中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

七夕の話題を少し 7月7日ではなく8月7日の地域も いつもと違い歳時記的勉強

1.情報の収集

(1)最近の私のブログを見てみると、政治経済社会行事からめてち

ょっとした社会風刺というか、私見披露が多く、他は読んだ本の紹介と、

はてなブログの「お題」が定番的に入る程度です。

世相を反映し、新型コロナ感染症への、各方面の対応に対してのコメ

ントもいくつか。

以前はみそか、正月、お盆等の歳時記的なものも、書いていました。

いわいる「特化型ブログ」というのでしょうか。読者の特定の有益な

情報を整理して提供、ということは私にきていません。

(2)さて、今日は七夕について、少し。

調べると言っても、このPCで少し検索して、閲覧する程度で、ひと昔

と比べて、情報アクセスが非常に容易で、その反面「差別化」は、

とても難しい。

今どきは決まり文句のように、「地上波や日本の大手新聞では報道し

ない」とあ、「日本語ニュースでは見ない」とかの「限定」を打ち出

すようですが

「インターネットで検索しても、見つからない情報で、「紙の本や足

で歩いて情報収集」といったモノは凡人ではなかなか、難しいと思い

ます。

ひと昔前みたいに「百科事典にあたって、自分で動いて・・・という

のは、能力・予算・環境・バックアップ等が欠けると難しかろう

ということ。

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難しい話は置いといて「短冊に書いた願いが叶う」イメージ

2七夕(たなばた)について

(以下の多くの実態はネット検索で、個人的の興味部分をピック

アップしたたけのもの)

(1)定義めくもの

七夕(たなばた)は、中国・日本・韓国・台湾・ベトナムなどにおける

節供・節日の一つ。

五節句の一つにも数えられる。星祭り(ほしまつり)という。

日本の七夕祭りは、新暦7月7日や、その前後の時期に開催されている。

 (2)歴史は割愛

 (3)現代の日本での風習

ほとんどの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常

であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。

午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星織女星の三

つが最も見頃になる時間帯でもある。

全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。

短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹

に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。

 (4)時期

日本では、旧暦(天保暦、和暦)の7月7日(行事によっては7月6日の夜)

に行われ、お盆(旧暦7月15日)に入る前の前盆行事として行う意味合いが

強かった。

明治6年1873年)の改暦後は、従来通り旧暦7月7日に行う地域、グレゴ

リオ暦(新暦)の7月7日に行う地域、月遅れの8月7日に行う地域に分かれ、

特に新暦開催ではお盆との関連が薄れた

なお、旧暦では7月の翌月に閏7月をおく年もあるが、閏月に年中行事は行

わないので、閏7月7日は旧七夕ではない。

グレゴリオ暦の7月7日は夏だが、旧暦の7月7日はほとんど立秋以降である

ので、古来の七夕は秋の季語である。

 (5)現代日本

現代の「七夕祭り」は、神事との関わりも薄れ、もっぱら、観光客や

地元商店街等への集客を目当てとしたものとなっている。

神輿や山車などを繰り出す祭りと異なり、前日までに、笹飾りをはじ

めとした七夕飾りの設置を終えれば当日は人的な駆り出しも少なく、

また商店前の通行規制も少ないため、商店街の機能を低下させること

なく買物客を集められるという点で、商店街との親和性が高く、戦後

の復興期以降、商業イベントとして東日本を中心に日本各地で開催さ

れてきた。

多くは昼間のイベントと、夕方から夜にかけての花火という組み合わ

せが殆どで、伝統的あるいは神事としての七夕の風習に頓着せず行

われている事が多い。

 (6)天の川の見やすさ

グレゴリオ暦7月7日の月齢と天の川の見やすさを記号(◎→○→△→×)

で示すと以下の通り。

2020-07-07: 月齢16 ×

2021-07-07: 月齢27 ◎

2022-07-07: 月齢8 ○

つまり、昨年は「×」でしたが、今年は「◎」、来年は「〇」とのこと

です。

(7)個人的思い出

①「短冊に願いを書く」という行事は、いいと思う。

受験の絵馬や正月の初もうで然り、自分以外の「超自然の力に頼る」

傾向は人種、民族、宗教党を超え、ある程度人間に共通する願望ではない

でしょうか。

②幼稚園業jとして。

もう20年以上前ですが、二人の子供は幼稚園に通っていた、七夕限定で

なくに、5月の節句や節分とか、いろんな歳時記的行事に対応していた

ようでした。

幼稚園の先生や関係者のみなさん、ありがとうございます

③たまに行く、スーパーでも七夕飾りをやっていました。

短冊もありました。

無論ビジネスのための集客が、目的ですが、頑張ってください、と言い

たいです。

 

