べた言葉がすべて体温

を帯びていた。

しかも言い方が初々しく、若い研究者が、実験装置を前に、学問とし

てその主題を語っているかのようでもあった。すでに齢をとり、七十

位もなるこの人がである。 P82

 

(以下李登輝の発言)

「植民地に対しては、宗主国というのは、自国のいいところを見せた

がります。シンガポールに対する英国もそうでしたし、台湾における

日本もそうでした。」 P86

 

児玉源太郎後藤新平が、日本領時代の五十年間の台湾の行政の基礎

を作ったといっていい。 (中略)

ただ、この二人は、人間として面白かった。

二人を語ることによって、明治のにおいの一端をうかがことができる

かもしれない。  P131

  

漢民族世界は、孔子が音楽好きであったように、古代は音楽がさかん

だった。

歴代の王朝は、宮廷に伶人(楽官)を抱え、華麗なものだった。とく

に唐朝の国楽が日本に影響して雅楽になった。

ただ、漢民族世界は、王朝が亡ぶたびに、音楽も亡んだ。前王朝に

つかえた伶人が、殺されるのを避けて逃げてしまったからである。

 P203

 

人間は、一個の精神のなかに、子供と大人を同時に持っている。子供

の部分で恋を語り、芸術に接し、科学・技術や芸術を創造する。さら

には正義を語る。

だからこそ大人は、終生、自分の中の至純な子供をひからびさせるべ

きではないのだが、その方法は少年少女期の教育にある、と伊沢は思

ったに違いない。  P205

 

 滞仏中、刻苦勉励している古市に下宿の女主人が同情し、すこし休ん

だらどうか、というと、古市が「自分が一時間休めば、日本が一時間

遅れる」といったという。  P245 

(michiコメント)

 今どきの凡人が話そうものなら、厭味ったらしいですが、日本の創造

者の気概があった当時の留学生の、本心の吐露だったのでしょうね。

 

山地人は、若い人はともかく、諸族間では言語が通じない。だから

諸族間の交渉は、今なお日本語が用いられるという。この地球上で、

日本語が”国際公用語”(?)である唯一の例は、台湾山地人の間でし

かない。 P290

 

もう少し非学問的な空想をつづけると、”高砂族”と日本時代に呼ばれ

てきた台湾山地人の美質は、黒潮が洗っている鹿児島県(薩摩藩)や

高知県土佐藩)の明治までの美質に似ているのではないか。

この黒潮の気質というべきものは、男は男らしく、戦いに臨んでは剽

悍で、生死に淡泊であるということである。 P291

 

花蓮はいいまちである。ただ、ほとんどのまちの人達の家祖がここ百

年来の移住者だけに、移ってきたときの悲しみが、まだ乾かずにい

る。準造氏は、そういう悲しみを小石の中から見出そうとしているら

しく、拾っては袋に入れていた。 P380

 

3.読後感から

偉そうに言いますが、引用個所を含めて、かなり知っている話が多か

ったのですが、司馬遼太郎さんの手にかかると、こんな解釈や表現に

なるのかと、感じ入りました。

何事もそうですが、一見同じことを聞き、同じことを見ていても、受

け手の内部にある者で、相当変わってくるのかと、改めて思いまし

た。

なお、児玉源太郎と、後藤象二郎は、台湾でも台湾以外でも、私の好

みの人物です。

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メジャーなメディアに、久々同意したい報道あり トランプでなくコロナです

1.1月16日の新型コロナへのある報道

誰しもそうですが、自分の見たいものしか見ないし、聞きたいものし

か聞かない、傾向があります。

私の関心があることの二つが、新型コロナ報道と、米国大統領選挙報

道なのですが、いわいる「メインストリーム・メディア」の姿勢に、

気分が悪くなっている日々です。

さて、私にとって「メジャーなメディアで、久々同意したい報道」

が、ひとつ有ったので紹介します。

メジャーというのはネットのNHKニュース

医療崩壊ということばが盛んに言われているが、97%、96%のベッ

ドがコロナに使われず、一般の医療に使われており、余力が日本には

ある。

②民間病院が、商売として『コロナをやりたい』と思うぐらいの

インセンティブをつければ、日本の医療体制は瞬く間に強化される。

 菅首相 医療人材や病床確保めぐり大学教授と意見交換 | 新型コロナウイルス | NHKニュース

時間場所は、16日午後、総理大臣公邸、

発言者は、東京慈恵会医科大学で対コロナ院長特別補佐を務める

大木隆生教授です。

 

