中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

「人類700万年の進化」が教えてくれる理想の食事術(読書感想文もどき)酒の部分は特に印象深い

「人類700万年の進化」が教えて

くれる理想の食事術

NHKスペシャル「食の起源」取材班/著  

出版者    主婦と生活社 2021.1

1.概要

体にも心にもよい究極の「幸せな食」とはについて、 糖質、塩、脂質、酒、美食

いう5テーマで、「人類の進化」の歴史から“理想の食事”を探ります。

NHKスペシャルの取材内容に、朝の生活情報番組あさイチ」の情報を盛り込んで

いる、とのことです。

 解り易い内容でした。 冒頭に、なかなか良い記述があり引用します。

  「健康に良い食べ物は、ブームによって移り変わりものではありません。

  祖先が選びり、命をつないできた食べ物には、きっと意味があるはず。

  私たちは食べ物に生かされ、ここまで反映することが出来たのですから。

f:id:xmichi0:20210407161802j:plain

「食とは何か」を考えることが先決

2.本文から

これまで、遺伝子は何千年、何万年もかけて変わるものだと考えられてきました。

しかし「食」はわずか数百年という短い期間で、遺伝子まで変えてしまう力を持

っているのです。  P55

  

健康長寿効果が高いのは、1975年の日本の食事

  食材が豊富・・・・1960年10.5種類 1975年18.8種類

                             1990年17.4種類     2005年16.9種類

  健康長寿成分の事例

  野菜に含まれるβカロチンやビタミン類、海藻のミネラルやアルギン酸、魚

  に含まれるDHAやEPAなどの脂質、大豆に含まれるイソフラボン、出汁

  やみそ汁などの発酵食品に含まれるアミノの酸    P81

 

 

細胞が活動するエネルギーは、基本的にはナトリウムとカリウムを細胞の中と外に

出し入れすることで生まれる電気の力です。それがなければ、私たちは生きていく

ことができません。

細胞レベルから、塩がないと動けないような体の仕組みになっているのです。

P116

 

オメガ3脂肪酸は、私たちの脳の神経細胞をしなやかにする材料。大量のオメガ3
を摂取した祖先の脳では、神経細胞が柔軟につながり合って、高度なネットワーク
を急速に発達させることができたと考えられます。   P144
 

強いアルコール分解遺伝子を期せずして手に入れた祖先は、発酵した果実を食べ

ても酔っぱらうことなく、栄養を得ることができたに違いありません。こうして

幸運にも「酒酒になった果実」を食べられるようになった祖先だけが生き延びて、

数を増やしていったと考えられるのです。  P178

 

遺伝子の突然変異というのは、いつも突然おこります。でも、その遺伝子がなくな

らずに現在の我々にまで伝わっているということは、強いアルコール分解遺伝子が

生きるうえで何らかの役に立ったからに違いありません。  P179

 

少量でも酔える「アルコール度数の高い酒」を造る技術を生み出した人類が、今で

は逆に「酒からアルコールを抜く」技術を開発しているという面白さ。

それは、酒が時代を超えて「人と人を結び、社会を築く力」であり続けているから

こそ。人類がアルコールの有害性を知ってもなお、知恵を尽くして「酒がもたらし

てくれる恩恵」を守り続けようとしているのかもしれません。  P213

 

舌で感じる味の情報より桁違いに多い「香り成分の情報」が脳の「情報司令部」に

押し寄せます。その結果、人類は味よりも、食べているものの香り、つまり「”風味”

をおいしさと強く結びつけて記憶する」ようになったと考えられるのです。 P226

 

何かを我慢するのではなく、まずはもっと「食を楽しむ」ことに目を向けることが、

私たちにとって理想の食生活に近づく第一歩になるかもしれません。

「理想の食」とは何か。その問いの答えは、ただ「何を食べるべきか」ではなく

「人間にとって食とは何か」を知る先に見えてくるはずです。  P239

  