3.政治的な話は、今日はやめ

今年は中国共産党の結党100周年で、国際的に賛否老論のニュースが

飛び交い、7月4日は米国独立記念日で、また幾多のニュース。

敢えて無視して、七夕を書かせてもらいました。 

読書感想文もどきに至らなかった「敗戦記その27」 古典的近未来小説はじめ嗜好が全く違う4冊

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敗戦記「その27」も同じイラスト

昨年1月10日から 「読書感想文もどき」に至らなかった「敗戦記」

というのをアップしていますが、今回27回目です。

私の現在形として、本を読める環境というのは、変わっていません。

ありがたいことです。

イラストもあえて、同じものを使用、趣旨も同じで、硬軟とり交ぜ、 

読者への何らかの参考となればと・・

1.1984

原タイトル:Nineteen eighty‐four

ジョージ・オーウェル/[著]  

田内志文/訳

出版者    KADOKAWA 2021.3

言語も思想も管理された近未来世界。

過去の捏造に従事するウィンストンは、記憶と真実を留めるた

め、密かに日記を書き始めます。

伝説の反逆組織の男に声をかけられた彼は、禁断の本を入手し

ます。

歴史の真実を求めて、文字通りもがき苦しみますが、最後は

ビック・ブラザーに象徴される全体主義思想及び組織に、降伏

することになります。

極限状態になると、平均的人間の意志の力なんぞ、弱いものです。

ディストピア小説の傑作といえます。

私は本書も、数々の解説や引用で目にするものの、結果として若

いときや熟してからも通読したことは、ありませんでした。

学制から社会に出て、一通り生活の糧を得て、生きてきていまや、

「人生の最終コーナー(?)」と書くまで来て、改めて「自由」

の大切さを考えている日々です。

状況設定もさることながら、心理描写に「近未来」を感じました。

  

2.鳥類学は、あなたのお役に立てますか?

川上和人/著  

出版者    新潮社 2021.3

一般的紹介は、下記の通り。

 行く手には火山に台風、サメにハエ。それでも鳥の研究をする

 のは、楽しいから。他に理由が必要かい?

 知られざる理系蛮族「鳥類学者」の著者が、抱腹絶倒、命がけ

 の日々を綴る。

私の感想は、 

確かに、学問としては地味で派手さはない分野ですが、川上さん

の文章の面白さ、表現の面白さは、ピカ一だと感じています。 

一部引用します。  

 営利と縁遠い研究は民間企業には難しい。このため基礎研究は

 しば しば公的機関の手に委ねられる。研究者にとっては国家

 がメディチ家であり、国民がパトロンである。私たち鳥類学者

 は、ひいては基礎研究者は、科学的発見という娯楽を国民の皆

 様に提供するために召し抱えられた宮廷音楽家出ある。 P229

 

  3.福田恆存評論集 第1卷

福田恆存/著  

出版者    麗澤大学出版会 2009.9

  一匹と九十九匹と

「文芸評論家」といっていいのでしょうか。福田恆存の執筆です。

戦後の混乱の中、政治と文学の峻別を説いた「一匹と九十九匹と」

のほか、独創的な芥川龍之介論、太宰治論を掲載。あわせて、戦前

・戦中に執筆された未発表論考2編も収録した1冊です。

 読解が難しくて、「一匹と九十九匹と」を繰り返し読んだだけで

全体の通読には至りませんでした。

内容が、私には、やはり難しい。

 

保守論客としての福田恒存なのでしょうが、明治からずっと日本は

混乱している、理由は、「事実の断片のみであり、思想・哲学がな

ったから」とは、鋭い指摘と思います。

「一匹と九十九匹と」から、感じた「政治と文学の相違」について、

九十九匹の側に立って行う政治に対し

 たとえば、全体主義に取り込まれない一匹がいたとして、その一匹

側に立つのが文学と、述べています。

文学は一匹に寄り添う、やはり規範からの逸脱者皮に立つものであ

り、文学は少数者のための存在、なのでしょう。

 