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2.私が思うこと

(1)前半①「日本に余力あり」は、私はよく聞く話で、同感です。

報告数字が正しいとすると、日本の新型コロナ重篤者、死亡者は欧米

先進国と(同じ人口比較で)ケタ違いに少なく、医療のインフラも同

等以上に充実しているそうです。

(本当の死因が新型コロナか、重篤の主要因が新型コロナか、と言っ

た本質的で重要な話かと思いますが、ココでは、触れません。)

この数字を前提とすると、医療崩壊と騒ぐほうが変で、システムの運

用がうまくいっていないこと露呈しているだけ、だと思えます。

NHKニュースが取り上げたのが、意外感があります。

そのNHKニュースのなかでも注目度があるようで、ランクインして

います。

「解っている」人も相当存在しそうです。

(2)後半②の「民間企業にインセンティブ」は、正直でよろしい、

と思います。

「医者は、カネで動く」ということを典型的に表しています。

医者に限らず、どの世界の「カネ」でしょうが・・・・。

私が、一社会人として思うのは「緊急事態」とやらで、飲食業者や

旅行業者、それを取る川上・川下の人々等にピンポイントで圧力をか

けるなら、医者にも圧力をかけてほしいと、政治に頼りたいところ。

ただし、お金はなるべく値切りながら・・・・。

(3)上記報道とは別の「おカネ」の話

何をやるにしてもおカネが必要、その気持ちは良く解ります。

私の1月12日のブログですが

今回の緊急事態宣言の意味について

 地方自治体は、飲食店の営業時間制限をして、「自分は仕

事していますのパフォーマンスをやりたいのだが、休業補

償証するお金がない。これを引き出すために『緊急事態宣

の発令』が必要

 と書いています。その後1都3県だけでなく続々と「緊急事態宣言」

のようです。

どう考えても「地方自治体」より「日本国政府」のほうが、資金調達

は得意そうです。

地方に、資金調達手段は限られていますのもね。

「カネの切れ目が縁の切れ目」でなはいですが、

首根っこ押さえられ、「国におんぶにだっこ」は、仕方ない面もあり

ます。

隗より始めよ、再論 新型コロナの件です 「緊急」なら本質的対応を

1.コロナ報道と対応への提言

先日1月8日アップのこのブログで、行政やマス・メディアの新型コ

ロナ対応について隗より始めよ」として、書きました。

本日再論とそして、直近感じることを加筆して、再掲載します。

「緊急事態宣言」が1都3県適用かと思ったら、拡大されてしまいま

した。

(1)テレワークは、国会始め議会から率先してやるべき。

 国民にテレワークをやれと指導、強制するなら率先して、議員であ

り、行政官からでしょう。
②東京都の首長は65歳以上のようだし、国会議員も地方議会議員には
後期高齢者も多そうです。
つまり、国会ほか、議会もリモートで文章中心の議論とし、オンデマ
ンドで、時間の制約を外して国民が視聴できるようにすればよい。
 そんなことを進めると、自分が何をやっているか、無理矢理開示を求
られ、「仕事をしていない、必要とされていない」ことが判明する
ではないかとの、立腹は、十分想像できます。
といった、趣旨を書きました。
日にちは立っていますが、考えは全く変わっていません。
新型コロナの「感染者」が減らない、「緊急事態」なのに緩んでいる
といった、報道を目にするにつけ、行政や大手マスメディア躍起にな
っているようですが、同調圧力が強い日本とは言え、行政の「指
示」、「お願い」に対して「しらけ気味」の感は否めません。
上記「隗より始めよ」、「言い出しっぺの貴方からやったら?」との
意識の感じてしまいます。
(2)医療崩壊、行政でもないのに国民に「指示」しそうな医師会
誰しも素直に思うのは、
医療イン蔵も充実、欧米とケタ違いの数字で医療法化が起こるわけは
ない起こるとしたら、制度ミスでしょう。
ほんとうに何心配なら、メディアの前でしゃべっていないで、貴方が
診療したら?
医者なんでしょ?と思ってしまいます。 