3.読書感想と私見

読もうとする本の内容の7~8割を知っていて、2.3割が新しい知識、というのは、

読みやすいです。もちろん私に理解可能という前提。

新しい知識といっても、内容が、真か偽かは、解らないものゆえ結局、他の本や
情報源に、たくさん当たって確かめるしかありません。
一方、当たって確かめたところで、理解力の問題で、本当のところは解りません。
たとえば天動説より地動説の方が、いろんな局面で説得力がありそうで、信用し
ていますが、本当にそれが真か偽かは、確かめようがありません。
多くの人がそういっているからそうなのだ、程度でしょう。
哲学などは、自分に理解できる範囲で、なんとか辻褄があって、納得できそうな
部分を、現時点の自分の考え方だと、言っているにすぎないし、量子力学に至っ
ては、細部はさっぱり不明ですが、語っている人が賢そうで私に反論できないし、
なんとなく信用おけそうな、と思っているだけ。
歴史の評価は、あくまで著者の解釈でしょう。
 
と、何事も引いて構える昨今です。

 

何故日本国を応援し、日本人が勝つと嬉しいのか?

1.マスメディア報道の視点

 (1)2021年4月12日のニュースでしたが、
ゴルフの松山英樹さんのメジャー初制覇を報道していました
「日本の男子選手が、ゴルフの海外メジャー大会で優勝するのは
 初めてで、松山選手は10回目のマスターズ出場で歴史的な快挙を
 成し遂げました。」
といったもの。
そんなに追っかけたり、深堀りしたわけではないですが、どこのマス
メディアも、「快挙」として称賛するトーンは同じです。
「明るいニュースが少ない」といったとこころで「幸運」しょうか?
 (2)マスメディアの目的は、注目を集めることであり、ある事件
の発生の蓋然性が低ければ、低いだけ、実際起ると、注目を引きます
よね。それは、慶事弔事惨事どれについても同じこと。
その点では、この松山さんの話は「ゴルフ」という解り易い話だけに、
格好の材料でした。

f:id:xmichi0:20210412160026j:plain

スポーツの日本代表のイメージ

2.なぜ嬉しいか、を探る

(1)正面切って、「無関係な貴方がなぜ嬉しいの?」質問すると、
変な顔をされるのが定番でしょう。
「それは日本人だから、さ」・・・・はい、終わりです。
しかしよくよく考えると、ほとんど大部分の人は、この松山英樹
さんの親類縁者ではなく、精神的につながりの深い関係者でもなく、
また経済的利益を享受する関係者でもなさそう。
果たして、なぜだろう。
今のインターネット社会では、検索してみるとさまざまな意見が
出ており、説得性も様々。
私がなるほどと思う説明に近いのは「日本人である自分の優越感」
の確認との説明。
三段論法的に、
   良い成績を残せたということはエライ人だ。
   この偉い人は日本人である。
   私は日本人である、よって私はエライのだ。
といったもの。
難しい話は置いといて、比較して「身近」な方を応援するのは、
よくあるケース。
高校野球や国体(国民体躯大会のこと)で、地元の都道府県や、
より近隣の件を応援するのもそうだし、これは市町村、学校、
各種団体と、どこまで単位が小さな区切りとなっても通用しそう。
上記松山さんまに対し、地元民から「県民として誇らしい」という
記事を載せていましたが「同県民の私はエライ」に辻相に思います、
(深層心理として)
(2)日本人意識
オリンピックは、国家意識発揚の典型であり、そのほかの国際
大会(解り易いスポーツを例にとります。)もそうでしょう。
歴史、文化、言語、生活習慣、身体的特徴等類似の「日本人」
(この場合日本人と日本国がニアリーイコール)を応援する姿勢で
あり、身体的特徴をもって「変な日本人」、「ヘンなガイジン」
が強かったように思います。
昨今の変化は、以下の事例にあるよう「頼もしい」と私には思え
ます。
一つは、2019年ラグビーワールドカップの日本代表の「ワンチ
ーム」は、言語、身体的特徴の壁を低くしました。
 テニスの大阪なおみ、バスケットの八村塁、陸上のサニブラウン
ケンブリッジのような個人主体競技の例も増えました。
「日本人はエライ、よって俺もエライ」式は変わりませんが、
「日本人」の許容範囲が意識の上で拡大したかと。
(3)人種問題は、実際難しい
もの本位よれば、人種は、生物的に明確な定義はないし、民族も
「虚構」かも知れませんが、アメリカ合衆国も、欧州各国も、いや
世界中のどの国家も現実的には、人種や民族の大きな問題を孕んで
います。
オリンピックや国際大会で「国家」をどうとらえるかは、昔も今も
難しい問題です。
「ヒトの移動」がますます激しくなっていき、母国が消滅した、難民
にならざるを得なかったとか、両親の出生国籍が違うとかいろんな問
題は、増えていくでしょう。
本人二つの母国を持つ、といった問題は、ますます増えるでしょう。
 