 4.一目置かれる知的教養日本美術鑑賞

秋元雄史/著  ゙

出版者    大和書房 2019.5

絵巻物、水墨画狩野派、浮世絵等、最低限の教養として知っておく

べき日本美術の定番作品や作家を厳選。

日本美術の大きな流れや、世界がなぜ注目しているのかが分かる。楽

しめる鑑賞法も紹介する、という解説です。

私は下記の「プロローグ」の言葉に弱いのです。

 世界は日本美実に注目しています。本書では、最低限の強要として

 知っておくべき定番作品や作家を厳選しました。さらに、「一枚

 の絵」としての日本美術の奥深さを感じているもの選んでいます。

 1760年まれの葛飾北斎のエピソードから引用

  88歳の長寿で他界するまで、生涯にわたって絵を描き続けた北斎

  は、死を前に市得t「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい。

  生きることが出来たら、私は本当の絵を描くことが出来るのだが。」

  と嘆いたと言います。 P160  

以下少し抜き書き

〇知的な鑑賞手法から

「空間の連続性」を好む  「ミニチュア」を好む

「対」を好む

〇日本美術は、「ファンタジー

〇3つの味わい方

「余白の美」を楽しむ 「線」を楽しむ

「振り幅の大きさ」(両極端の表現)を楽しむ

 

 

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今週のお題「住みたい場所」 住んだことのない場所には、願望、妄想は仕方ない

今週のお題「住みたい場所」です。

タイトルは、いきなり斜めに構えているようですが、私の場合、

済みたい場所は、過去からコロコロ変わっています。それは年齢

や嗜好の変化というより、その場所や世界を取り巻く環境等々

情報のせいによる部分が大きいようです。

とはいえ、いろんな前提を置かないと、「住みたい場所」は特定

できないので、ライフステージや、経済状況、家庭状況を無視し

て願望、妄想をつづっていきます。

1.台湾の高雄、または台南

このおブログでも、台湾のことは何度か書いています。

個人的に一番好きな外国でしょう。

台湾のことは、歴史も現在の政治刑事軍事状況も、それなりに把

握しているつもり。

出張、旅行ベースでは時代を変えて、何度も台湾各地に行ってい

ますが、長期滞在したことは、ありません。

では、台湾南部の高尾や台南の居住状況をどれだけ把握している

のかと聞かれると、それは疑問符です。

願望、妄想でいうと

ある程度の経済力があると生活インフラが、充実している

湿度はともかく、気温の点で、暖かで良さそう

中国(中共)との軍事的緊張、被占領の危機と言った政治状況は、

私が個人的に心配してもどうなる者ではないので、地震、台風と

いう自然災害と同じレベルと、仮定します。

「対日感情」も、私が接したごく限定された人々や、旅行者と

しての体験、書籍やインターネットからの文字や動画の情報です

から、それは仕方ないことです。

さて、言葉は?仕事は?医療体制は?教育は?と考えると、もう

「住みたい場所」の選定が困難になるので無視します。

還暦過ぎた現在の自分状況が、スライドされるとしての、妄想で

した。

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「住みたい場所」ですが、地球儀イラストにしました。

2.若い独身の頃、滞在した札幌

今度は、日本の都市を取り上げます。

まず、日本国内の住むとしたら、最低限の生活インフラが確保され

ているという前提です。「国民皆保険」のもおt、最低限御医療サー

ビスは、どこに住んでいても享受でき、それが今後も(少なくとも、

自分の存命中は・・・)

継続できるであろうとの願望込みで。

さて、札幌は30年以上前ですが、実際住んだことがあります。

「地理感がある」なんて、僭越なことは言いません。

ただ、当時住んでいて、いい思い出は沢山あります。

(単に、イヤな思い出は、意識無意識双方で忘却しているだけ

かもしれませんが)

当然当時の状況とは、自分の内部も外部も様変わりではあります

が現在の札幌の状況も、ある程度把握しているつもり。

まあ、現在の私で済めないことは無いだろう、として、リストに

しました。

 

3.熊本県の人吉盆地

何のことは無い、故郷です。

情報は沢山、あります。日本国内では「熟知」している地域の

一つです。

一族の「墓」も、ここにあります。

古い知人も、まだまだたくさん存命で。情報インフラ、生活イン

フラも、ある程度把握済み。

しかしながら仮に住んだら住んだで、昔の思い出とついつい、比較

しそうで、不満点が続出は、想定できます。

 