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今日もウイルスイラストのします
2.マス・メディアと行政担当に一言
(1)マス・メディア
8割削減、不要不急、3密を報道するなら、「隗より始めよ」で、自
らが自粛したら?
報道時間を8割ほど削減したらいい。
自らの仕事は、「不要不急の仕事」ではない、と思い込んでいるよう
で、他の仕事とは違う、と信じ込んでらしいようですが、まことに
滑稽です。
こちらこそ、「不要不急の仕事の典型」に、私には思えます。
取材や、記者会見や、何やらで、「密」を作っている一つの元凶では
ないのでしょうか?
受け売りですが、どうせ「煽る」なら毎日日本国内の県別および全体
を報道するときに、同じ記事で主要各国及び都市での感染者数と死亡
者数を報道したら、よいと私も思います
(2)行政の担当者(国も地方自治体も)
テレワークの件は、重複するので、書きませんが、
記者会見や、集団での会議、1都3県の知事が、首相官邸に押しかけ
ている映像もありました。
彼等の心理状態が見えるようです。つまり、自分の仕事は三密や不要
不急を超越した崇高なものでヒトを集めてやらざるを得ない、という思い込み。
国民がしらけるはず、です。
7割削減、8割削減を言うなら、まさに隗より始めよで、自らがテレ
ワークをすればよい。
もう一つ嗤ったのは、どこかの知事が複数のお供を引き連れ「夜の
街」を徘徊して「お願い」の紙を、飲食店の店員に渡していた。
もう、コメントのしようがない。
ネットでニュースを見たら、ある自治体の首長が外出が多い、自粛が
少ないと、どうも自分は役所を背景にしゃべっている様子。
本人が自宅にいたら?自宅から話すのであれば、少しは納得するので
すが・・
 
3.また引用、「医療崩壊」から
ネットを見ていたら、「冬のコロナ大感染、わかりきっていた危機に
なぜ日本は対応できなかったか」との記事がありました。

私の考えもこれに近いもの、一部割愛、要約、引用させてもらいま

す。 

・連日のように「医療崩壊」が叫ばれる中、政府が「民間病院の協

力」を呼びかけている。

・「そんなことになるのは、前からわかり切っていただろ」と呆れる
方も多いのではないか。
・ 医療に限らず、日本ではこういうことがよくある。
迫り来る「危機」を前にして、「変わらなくては」「改革が必要だ」
という声だけは上がるが、政治に影響力のある団体がそれを骨抜きに
する。
弱い立場の人間が苦しみボロボロになっても、「がんばれ、がんば
れ」と精神論を唱えるだけで「現状維持」に流れるのだ。

多くの人の犠牲でどうにか「危機」を乗り越えた後も、喉元過ぎれ

なんとやらで、構造的な問題にはなかなかメスが入らない。

だから、またしばらくすると同じような「危機」が再発する。

 

4.最後に

愚痴のオンパレードで、読んだいただいたのに、全く面白くなくて、

申し訳ありません。

読後に爽やかさ、活力を与える文章を作りたいのですが、そのために

まず「話題」の選択ですね。

文明のなかの科学(読書感想文もどき)久々の村上陽一郎さん キーワードは寛容

文明のなかの科学

村上陽一郎/著  

出版者    青土社 1994.6

1.概要

著作(翻訳でなく)は、久しぶりに、村上陽一郎さんを取り上げます。

「死」の臨床学(読書感想文もどき) 実体験と広い教養ベースの村上陽一郎氏の深い思索 - 中高年michiのサバイバル日記

一昨年の11月20日「死」の臨床学 以来となります。

本書は、1994年の著作ですが、村上陽一郎さんのたくさんの執筆の

テーマが、この本に網羅・集約されている感じです。

「科学」「技術」の誕生、日本における科学技術、文明と文化、

近代文明とキリスト教、科学革命、寛容の徳、多元主義といった、

議論です。 

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硬めの本に、この本棚イラストはお気に入り

2.本文からの引用

科学者とは、良くも悪くも、まさしく、近代社会が生んだ産物

である。 (中略)

