1.「怖い」という感情
昔怖かったもの、いま怖いもの、という内容で、少し書いてみ
ます。
そもそも、「怖い」という感情についてネットを見てみました。
ブリタニカ国際百科事典によると、
対して有効に対処することが難しいような場合に生じる、との
ことです。
また、心理学者で京都大学名誉教授の河合隼雄氏の定義は、
生きているが、それをどこかで揺り動かすもの」だそうです。
ここでは、その時の自分にとって対処することが難しいもの、
何か自分のモノの見方が「そうではないのでは?」と揺り動か
されるものを、「怖さ」としましょう。
2.昔話
さて、私が10歳未満の頃の話です。
私の世代は、田舎においてもテレビが白黒から急速にカラー化
する時代でした。
➀昔のアニメで「妖怪人間ベム」
というのがあり、ベム、ベラ、ベロという人間と・妖怪どちらの姿でも
妖術を駆使する3名がいるのですが、
特に女性のベラ役の妖怪の姿が、とても怖かった。
ストーリーというより、ビジュアル面でとても、怖かった。
②もう一つは「どろろ」これもアニメです。
戦国時代の日本を舞台に、妖怪から自分の身体を取り返すべく
旅する少年・百鬼丸と、泥棒の子供・どろろの戦いの旅路を描く、
ものです。
こちらは、ビジュアルというより、ストーリーの点が怖かった感覚
です。
3.オトナになって怖いもの
さて、いつの年代も、怖いものがあるものですが
大人になったからの仕事の面でこの「怖さ」に触れましょう。
➀ 私が40歳前後の時、とある企業の経営を任されていた先輩
と話していたのですが
会社を維持していくことの難しさ、収益責任、それは恐怖感の
対象以外のなにものでもなく、
この恐怖心が、大きな感情で心を占めると、有限な人間の能力
では、他の恐怖案件が、心から締め出されてしまう。
会社経営の一部を担うまでは、仕事の件でそこまで大きな恐怖心
は感じず、私生活における数々の不安感、恐怖感もあったので
すが「命までは取られない」となると、この経営の恐怖感から、
今までの恐怖感は、片隅に追いやられてしまう、
といったことをよく話していました。
例えば、家で寝ていると、ちょっと変な人の気配がするが
、その先輩以外の家族のだれも感じない。
待てよ、変な感じがしても、危害を加えられるわけでないし、
心配してもしょうがない。
経営維持、収益責任のほうががもっと怖い、「霊」かどうか
知らないが、こちらのほうは、まあ,いいか。
②私の恐怖感の際たるのは、
実は、この20年来とりついて離れないもの、
生活を維持していけるだろうか、という恐怖感。
私一人の問題ではなく、妻子含む4人家族と、実家にいる老い
た父母を含めて、私が生活の面倒を、見なければならないのだが、
大丈夫だろうか、といくこと。
それでは、恐怖克服処方箋ですが、
①晒す、紛らす、逃げる、これ重要ですね、大人の私の場合
アルコールが典型。
そうしていくうちに消えていくラッキーな恐怖感もあります。
②次に、一人で悩まず、周りに状況を話し、各人の意見を
よく聞くこと、しかし皆意見は違うし、諸刃の剣の面はあり
ます。
読書となりますね。
先人も、同じように、先日もならず悩んでいたんだ、と気休め
になるし、結局は自分で解決する問題だとの助言をもらうこと
になります。
過去、「読書感想文もどき」でも同様になこと書いていますが
知れば知るほど、私より、苦しい、大変な境遇の人はたくさん
いる。
過去も現在もそう、おそらく未来もそうでしょう。
今の私がすぐ戦場の前線に行くとか、不治の病とか、政治犯とか
要するに、近いうちに「死」をが迫ってくることは、客観的にな
さそう。
一方、自殺という手段での「死」は逃げであり、やはり否定
しよう、となると
とにかく、経済的に生きる残る道を求めて、もがき続ける
という、いつもの結論になるわけです。
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