4.米国のハワイですが、郊外の方

海外に戻ります。

今日のお題が「生きたい」ではなく「住みたい」ですから、ある程

度情報があるところ、になります。

旅行者情報でなく、私の友人の学者(日本の大学の法学部教授)の

話ですが彼の知人の学者(法律系の学者で米国人)は、ハワイの大

学で仕事をして、数年住んだが、毎日のランニング含め真摯な規則

正しい生活習慣だったとのこと。

私が住んだ場合、もっともっと甘い生活を送って、やはり長くは

滞在できそうにないです。

 

5.短期滞在ならいけそう

2から3シーズンの短期題材なら「住めそう」と思うところが、

いくつかあります。

ここでも現役バリバリのビジネスマンではなく、ある程度現在の

私の境遇に近いことを前提とすると、

ベトナムホーチミンハノイでなく、旧サイゴンと言われた

あの町)

スウェーデンストックホルム(冬の外が寒いのは覚悟の上)

イタリアパレルモシチリア島の都市です。これは以前仕事で

短期滞在)

 

というわけで、願望、妄想つづったものになりました。

また電車内に傘を置き忘れた・・・・転じてブランド価値のこと

1.また傘を置き忘れた

(1)私は公私とも移動時は電車の乗り換えをよくやります。

遅い時間の今朝の出来事ですが、座席に座って傘を横に置い
ていたのに、到着駅で降りる時は、存在を忘れていて後で、
しまったと、気づきました。
その後も、(乗り換え等で)電車に乗る訳ですが向かいの座席
の人々は、皆いつものスマホ姿ですが、確り濡れた傘を手にし
っかり持っている、いやはや・・・・。
(2)「注意力がちない」「意識が低い」と言われると、まさ
にその通り。傘案件に限らず、指摘が「正論」であっても、言
い方、感じ方次第で、トラブルのもとになるのも世の常。
今日は、言い訳を書きます。
ちょうど、著名人のエッセイを読んでいて、意識がそちらへ、
というもの。
私とレベルが違いますが、出口治明さんも、読書中、ついつい
電車の下車駅をのりすごすことがある、と何かに書いていまし
た。
物事に集中すると他が見えなくなることは、よくありがちです
が、これが「美談」として歴史上も残っているのは、何らかの
成果を残した人でしょう。
 

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香港の「雨傘運動」のことは、今日は書きません。

2.ブランド価値の話
(2)さて、傘置忘れ事件の時、読んでいたエッセイですが、
なんの変哲もない、とは失礼ですが、軽めの割と、よく見か
ける論調。
無論駄文では、ありませんが「著者名を隠したら、売れない
だろうな」と思ったりします。
過去の実績があり、それなりの地位を確立している人の文章だ
から、読んでみようか、という人が多くて、売れるのでしょう。
内容に書かwらず、本を買いそうな「ファン」を形成するのは、
すごいことで、「ブランド価値」と言えるのでしょう。
(2)ブランド価値はすごい、として思い起こすのは、「コカ
コーラ」です。ジョージア種跡乱打本社の、あのグローバル企
業です。
今日は、米国株式市場の観点から、企業財務、のれん価値しての
コカ・コーラのすごさは、論じません。
私の昔話から。
今を去ること、40年以上前。
若い私は、タイの南部を一人、旅していました。
暑い気候で、冷たい飲み物が欲しくなります。
ある旅の先輩から、以下の話を聞いていました。
「氷入り飲料は危険だ。どんな水で作っているか不明、
やられるぞ。少しおカネを出しても、未開封コカ・コーラ
を買え。そして自分で開けて、その場で飲め」
なるほど、「安全」というブランド価値の大きさを象徴して
います。
今でも、よく思い出すのは、言いつけ守らず私が「当たった」
から。つい、氷入りのうまそうな飲料を飲んだわけですが、
「下痢」となりました。
幸いバンコクへ戻る途中であって、その後医者に駆け込みまし
たが、もともと英語ができないうえに、医者に医学用語を説明
されても、さっぱり理解不能で、往生しました。
隊の名誉のために再度言うと、今から40年前の話です。
 