3.最後に
誰しも自分の出生は変えられないし、私自身は幸い、人種、民族、国
家の問題を「自分事」として苦悩する経験はなかったし、今後もない
でしょう。
ただし、ぼけてしまわない限り、ライフワークとして「人種、民族、
国家の関係」を考えていくと思います。

「隷属と安定」でなく「自由と自立」を求めるべきは正論だが、つい「易き・安き」に流されそうな私

 私の知的レベルで書く内容では政治思想云々は、もっとも「受けない」

ものの一つでしょうが、私なりの気概と現状を書いて見ます。

1.自由と自立

(1)「気概」の方は、左寄り右、保守主義、「隷属と安定」を求める

より「自由と自立」を貴ぶ、リバタリアン的、反グローバリズムといった

ところでしょうか。

今回は、藤井厳喜さんの言葉を借ります。

私の考えにも、相当近いところです。

 ①自由とは自律であり、そのマイナス面は不安定だということだ。自由

というコインの裏側には、不安定と書いてある。一方、権力者への従属

や隷属はすなわち、身の安全を確保する最低のやり方である。

自尊心を捨て、自由と自立を犠牲にすることにより、安全を確保しよう

とするのが、奴隷根性である。

自由は自立・自律であり自己責任である。自立心がある人間は誇りと名

誉を持って生きることができるが、常に不安定と危険に直面している。

そして戦うことによって自らの身の安全を手に入れるしかない。

これに対して自由を犠牲にして隷属を受け入れる者は、安全を手に入れ

るが、自己決定権をすべて放棄してしまう。当然、自尊心は失われ、単

なる利己主義だけが残るのだ。自らの行動に責任をとることはないから

無責任で、一方的に最低限の身の安全や安定を与えられることだけを望

んでいる。現代社会ではこの傾向の行き着いた先が社会主義なのだ。

藤井厳喜 米中最終決戦 P275より)

  ②日本の官僚は、もとより官僚主義中国共産党とウマが合う。

共産党支配とは要は、官僚支配である。彼等が気が合うのは当然

なのである。  (同書 P278より) 

f:id:xmichi0:20210410151855j:plain

(「自由と自立」のイラストは難しく「子供の自由研究」にしました。)

日本人の自由を犠牲にしても権力から安定を与えられたいとい

う受け身の安定志向が、こういった結果をもたらしてきたのだ。

それこそが最も根本的なところにある日本人の間違いである。

隷属によって約束される安定は、奴隷身分の安定でしかない。

それは真の安定でなく、自らの安全を奴隷所有者に全面的に

委ねる敗北主義に過ぎない。奴隷の身分では、生命も安全もす

べて他者の支配にゆだねられており、全く保障されていないの

である。つまり安全を与えられようとして、安全を放棄してしま

っているのが、現在の日本の哀れな姿である。 (同書 P279 より)

 

 (2)引用でなく、自分の言葉で、噛み砕くと、

自由な人間として、生まれて生きていける以上、自由であることが

常に不安と危険であっても、自己責任金をもって「自由と自立」を

貫いていかねば、と言ったところでしょうか。

「自由であることに誇りを持つ」ことは、決して楽ではない、とい

は、身に染みています。

 

