1.慣れるとどうとも感じないが、最初は・・
先ず昔話から
若い人にとっては、笑い話にもならないでしょうが、私にとって、
無線LANというのが、インタネット関連では一番驚きでした。
もちろん10年以上前の話ですよ。
「年寄りの偏見」と言われるとそれまでですが
どんな小さなケーブルであっても、何か目に見える線を通して、
音声であれ画像であれ、流れてくるのは、感覚的に納得できるの
ですか、無線LANの場合は、まさに「空気中を情報が伝わる?」
とは不思議だ、と言った感覚。
空気中を伝わるなら、テレビアンテナも、携帯電話もそうだろう、
何が変だ?と突っ込まれると、おっしゃる通りですが・・・。
類似の感覚ですが、「車が動かない」というのは電気系統の故障も
含めて何とか、想像の範囲にあるのですが
「パソコンが動かない」というのは
何で動かないが想像がつかない、という意味で、本当に困ってしま
います。
「そういうものっだ」と納得するしかないのでしょう。
も一つ昔話をすると、
パソコンがたくさんあると温かいな、という感覚。
こっちのほうは四半世紀以上前でしょうか。
オフィスの各人のデスクの前に、デスクトップのパソコンがずらり
と並び、それが稼働するとき発熱は、ずごかった。
これは私の特異体験ではなく、全国津々浦々で起こっていた話です。
2.インターネットが変える社会
(1)インターネット技術が、社会を大きくかえるのは、想定できま
す。しかし、どう変わるかは、分かりません。
ただし、変わってしまったあとは、「そういうものだ」と当然のこと
に、思えるのでしょう。
これも想像の範囲ですが、平均的日本人は仕方がないと思いうので
しょう。
かつての産業革命後のラダイト(機械打ちこわし)や、頑強な宗教
的抵抗もなくダーウイン的な進化論史観にも、大きなな反応塔があ
まりなかったように、インターネットについてもそんな気がします。
つまり、変わること自体への、抵抗が少なく、とりあえず受容して
しまう。
おそらく、自然現象に対する諦観に起因するのでしょう。
普段は優しい自然ですが、たまに来る天災(特に地震、大風、水害、
火山噴火等々)の圧倒的力の前に、仕方がないと諦めることを我々は
深層心理の中に引きずっているのでしょう。
(2)急に変れる社会と変われない社会
日本は「急に変れない社会」だと思います。いくつか理由を考えます。
①変わらなくても良い会社
抽象的ですが、社会全体に体力があるため、「変りたくない現状維持
でいたいという人間の本能」を許してくれます。
大きな人口と、相対的にお金がある日本社会では世界的にインター
ネットからの遅れといっても、ある程度ごまかし続けることが
できます。
②変わるきっかけがつかみにくい社会(切羽詰まっていないこと。)
例えば、明治維新の際の外圧から生き残るためとか、第二次世界大戦
後の戦争に負けた結果、一定年代以上の人が経営者層からパージされ
「若手」が最善戦意出るようになったように、外部要因の「大きな社会
変化」がない限り、日本はどうも、大胆な変革が難しそう。
今変わらなければ、死に絶えてしまうという「背に腹は代えられない」
様相がすくないことが、逆に障害。
特に、行政やマスメディアの世界で、顕著な感じがします。
(結果として「ゆでガエ状態」でもいいい、との感覚あり)
(3)とはいえ、足元から。
無責任この上な発言ですが、私の意識がありそうな、今後20年くらい
は、インターネットに関する世界の潮流に、何とかくっついていって
ほしいもの。
ニュースを見ると、ふんまにんるかたない話ばかりですが、ブラック
ジョークを一つ
野党は、政権を取るとの建前で、本当は何もやりたくない本音が
みえみえ。働かないでお金をもらいたいという悪い意味のサラリー
マン根性でしょう。
某野党党首が、コロナ蔓延(との報道?)うけで、現在閉会中の国会
を開けとメディアに流す。
しかし、「インターネット駆使して、オンラインで国会を常設的に
開くべき」とは、言わない。
世の中の支持がほしくないのでしょう、とのブラックジョーク。