3.金儲けの神様邱永漢の話
(1)40年前のタイの旅の思い出のアロ、作家の邱永漢が浮かび
ました。「金儲けの神様」も、はるか前にに故人です。
思い出したのは、彼の息子の一言
「父は、すごいです。私の結婚式・披露宴は長いと言ってもたか
だか数時間です。父は、その様子やお土産をネタに連載記事で、
3回くらいに渡って、書いていますから・・」
(2)邱永漢は、私の好きな「台湾人」の一人なのですが、今度は
娘さんの言葉を引用しましょう。

そこで、娘の邱世嬪の評価も交えて、彼の実態を書くと、

 自分でも認めているように、作家としては小結クラスであ

り、(P281)、 実際はビジネスは下手で、「金儲けの神様」

というのは自分で作った虚構、イメージ(P286)である。

 短く評すると、

欲と理想が1人の人間の中に矛盾なく共存する、好奇心の塊、

大人になれなかった子供(P292) です。  

「タイワニーズ」(読書感想文もどき)金儲けの神様「邱永漢」について少し - 中高年michiのサバイバル日記

 

 

時代に取り残されては、と思うけど気が重い ITリタラシーのこと

1.たじろく私

(1)話としては、何のことはない。

ある依頼を受け、申請書類を作成することになったのですが、

私の気が重いのは、書類の内容のことではなく、添付書類のこと。

申請はオンラインの世界であり、紙の書類を、スキャンしてPD

F等のデータにして、貼り付けること。

「なんでそれが問題なの?」と聞かれそうですが、スキャンのやり

方、スキャンしたデータのPC取り込み、貼り付け等々の一連の作

業が、気が重いのです。

「やり方を日本語でちゃんと書いたあるでしょ」と言われると

その通りなのですが、応用が全く効かない、臨機応変対応が

できないのです。  

(2)先日読んだ「アンガーマネジメントの本」から

 上記がとても面白かったのですが

 「メカトラブルマジギレする人」から、再度引用すると

①まず「特徴」として

パソコンが立ち上がらない、動作が遅い、止まった等でイラ

イラする。相手がモノであっても勝手に人格を反映させて怒り

エスカレートする。

②「Why? なぜ怒る」の考察

仕組みは解らないけど、動いて当然、満足に動かないものが売

られているわけがないという思いがあり、その通りにならない

と怒る。

③「怒っている人へのADVICE

先ずはIT機器の便利さに感謝して、IT機器についてのリタラシー

あげることで回避することはできるので、ある程度の知識をみ

につけること。 

 ④私の思う事

今日の結論めくのですが、

時代時代に必要なことがあって、現在進行形でITリタラシー向上

は老若男女必須の感じがします。

先入観を避け、怖がらず、肩ひじ張らず、「先生」に素直に、自分

でできる範囲で、進めていくしかないと思います。 

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PC、スマホの操作に悩む高齢者のイメージ

 2.世の中を見渡して

  (1)昨今、新型コロナ感染症対応のワクチン接種の予約をニュ

ースを聞いていて、確かに80歳代では、自力でインターネット予約

は難しかろう、と素朴に思いました。

理由は、若いうちにキーボードの接していないから、入力の点で

インターネット予約は手続きが難儀との推定です。

(痴呆症とか、本人の生理的状態は、考慮していません。)

例えば、同じ80歳代代でも、米国や英国等、もともとタイプライター

を打つ文化があっての、若いうちからキーボード配列になれ、文字を

打つことに抵抗のない地域の生まれ育ちの方は良いでしょう。

ご案内のように、現在の平均的80歳代の方の若いころには、その

文化がなかったから、仕方ない、との推定する次第。

いわいる先入観の話でなく、若いうちにそういった教育を受けて

いないと、いまさらデジタル機器を使おうにも、まずキーボード

が使えなくて、つまずいてしまう。

(2)これから発展して考えると、あと20年もすれば、つまり今

の60歳代が80歳代になったとき、まかりなりにもキーボードに

触ったことがない人は激減しますし、キーボード利用手続きも

おそらく、スムーズでしょう。

も少し考えて、

もうあと40年もすると、今の20歳代なら、60歳代になっていま

すが添付書類に写真や動画情報を含めて「普通」に張り付けて、

申請できそう。

「感覚的に使っているわけだから、問題ない」となりそうで、

「デジタル社会での諸々行政で続き」も、かなり円滑に動いて

いそう。

(3)脱線と軌道修正 

①いや待てよ、と少し疑念が浮かびました。

PCより、携帯電話が普及して、もっとわかり人には、一本指で

日本語で文字を打つことはできるが、PC等標準キーボードで、

文字を打ったことがない・・・

それは、それで問題ですが、その後の社会教育というか必要に

迫られて、対応していくでしょう。

私が心配する話でないし・・・。

 ②いつものように、話が脱線しましたが

(重複となりますが)