 2.「易き・安き」に流されそうな私

 上記1の「自由と自立」は、正論と思っているし、そうありたいと

願っています。

(1) とはいえ、現状は、楽して問題解決(目的達成)、自分だけは得

する方法の模索、といった「安易な生き方の典型」みたいなものです。

ずるいですが、周りから感じた事例を以下少し。

「楽して」や「自分のみは生き延びる」願望は誰しもあるもので、

女性は誰しも「楽して痩せたい」願望があり、経済的に余裕がある人

が狙い目と、あるエステサロン経営会社の部が言っていましたし、

また、知人の高級官僚が昔言っていたのは、コースをはずれたら結局

何もできないから、現体制にいる。

当初よりコーズ外れるなら、反体制派(例えば労働組合とか)の組織

の中で、権力を握りたい。

 

 自分がかわいい、自己保存願望も、人間の性(さが)ですから、致し

方ない事。現状の私ま、まさにそう。

(2)話はずれますが、ある組織で自分の地位を確保、存在意義を示

すため、より主張が極端になりがちです。

右寄り組織でもっと右、左より組織でもっと左とだんだん過激になっ

て行くのは、自己保存願望に一つの事例、かも知れません。

私は、このブログで、

相手(反対勢力)に対抗するための「何でも反対」戦略を書きましたが、

「何でも反対」戦略は、うまくいきそうで、現実に、はつじつまが合わなくなる可能性大で、難しそう - 中高年michiのサバイバル日記

こと、当該組織内部を見ていくと、自己の居場所を確保するためより先

鋭化、過激化していくことも、歴史を見るとよくあります。

 

3.最後に

 人間(生物)として自分に残された時間は短く、かつ自分の主張も存

在も世の中に何の影響も与えないことは認識しています。

ただ「易きにつかず正論を」ということを、継続したいと思うだけ。

何のため、でなく、自分でやりたいから、しか答えはないでしょう。  

今週のお題「下書き供養」下書きの放置は割と少なし、送信先相違の方が問題

今週のお題「下書き供養」です。

1.供養あれこれ

(1)難しい言葉の定義や歴史考察は置いといて、個人的なことから。

子供の頃は九州の田舎在住、古い家、祖父母同居、父は長男で自営業

等々の要因もあり、「供養」には、割と関係していたと覆います。

具体的には定期的に一家の墓(祖父と歩いていける距離にあり)に通

い、祖父からいろんな話を聞きました。

いわいる「お爺ちゃん子」であり、彼からは、趣味の歴史(家系図

家族の人物評含む)や絵画(日本画が中心)の話もよく聞きました。

また、檀家であった寺とは、付き合いも深く、住職に息子とは、同級

生であり、よく寺や墓でも遊んでいました。

少し齢が増えてからも、仏事や宗教について、割と考えていました。

(2)もう近親者の葬儀が行われる年齢になってきました。直近ある

葬儀があり「四十九日」の法要がもうすぐ、といった具合。

私は「地元」を離れているものの、兄弟姉妹縁者が近くにいてくれ

手、ありがたい限り。

日本全国考えると、急速な社会変化で「永代供養」が、もう現実化し、

ますます進行しているのでしょう。

(3)お題を聞いて浮かんだのは「針供養」

「針」について具体的に私が何をしたわけでなく、今後も何もしない

でしょう。お世話になったモノへの感謝と供養、とてもいい慣習に思

えます。

大げさに言うと「日本人的」に思えます。

(4)お題の「下書き供養」のコメントを見ると、たまっていた下書

きを放出して「供養」とのこと。

なるほどいろんな考えがある者だと、思います。

f:id:xmichi0:20210410103852j:plain

 