近代社会とじゃ、産業革命と市民革命を経、私の言う「聖俗革命」

を経た19世紀的ヨーロッパ社会を指している。  P31

 

キリスト教の絶対的な唯一性が、社会の「常識」として存在して

いるときに、少なくとも「多元的な」価値の存在を説き起こした

ロックの『寛容についての書簡』の持つ当時の社会における意義は

高く評価されてよいし、それは決して、単に歴史のなかの出来事

として見過ごすことのできない、現在性を持っているように、私に

は、思われる。  P207

 

 仮に、全世界が、西洋近代文明の主張するように、近代文明化すべ

きものであり、かつ実際にそうなったとすれば、そのことは、資源、

エネルギーその他あらゆる面で、近代文明が崩壊することにつながる。

それが、現在のいわゆる「環境問題」と言われるものが、我々に教え

るところの教訓の一つである。   P227

 

文明とはまず文化の一つの形態であって、自らの文化を自らのなかだけ

にとどめず、他の(周辺の)諸文化にも強制しようとする意志を持ち

しかもその意思を実現し貫徹するための社会的な制度や仕掛けを備えた

ものという定義が正しいとすると、

その普遍化の意志と仕掛けとは、それ自体が二つの意味で自殺的である。

第一:一つ一つの文化の持つ個別性や独自性を無視し、それらを押し潰

そうとするがゆえに、結果的には他の文化の独自性を確立する方向に誘

う「普遍化」への抵抗を作り出し、「文明」の普遍性に否定に動く

第二:一つの文化が「文明」として働くとき、諸文化は否応なくある程

度均されてしまう。したがって「文明」の作り出す所産は、「文明」が

成熟すればするほど明確な特色を失い、「退屈」で「つまらない」もの

になる。  P228-229

 

まさしく原理的にも、あるいはより実際的な配慮に基づく実践の手段と

しても、その双方の場面で『「普遍的・絶対的・唯一の解」の存在を暗

黙に信じあるいは希求してきたこと』を放棄する、という立場にたとう

というのが私の提案であり、それこそが「寛容である」というのが私の

主張である。 P242

 

文明の普遍主義と文化の多元主義、しかも文明も文化もともに、その普

遍主義と多元主義それ自体を主張することにおいて文字通りアンビヴァ

レント(二価試行的)に硬直化しているような状態に対して、すべての

価値を考慮した判断や、あらゆる要求を前提とした判断は不可能である

 P243

  

ただ一つ、われわれが世界に向かった、発信できることがあると

すれば、それは、多元主義のなかでの問題処理(「解決」ではなく)

の手続きに関わる機能的概念(「道徳的」価値ではなく)としての

「寛容」ではないか。

そんな思いが、この本へと私を駆り立ててきた。私にとって、その点

で、珍しく、非常に「政治的」な視点を孕んだ書物になった。 

(P250 あとがき)

 

3.本書の感想文

(1)冒頭のリンクの「死の臨床学」では、私は以下のような、

感想を書いています。

全体通読して、村上さんの子供世代にあたる私ですが、

改めて重い現実を突きつけられて、再認識させられた

た感じです。

本書は、80歳をすぎた村上さんが、深い教養と、現場

目線双方をもって書かれた、稀有な本かと思います。

(2)本書は1994年、彼が58歳ときの出版のようですし、学者と

しての集大成の頃でしょう。 

然るべき年齢で、しかるべき著作(学術書、専門書でなく、私が

読めるような一般書)を残せるということは、それはうらやまし

いことに思えます。

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情報統制の時代になってしまった? 「仕事人」の高齢化は続く?