出来るか不安との先入観持たず、もともとできないんだから「怒

らないで」ぼちぼちやっていくしかないと、思っています。

定期的な行動の中に見えるモノ 感じるものがある 人間ドックからふと思う

1.年代により見えないもの

今日の話は特に、若い世代には、ピンとこない話に終始しそう。

(1)冒頭は、先日人間ドック(健康診断)を体験したことから。

といっても、年一回大体同じような時期に、健康診断を受けていて、

現在の組織(病院)で確か、6回目?です。

ありがたいことに、個々は健康診断で利用するだけ、他に診断ニーズは

はありません。

中高年の型なら、お分かりで所が、毎回場所の変化けるより、潰れたり、

経営方針の大転換等がなければ、同じ病院で受けたほうが、傾向が分かり

やすいのかも知れません。

同じ1年といったも8歳の子供には人生の八分の1であり、80歳の高齢者には

には八十分の一であり、10倍の差、1年間の長さの意識は自他うでしょうが

生理的には、1年は1年です。

さて、中高年の私にとっても、一年もそれなりに長く、紆余曲折さまざま。

健康診断い向かう病院へのルートや、街のたたずまいも、変わらずの部分

と、変化激しいところとさままです。

(2)病院の話と、過去の「成績」 

受付から始まり、病院の内部も感じが変わって、いるようです。。

昨年は新型コロナ騒動で、相当ピリピリしていました。

もちろん今年もしっかり対応していて、決していい加減はありません

が、落ち着きは感じます。

まる1年の学習効果もあり、対応も慣れたものになる部分もあり

もちろん、2年以上前とは雰囲気が違いますが・・・・・

なお、「健康診断の成績」は1週間強で出てきて、特段問題なけれ

ば書類が自宅郵送、問題点あれば病院から「呼び出し」と期日をき

め「出頭」です。

幸い「呼び出し」は過去1回だけですが、今回は。。。

 

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腹部超音波のイラストにしました。

2.定期的と不定

 (1)定期的ということ

何も私が大げさに書く話でもなく、ヒトの行動は定期的と不定

に分けられます。

物事のとらえ方しだいで学校に通うとか、職場に行くのも「定期

的」の範疇かもしれません。

さて、人間ドックからの連想で、身体機能の話です。

身体の変化(精神の変化含めて)は、急にくる部分もあるでしょう。

急には来なくとも、生物は「死すべきもの」ですから、かららず変化

は来ます。

そこで、年に1回、自分の身体に変化を感じるきっかけを確認してお

くのは、いい事です。

今日のタイトルに戻ると

期間は、3日だろうが、半年だろう、1年だろうが、対象物に

より当然違いますが、定期的に同じ行動(作業やチェック)を

してみると、意外な変化に築くもの。

広義の管理(マネジメント)につながるものでしょう。

(4)補足と偏見

定期検診とは車検はじめ、いろんな道具、機器で仏用でしょう。

昔とは格段に性能が良くなったとはいえ、新築マンションも、

10年もすれば「大規模修繕」観点も必要になるでしょう。

(完全に私見、もしかしたら他偏見かもしれませんが)5か

ら8年ほど前中国の上海、関東に良くいったとき、高層マンシ

ョンの外観が「劣化」を感じる点で、通訳の型から聞くその

マンションの建築年月日に違和感を感じたものでした。

 

 3.つい気になる、新型コロナ報道
目的も、影響範囲も想定できるのですが、新型コロナ報道は
つい、情報を取っています。メディアもうまいですね。
この感染症対策の目的は,重症さを減らして、医療体制の維
持なのでしょう。
マディアの目的は「煽り」ですので、ワクチン接種や治療薬
承認問題で、十種者が減るであろうことは、なるべくそっと
しておいて、「新規感染者(単に日本基準のPCR陽性者)が、
先週比で〇〇任増加しました、第〇波の可能性」と言った具合です。
受け手の取り方は、様々でしょうか。
 
