1.ヒンシュク買わない程度に人生楽観的に
私が、今まで誰かに話せるような何がをしてきたわけでなく
おそらく今後も何ができるという訳では、ないでしょう。
しかしながら、人生は楽観的に、前向きに生きたいと思います。
楽観と悲観どっちに感じようが、「前むき」と「後ろ向き」のどちらのスタンスを取ろうが、どうあがいたところで、人は死ぬまで生きるのですから、
物事を楽観的に考えていくほうが、トクであり、幸せな気がします。
(ただし、あまりに極楽とんぼで、迷惑をかけられたと思われれてている方方からの顰蹙を買うことは避けたいですが・・・・)
2.好きな言葉、巨人の肩の上
タイトルのこのフレーズは私が好きな言葉です。
引用します。
巨人の肩の上にのる矮人」(きょじんのかたのうえにのるわい
じん、ラテン語: nani gigantum umeris insidentes )という
言葉は、西洋のメタファーであり、現代の解釈では、先人の積
み重ねた発見に基づいて何かを発見することを指す。
「巨人の肩の上に立つ」、「巨人の肩に座る」、「巨人の肩に
登る」、「巨人の肩に乗る小人」、「巨人の肩に立つ侏儒」な
どの形でも使われる。
科学者アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フック
に宛てた書簡で用いた、
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の
肩の上に乗っていたからです。
(英語: If I have seen further it is by standing
on yᵉ sholders of Giants.)
という一節を通してよく知られている。
このニュートンの手紙が原典だと信じられていることも多い
のベルナールとされる。
冒頭に書いたように、私が先人の研究成果の上に立って、現在
まで何か残るような成果を出したでは、ありません。
しかし、今後も、先人に謙虚に学び続けよう、そして、(ボケたら
仕方ないですが)可能な限り考え続けていこう、と思っています。
3.役立たずで、終わるのでしょうが・・
私が勝手に楽観論でも、世のなか悲観的な考え方が多いようです。
ホモ・デウス以外は“無用者階級”
単にAIにデータを提供するだけの存在になるおそれがあ
ると警鐘を鳴らしています。
それにもかかわらず
巨人の肩の上に乗っていることを自覚し、謙虚に、まじめに、
自分でできることをやってみよう。
結果は問うても仕方ない、そのころはもう自分は存在していな
いのだから。
といったところです。
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