2.下書きと送信先相違

(1)下書きエピソードと今回の趣旨

子供のころから社会人に始めのころまでは、PCを使って文書を書く

ことは、ありませんでしたが、その後は飛躍的に増えました。

今日いわいる「手書き」はほとんどなくなって、文字通り「文字を

書く」から「文字を打つ」世界へ。

当然送信前は「下書き」となるわけですが、誤字脱字が横行し、そ

のまま送信して物議をかもすことは、多々ありました。

ちょっと気の利いた引用し田つもりが、誤字を犯し、それこそ意味

不明となったケースとか「法務」と打つべきところ「法無」となり

ブラック・ジョークになったとか。

今思っても、確実に「迷惑」を流布しましたが、決定的に業務上問

題に、ならなかったのは幸いでした。

今回の趣旨は「下書き放出で気分すっきり」とも取れますが、当該

ブログを含めて、私は下書きには淡々としています。

そのまま世にです、電子情報をして、消えてしまったところで、何

の影響があるのだろう。もちろん何もない。

私の気分や意識が感知しなければ、それで終わり、という考え。

幾多のいわいる影響力のある人物が残した文書が公開であれ非公開

であれ、対して意味はないと思っています。

人間の能力・考え方の個体差なんて、たかが知れているし、ある人

が未発でも、類似のことを別の誰かが、公開するでしょう。

そもそも、その公開された情報が、今後どう影響があるかなんて、

誰にもわからない。

もっと話を大きくすると、技術革新が続き、情報発信者及び「情報

量」は日々どんどん増えているのでしょうが、それが人間の生活に

意味があるか否かは、それこそ不明。

すべからく、本人の気もち次第、という当たり前の本日の結論。

(2)送信先相違の話

こちらは「下書きのまま埋もれる、供養が必要」予知、重い話。

なぜなら、下書きの自己満足父がい、相手が存在するから。

送信先相違で情報を受けた人は、快不快恥絵、何らの影響がある

でしょうから。

一般論は、置いといて事例一つ。

私は「家族ライン」と妻子それぞれ、合計4つを使います。

子供と言っても、もう社会いですが、それでも、妻と子供のことで

情報共有することがあります。

先日、sる子供補法を妻と共有しべく、私見を交えて書いたのです

が、それを送信先相違で、家族ラインで流してしまいました。

私の感情は「バツが悪い」そのもの。

社会時たる子供が、どうとらえたかは、想像できません。

無視したかもしれないし、何らか感情にさざ波が立ったのか。

問わいえ「動かぬ証拠」が残るわけですが、いつでも活用できそう

で「バツが悪い」感情はずっと尾を引きそうです。

マスラオ礼賛(読書感想文擬き) 多彩な男性像の紹介、祖父や恩人もあり

マスラオ礼賛

ヤマザキマリ/著  

出版者    幻冬舎 2016.8

1.概要

登場人物は、ハドリアヌス帝、スティーブ・ジョブズ空海、プリニ

ウスという古今東西の著名人だけのピックアップでなく、著者の祖父、

若い頃の恩人、テレビの向こうの人、アニメキャラクター等い多彩です。

テルマエ・ロマエ」の著者が、偏愛する男の中の男たちを語ります

が、塩野七海さんとはちょっと違った雰囲気です。

 前書きに、著者の嗜好がよくあわ割れていて引用すると

「本来は地球の上で起き得るあらゆる自然現象や人間とのかかわりの

中で、一見何の合理性も必要性もない事について考えこんだり、空気

が読めない行動を取ってしまう。それが実は男性の最も魅力的な姿なの

ではないかと思っている。 」 P6 

f:id:xmichi0:20210405160232j:plain

人物評価も、評価する側・される側、人それぞれ

 2.本文から

(また私のお気に入りをピックアップします。)

そういう環境で育つ子供達は先進国の子供達に比べると破格に生命力

に溢れている。」生きるという意味と正面から向き合っているせいな

のか、大人以上に寛容で頼りがいのある存在感を放っていたりもす

る。  少年ジョズエ  P48

 