1.情報統制の時代?

(1)長い視点、まとまった考えの整理、知識の取得、じっくり

思索するヒント等々の意味で、情報源としての書籍の役割は、変り

ませんが、即時性、現在進行形把握の意味で、いわいる新聞、テレビ、

インターネット等の情報メディアの役割は欠かせません。

私は、ここ最近、新聞の紙媒体に欠ける時間は減りましたし、テレビ

も文字情報の形でネットで見ることが多いです。

お気に入りの情報源として、ほとんどGoogle検索経由、Youtube経由

で取っているのが現状です。

(2)ご案内のように、今回の国会議事堂侵入報道を契機に米国トラ

ンプ大統領はじめ、いろんな発信元が停止されました。

現実的には、ソフトな語り、分かりにくい形で、以前より情報統制の

話はありました。

(私は、ネットでのNHKニュースを、論調は好みではありませんし、

 正しい解説とはとてもとはいえませんが、事実関係報道はある程度、

信用しています。)

さて、現在私が視聴しているyoutubeの発信者も、番組で表現に気を

つけるとか、配信停止されるかも知れない、といった発言をよく聞き

ます。

1月9日にアメリカ合衆国のまともなメディアは死んでしまったと、

言う人さえいます。

「ジョージ―オーウェルの1984の世界の到来」という人もいます。

(3)正直、私にはまだ実感がわきません。 

もち論、私は、言論統制の時代を生きたことがありませんが、例えば、

小林秀雄を見ても昭和10年代は、「検閲」に引っかかるのを恐れて

いるのが、解ります。

考えてみれば、「自由の意見を言える、発言できる」ということは、

歴史上はまれで、常に時の権力者の意向を配慮する必要があった

でしょうし、現在でも、いわいる全体主義国家にあっではそうです。

しかしながら、ほとんどの時代、厳しい「統制社会」を逞しく

生き抜いてたわけですので、現在人も頑張らねば、と思います。

これが本日の結論でしょうか。

また、何ごとそうですが、厄介なのは統制が、目に見える形、自分が

感じることができるものと、よりソフトというか、統制されているこ

と自体が分からないこともあるでしょう。  

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「情報統制イラスト」はなく、「人の意識」を表現

2.頑張る高齢者

(1)米国の政治報道をずっと、継続して追っていて

ふと、米国民主党ナンシー・ペロシ氏の年齢が気になりました。

今回の選挙で、下院で民主党議席を減らしたにもかかわらず、議長に

再選、されたようです。

1940 年3月生まれの御年80歳、頑張りますね。

そう言えばバイデン氏は78歳、日本の政治家で自民党幹事長の二階

俊博氏は81歳?

 終身独裁的な、中国毛沢東や、北朝鮮金日成金正日ではなく、

民主国家で選挙による洗礼をかいくぐってですから、敬意を表します。

生物としてのホモ・サピエンス観点で、いくつまで、現役第一線でい

られるのだろう。「個体差」と言ってしまえば、それまでですが・・・

 (2)このブログをアップするのは1月15日です。

以前は1月15日の「成人の日」でした。

「成人式の定番」は、この20年30年変わってはいないようですが、

今年は、「新型コロナウイルス」の影響が、いたるところで報道

されています。、

単純計算で、20歳で社会人となった押して、80歳まで頑張ると、なん

と60年も現役。

医療体制のの充実含め、いろんな「恵まれた」環境があるとはいえ、

上記80歳現役組は、やはりすごいです。

一方、制度的には、日本の組織人なら、「定年」との区切りを強制的に

付けられる人も多く、昔は55歳で今は60歳、再雇用でも、第二の人生でも

言葉はどうでもよいのですが、なし崩し的に65歳や70歳まで(一部)現役

として、社会に留まらざるを得ないでしょう。

(3)最後に自分ごと

「高齢者」の子の身見出しに、入れるのは何ですが、そのうち私も「前期

高齢者」となるでしょう。

上述の80歳現役組を目指すとはいきませんが、いましばらくは、なんとか

社会に働きかけて、居場所を確保する必要がありそうです.