 
 
 

情報を伝えるには、「分かりやすさ」は必須かと思う 事例は新型コロナ、五輪選考、大学入試

1.メッセージは相手に伝わることが基本

当たり前ですが、情報は相手に伝わらない、と意味がありません。
「伝わっても、相手が理解できるかどうかは相手次第」、という
話は今日はしません。
あくまで情報発信者について、述べます。
中でも、情報を伝えるには「分かりやすさ」は必須、という話です。
その「分かりやすさ」について、判断の基準が明確化されている
ことかと思うます。
子供ではあるまいし、世の中が複雑怪奇なのは古今東西昔からそう
ろうろうと、普通の大人なら分かります。
そもそも人間が作っている社会だから、複雑曖昧なのは本質的要素
なのでしょう。
それで、あるがゆえに「明確な基準」が必要であり、情報の受け手
に信頼され要素となることでしょう。
 
2.事例を少し
(1)新型コロナ感染症については、もう2年弱に渡り、いろんな
報道がありますが、少しピックアップします。
①「緊急事態宣言」の目的は、医療崩壊回避であったはず。
そもそも、日本で医療崩壊というのは変な話で、私のブログ
でも取り上げています。
6月6日アップ記事、
から、一部再掲載すると

先進諸外国と比較して充分な医療リソースがあっても「医療

崩壊予測」から、相変わらず発令・延長の「緊急事態宣言」

です。

私も1年以上前から、本当に「緊急事態」なら医療関係者の

「全員参加」をと言っていますが、行政が医療関係者に対応

を命じられないのは「私権制限」の問題もあるのでしょう。

日本で医療体制が不備であるというのは、日本国民のみならず、
海外のヒトにも「分かりにくい」典型かとおもいます。
②感染経路が不明?
コロナ関係資料を見ていると、行動制限判断「基準」の一つに
「感染経路不明」というのがあります。
確か、新型コロナ騒動発生時(もう1年半以上前)からPCR検査
拡充等で、「感染経路を明確にする」と言っいましたが一向に、
進展しません。
関係者のまじめさや技術力でない、制約が大きいのでしょう。
全体主義国家的な強制力を持った状態なら、ぐっと感知レベルが
上がるのでしょうが、瀬ウドに「あいまいさ」を大きく残しており
「まん延した」状態では、こんなんでしょう。
結局「感染経路不明」が高いから基準に触れ行動規制をかけるとい
うのは当局の「高等戦術」かも知れませんが「実質的に困るヒト」
のことを、考えると、もう少しやり用もあるもの。
なお「飲食業者狙い撃ち」の話は、今日はしません。
蛇足ですが、「PCR検査陽性基準」は、世界格好でバラバラと
 聞いています。母国で陰性、日本で検査したら陽性が続発する
 ように思います。

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日本の男子110Mハードルは高レベルだそうです。
(2)話をがらりと変えて、オリンピックの選考基準
先日のニュースですが、陸上競技の出場者の選考レースがあり、
成績(着順)で、出場候補者を決定するという当たり前の話、でした。
以前は「当たり前」出ない要素が大きかったようです。
過去の成績や、その他の基準を「総合的に判断」して、関係者で
熟考して・・・今日のブログの趣旨「分かりやすさ」の真逆です。
特定の基準を決め、それを事前に公開し、そのとおり実行、これに
つきます。
そのとき、実力を発揮できないかったとか、コンデイション云々
とか、総合的に判断と言うこと自体が、不透明で、変だと思います。
「オリンピックで勝つより、全米選手権陸上を突破する方が難しい」
という言葉を思い出しました。
国ごとに出場人数の枠があるから、ある競技のレベルの高い国では、
国内選考の方が本場のオリンピックより、高い競争レベルも、当然
ありうると思います。
聴くところ、選考基準は全米陸上選手権での着順通り、とのこと。
こうでないと不満どころか、選考の収取がつかないと思います。
(3)日本国内の大学入試。
国立、私立の区分による説明は、あまり適当でないかもしれませんが
直接国の税金で運用される国立大学(独立行政法人なのでしょうが)
「私学の特徴を出す先行」と、「基準」に差はあっていいと思います。
「一発試験の結果で、選考」というのは、「分かりやすい」し、そうで
なければ、推薦はじめ「選定基準公開」を望むところです。