「死んでしまった同僚には気の毒だけど、僕はねラッキーなんだ

よ。」と祖父は私に繰り返し ていた。「人生はね、自分がラッキーだ

と思う程、楽しいもんなんだよ」と。   祖父 戸田得二郎 P59

 

仮にこの人がボリビアで生き延びて、しかもその後どこかの国の政治

家にでもなっていたら事情は別去ったろうが、若いうちに殺されてい

るというのも伝説化の要素としては完璧だ。       チェ・ゲバラ  P78

 

まず兵士と言う立場で戦地で明日死ぬかもしれない日々を過ごしなが

ら、同時にそこ(パプラニューギニアの原住民の村)での暮らしすら

十分ありうる選択肢として受け入れようとしていたこの人の、地球規

模のものの見方や果てしない考え方は、そう誰にでおまねできるもの

ではない。    水木しげる P88

 

 孤立化への顛末を常に念頭に置きつつも人から嫌悪されるような態度
をとるのは、本当に勇気の要ることだが、それは根底に本質的に自分
に対する信頼や厳しさ、そして誠実さが伴っていなければ叶わない事
でもある。それくらいのことをやらかしても、それがのちに制裁を避
けられない事態を招いたとしても、自分は自分を一人で支えられるか
ら大丈夫、という確固たる意志が備わっていなければできないことだ。
  
デルスという老人は、右を向いても左を向いても人間だらけの社会と
いう密林で生きていくときに感じる事を避けられない孤独感が、実は
脱着可能なものであるということを教えてくれる。
 
私が自分の中にある空海像を説明しようとすると、面白い事にそれは
古代ローマ帝国の魅力を語るのとほぼシンクロする。地球上で発生
した多様性や様々な地域の一律性のない考え方や習慣を拒んだり選ん
だりする以前に、とにかく寛容な姿勢ですべてを受け入れる。宗教に
携わる人間としての意識は持っていても、新しい感覚を知るためにボ
ーダーを越えることを躊躇しない。    空海   P177
 
最期まで人や世間の動向に左右されることなく、一人、地球という
「現象」血堂々と向き合って生きに抜いたプリニウスは、まさに、
私にとって”ぶれない男”なのであり,私の永遠の憧れでもある。
 
3.最後に
 私は、彼女の漫画はあまり知りませんが、テルマエ・ロマエの映画
と書籍はいくつも知っています。
あとがき部分から、また引用すると
「家族という契約は結んでも、社会の在り方を理解をしてはいても、
いつどこかで何がその頭に閃き、何をしでかすかわからない、そ
のように既成概念や人々の信頼感に拘束されない自由奔放さが、
まず私の思うところの”益荒男”の必須条件と言えるかもしれない。 
 P228 」
私自身が。「何をしでかすか」というのはもう難しいかもしれませ
んが、自由奔放さは、まだまだ失っていないようです。

 

補足 

もう一年前になりますが、空海について書いています。

「万能の天才空海」すごさを感じますが、嫉妬はなく、強いて言うと「淡い憧れ」 - 中高年michiのサバイバル日記

 山崎さんの指摘する「寛容さ」に同感です。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

マスラオ礼賛 [ ヤマザキマリ ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2021/4/5時点)

楽天で購入

 

