中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦前の中高年がざっくばらんに書きつける日記

若者でなくても、中高年も窮屈な社会と感じます 処方箋は自分が変わる、しかない

 

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窮屈な社会

1. 窮屈な現代社

 今の日本が窮屈な社会であり、若者に対して、その窮屈さを乗り越えて頑張れ、

という論調は、多いですね。

 窮屈と感じるのは、現代社会共通のものであり、程度の差はあれ、どこに住

でも同じ、社会を変えることは(あなた個人の力ではできない)、よって、

自分を変えていくべし、との見解も多いようです。

「若者頑張れ論」のいくつかの考えをつぎはぎにして、

私見風にまとめると、 

・今は、過去と比べものにならない、豊かな社会となった。

大多数の人にとって、従来は、生きていくことに精いっぱいで、社会が窮屈

 か否かなどと、考える余裕もなかった。

・時代が進むにつれ、世の中が、どんどん高度化、複雑化してくる中で

 人間の脳が社会の仕組みの複雑さに耐えられなくなっていくのではないか、

 と思われる。

 人間関係は、薄くなったのでなく、圧倒的に重くなり、多くの人は息苦しさ、

 を感じている。

・換言すると、息苦しさは、不自由な社会、窮屈な社会だと感じる。

・不自由さから、解放され、窮屈と感じる社会から、逃れる手法のひとつは、

 「好きなことをやるべし」となる。

・しかし、自分の好きなことが何か、前もって、解るはずがない。

若者よ、「好きなこと」を見つけるべく、真剣に試行錯誤せよ、思考を磨き、

 行動せよ。

・人間は、好きなことしが、頑張り続けることはできないし、頑張って、自分

 を変えていく、もしくは社会に対する抵抗力をつけていくしか、この窮屈

 世界に対峙できない。

といったような流れ、の論調です。

 

2.若者だけが窮屈と感じる?

果たして、そうでしょうか。

窮屈な社会と感じるのは若者の特権であって、

中高年、特に、日本の中高年男性は、現在の日本社会から恩恵を受けつつ、

逃げ切っていけそうな感じで、楽勝ではないか。

社会に窮屈さを感じる度合いが低い?

どうも、若者同様、中高年や老齢者の中にも「逃げ切り」かなわず、社会に

閉塞感を感じている人は多いと思います。

  私は、いまここで、格差の拡大、各社社会の固定化方向、下流老人の苦悩

という問題についてコメントしようとしては、いません。

 

ここで、夏目漱石草枕の一説を引きましょう。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう

  窮屈だ、住みにくいと感じるのは、何も若者に限ったわけでないと思い

ます。

社内が急速に変わって言って「たじろいでしまう」というのは、夏目漱石

が感じた手明治大正のころも、高度成長期のころも、現在でも、同じでしょう。

感じる強さ、対象人数等に差はあるとしても・・・・。

 

3.窮屈に対する私見

 私の考えを書くと

老若男女問わず、いつの時代も、社会が窮屈だと感じる人はいるし、窮屈だと

感じる対象と程度が違うだけ。

従来は窮屈だと感じる高齢者は、人口構成上は少数派であり、余り問題視され

かっただけでしょう。

これからは、高齢者が、人口構成上の一大勢力なっていくし、日本を追いかけ

その後、超高齢化社会が、グローバルに広がるであろうことは、周知のとおり。

(最も、「団塊の世代」の方々が、完全に消え去るときは、日本はちょっと違う

様相を呈するかもしれませんが・・・・)。

では、社会が窮屈と感じる中高年への私の処方箋は何か。

それは、若者と同じ。

というか、年代を超えて普遍的、自分を変えていくしかないと、思います。

変えていく、とは意識の問題であり、また本人と社会や組織とのかかわり方の

問題いです。

 「私は、もう変わらない」では、救いがない。

 人生100年時代で、50歳が折り返しであり、ニューディール(新規まき直し)と

 いう考えでも

 「60歳からが第二の人生」であり、生まれ変わるのだから、考え方を変えて

当然でも、どんか考え方でもいいと思いますが、

要は、常に思考を柔軟にし、社会の閉塞感に、前向きに対応していかないと、

結局、寂しい人生の結末を迎えるとなるかと思われます。