景気の「気」は気分の「気」 ワクチン接種で、高齢者のお金が動き出す? もともと数字無視だから

1.景気の「気」は気分の「気」

今年6月ごろから、昨年年初より続く長い長い「新型コロナ騒動」も

一服するのでは、と楽観的に考えるようになっています。

理論的根拠はなく、まさしく気分の問題

(1)まず事実関係 2021年4月5日にニュースによると、

新型コロナウイルスのワクチンは、次の段階となる「高齢者への優先

接種」が1週間後の今月12日から始まる。

・優先接種の対象となるのは今年度中に65歳以上になる人で、来年の4月

 1日に65歳の誕生日を迎える人も含まれる。

・人数はおよそ3600万人で日本の人口の3割近くに上る。

 (2)私の考えというより、知人の受け売り面が強いですが、

65歳以上の高齢者にワクチン接種がいきわたると、景気回復する、

 との説。

現時点、高齢者の中には、まじめだった、怖がったりで、外出自粛が

 多いようですが、ワクチン接種が「免罪符」的に、「自分は大丈夫だ」

 と外出が増えそう。

 まさに、人間の心理の問題で、日本よりはるかに感染深刻な米国でも

 「ワクチン接種したから自分は大丈夫」との動きを聞きます。

・高齢者の一定割合は、お金に余裕がある人がいて、彼らがお金を使う

ので、経済が回ってくるだろうとの説に私も同意。

 ・なるほど、若い人は相対的にお金がないが、高齢者の一定割合はお金

持ち。

 ・つまり「景気回復」の観点からすると、若者でなく、高齢者に重点的に

 ワクチン接種は、日本には、特に効果的という考え。

 

f:id:xmichi0:20210406130441j:plain

景気回復の「気」は気分の「気」

 2.ワクチン接種に情報開示を

上記の話から一転して、少し数字の話。

(1)日本の「感染患状態」の再確認

東京都の直近に人口は、1390万人くらいなので1%感染したとして13万人、 

4月7日のNHKニュースに、都内で感染が確認されたのは、12万3905人

とありますので、近似値ですが、短期間でなく、1年以上の累計の数字で

あまり、説得力はありません。

ただし、1年以上たっても東京在住の国民の99%以上が、り患していない

ことは、解ります。

東京以外の日本全国平均でみると、もっと少ない割合。

これを「感染蔓延」としてワクチン接種はどうか、と私見では思う。

 (2)新型コロナワクチン接種の前提

ワクチン接種は、もちろん強制でなく個々人の判断だが、その前提として

1.十分な情報提供

2.個々人の判断の尊重   は、必須

  ①「十分な情報提供」について

 今回の製造手法でのワクチンについて、動物実験で、2年経過で全個体

 死亡の事例とか、2019年まで申請がすべて却下が、なぜ今回データな

し に、認可されたかの説明義務、等々。

 この説明が、行政継極には必要

 ② 「個々人の判断の重要性」

同調圧力が強い日本で、 医療関係者、学校関係者、特定商売関係には

 事実上の「強制」とならないか、たとえば、看護師が、心情的には接

種 拒絶したいが職の確保のために、接種せざるを得ないとか。

 なお、私見は、「医療関係者で希望者のみへの接種」で、少し古いですが、

3月12日に少し書いています。

新型コロナに実際対応している医療従事者で、希望者へのワクチン接種でいいのでは? - 中高年michiのサバイバル日記

(3)「気分」の再論 

人口の1%にも感染者が満たなくても、「怖がっている」高齢者はいて、それ

は数字ではなく気分の問題。

数字で、どんなにり患する割合が、他の感染症比較で少ないといっても無意味。

「蔓延している」という、気分の人も一定以上いるでしょう。

その中でところがワクチン免罪符は、極めて効果的、「自分だけは感染しない」

という思い込みに、極めて効果的、との私見

 

  この現状で、医療関係者と65歳以上の高齢者全員目指して、ワクチン接種は

ほんとうに正しいのだろかといった私見私見として、「ワクチン接種で自分

だけは大丈夫」という主観こそ景気には大事。

 

3.改めて「平和」だが・・・

人が関心を持つことは様々で、関心を強制されない自由は大切だと思います。

ということは、ほかの方の「自由」を抑圧しない限り、ある程度私見を述べ

ることも自由かと。

新型コロナの話題が、これだけ世間一般の話題となることは、もちろん

「印象操作」や「意見誘導」により、既得権益保護や事故の存在披露等々、

いろんな目的があるにせよ、一見今の日本は「平和」な現状かと思います。

「知らない」ということは、直接自分に不利益がかかってくるまで、認識

しないことなのだから。 

それはそれで、幸せ。

結果同じなら、やっぱり楽観的に考えた方が得 悩むのでなく考えること

1.言いたいこと

今日の話も、単純です。

言いたいことは、タイトルに若干補足で、3行程度で終わります。

・悩み苦しんで出した結論も、そうでない場合も結果は同じ

・確り考え、決断し、行動することが必要で、「思考放棄」が一番

 いけない

・楽観的な方が精神的にいいし、「悩むのではなく考えること」に

 集中できそう

以下に、言葉を変えて、回していますが、理論の進展はなく、上記で言っていることは

すべてです。

f:id:xmichi0:20210405172115j:plain

楽観的な老人のイメージ

2.何が正解かは、結局解らない

(1)いろんな職業があって、心療内科というのも否定しません。

自分に良く解らないからといって、公序良俗違反とその国の法律で明記されている行為

以外は、グレーゾーンであっても否定するのは、良くないでしょう。

政治家や医者をうさんくさいと思うのは自由ですが、100%否定はどうか。

薬物投与についても良く解りませんが、所詮生体反応ですから、

「求められている望ましい一定の方向に導く」ことを「効能」とすれば、個体により

(たとえプラシーボ効果であっても)

(2)腐敗と発酵がある面同じ現象であるように薬と毒もある面同じでしょう。

 個人の嗜好でいうと、私は「アルコール」は好みですが、たばこ類やいわいる薬物

大麻が合法の国もあるようですが)も、自分でためしてみようとは思いません。

幻覚症状には、あまり興味がわきません。

 「体にいい」、「健康にいい」と言われる食物摂取や節制、運動行為も否定しません

が、私の場合何らかの目的のための健康維持であってそれ自体を、目的化することが

できない性分です。

(3)だらだら書いてきましたが、結論は小見出しの通りで、目的成就しようとした行

動の何が正解か、解らない場合が多々。というか、「事前にわかる」場合が極めてま

れ、といったところ。

 

 3.やはり考えること

(1)考えるのは大いに結構どころか、頭脳がしびれるくらい考え、決断し、実行する

のは生きていくうえで必要ですが、「悩む」こととは、全く別。

たまの愚痴はいいが、悩んでばかりいるのは、いかかなものか。ていの良い「思考放

棄」になっていないでしぃうか。

 くよくよ、ああでもない、こうでもないと悩む方が、「好き」な人を、否定しません。

そうやって時間を費やすことが「楽」と思う人もいるでしょうが、やはりあまり生産的

ではありません。

悩んだところで、楽観視したところで、出てくる結果は同しだから。

拠り良い結果を招くのは、考え、決断し、実行した場合の連続技であって、悩み通して

いる場合ではない、と私は思うようにしています。

悩んでいる時間は、生産的ではないし、精神面では、マイナス効果が高いと思われます。

(2)事例を一つ

日々の生活維持のため、足元の毎月の支払いに汲汲とし、資金がなくて何も思うこと、

やりたいことが出来ない、それどころか、早晩資金ショートしそうと、苦悩するわけで

すが、苦悩するだけでは、何も生まれなません。

収入を増やす、支出を切り詰めることが、限界に近いと思っても、楽観的思考を。

つまり悩むのではなく、考え続けるしかないのでしょう。

(3) 損得勘定感情から言って、悩み停止、楽観視するのが、得。

再度言いますが、悩むことと「考え、決断し、実行すること」とは、別次元です。

無論、悩まず楽観視といっても必要条件はあります。他人を傷つけない(他人い無責任だと思われたり、のう天気だとあきれられることも含みます。)こと。

 

4.最期に

結果について、当初から過度な期待を持たないことと、諦観が必要。

基本は、

・過度な期待を持たずに「上見て暮らすな、下見て暮らせ」式を期待値のベースに置く

 ことと

・今の日本で、餓死するでも、拘束速・投獄や追放・処刑に会うわけでもない、とり

 あえず安全に生きていけそうとの現状認識を持つこと。

・ゆえに、良い環境に生きていられて感謝の念を持つこと。

最後の最後は、目的成就できなくても「恨み」を引きづるのでなく、「諦観」を持つ

ことでしょうか。