<死>の臨床学
超高齢社会における「生と死
村上陽一郎 / 著
新曜社 2018.3
1.概要
著者の村上さんは1936年(昭和11年生まれ)
あとがきに「平成29年の終わりに」とありますから、82,83歳ころ
の執筆でしょうか。頭が下がります。
村上さんは、科学史家・科学哲学者です。
上智大、東京大、国際基督教大他で、勤務とあります。
お父さんは医者であり、村上さんが高校3年の時に亡くなられた
ようですが、
別の著書で大正の教養主義時代の学生を体現する人物の一人と
して出てきます。
さて、本書は
安楽死(尊厳死)、緩和医療、終末期鎮静、臓器移植、介護など
の問題を論じています。
村上さんの個人的な体験として日本医療を見てきた歴史も面白
いし、老いや死について、万葉集、中国詩人の七言詩、ソクラテス
から始まる西洋哲学、葉隠れ、といった引用分析に加え、リチャー
ド・ドーキンスン「利己的な遺伝子」コメントはじめ生物学的見地
も入ります。
実体験と広い教養をベースとした村上さんの深い思索が、解り
やすく書かれている(といっても私の未消化も多々ですが)
と思います。
構成を書くと
序 章 日本の医療 ーー純個人的な体験記
第1章 戦後の医療改革
第2章 日本の医療ーー国際比較の中で
第3章 老いと死の諸相
1 老いと死の諸相
2 医療における死
第4章 死の援助
第5章 終末期鎮静
第6章 生きるに値する命
終 章 ささやかな、ささやかな提案
2.ピックアップとコメント
いつものように( )内が私のコメントで、太字は私がつけたもの
➀ 「戦後の医療改革」部分から
・胎児条項に挙げられた障害の持ち主が、
現代社会に生きている場合、胎児条項の
存在は、自らの生存する権利を問われていることになり、これは
人権上許容し得ないという判断も必要となる。(P42)
(これは、とても難しい)
・社会システムとしての日本の医療制度の現状は、他の先進国と
比較して 十分世界に誇ることができる(P55)
(こちらは、割とコンセンサスでは?)
②「日本の医療(国際比較)」から
制度化(P62)
・アメリカでは、まだ半数近くの人々が、実質上無保険状態(P64)
するとさえ主張する (P65)
・アメリカでの個人の自己破産の6割は、医療費の請求に由来
・(
アメリカでは)高度医療の受益者が、
社会の中では極めて僅か
の富裕層に限られてている点
(この辺りは、ある程度認識してましたが、自己破産の6割が
医療費に由来するとは、とても高い比率ですね。
アメリカは敗者復活の社会であり、新陳
代謝が進む社会と
聞きます。
日本もそれを追いかける傾向もあり、老失く男女が、大組織を
離れて、自分で勝負しようとする気概は、必須ですし、それは
いいことと思います。
また、その傾向も加速しています。
アメリカのように、「バックに大きな組織がないと、求める
医療サービスが 妥当な価格での受けられない」とまでの心配
は考えなくていいから、
仮に、起業や自営がうまくいかなくても、医療面では日本は、
恵まれていると思います。)
・老自医療費の2割、3割負担は軽い方
「歴史になかでは、受益者である患者の「全額負担」が当然のこと
とされてきた時代が長かった」(P70)
(国にも、お金がないし本人負担割合は必然的に上がっていくで
しょう。)
③「老いと死の諸相」から
生き残る主役は遺伝子であって、
自己保存、継続性のためプログラミングされている
個体は単に運び屋(ヴィークル)にすぎない(P84)
・(村上さんの考察)
「遺伝子型」の記憶として、同型の交配より、異型の交配の方が、
自らの保続に有利だから(P88)
(「獲得形質の遺伝」が理論面でも実際面でも否定されていること
に関して)
・こうした二次的に獲得された機能や性質は、次世代への連続性、
保持性は期待できない、この厳しい現実こそ、人間の死の持つ
決定的なポイントであろう。(P90)
・死によって生まれる非連続性。断絶を乗り越えようとする
人間の二次的な生産物の総体を、私たちは「文化」と呼ぶ(P90)
・(動物においては「老い」即「死」であることをふまえ)
人間だけが、生きるに当たって、死を考え、死を人生の旅路の
究極点に見据えることで、生きている動物ということになる
(P92)
④ 「死の援助」から
先進国での
自死をめぐる新しい動きに考慮すべき2つの論点
●自己決定権、あるいは自己裁量
●人間の尊厳 (P125)
他社への愛が、自己の生命の維持に優先するという場合は
「
自死」
とは認めず人間同士の間に存在する「愛」の行為とす
ることで、容認するどころか、賞賛の対象としてきた(P128)
特に「慈悲」の行為として、他社への愛が動機の場合には
むしろ最も尊敬すべき価値と考えられる (P129)
⑤「終末期鎮静」から
「裁きは終わりぬ」から)
「患者を愛する被告にとっては、モルフィネを与えること以上に
何もできない医学が耐えられなかった」
の言及していることをふまえて)
この鴎外の言葉からは、医療・医学の世界では、
安楽死は、
絶対に
認められないものではない、むしろ自然な行為の一つとみなされ
うる、という医学者に比較的ありがちな姿勢を見て取ることが
できる。(P159)
⑥「生きるの値する命」から
・医療側か、患者の苦しみに「寄り添い」、「自らのもの」とは
できないとしても苦しみを「共にする」ことから医療が出発
すべき(P195)
3.最後の感想
読後感は
まず、避けてはいけない、あたりまでのことを提示され、身が引き
締まる思い、という感じでしょうが。
上記2の①②コメントにも書きましが、
データや一文引用については、私が従前から認識している点も
ありました。
しかしながら、全体通読して、村上さんの子供世代にあたる私
ですが、改めて重い現実を突きつけられて、再認識させられた
た感じです。
本書は、80歳をすぎた村上さんが、深い教養と、現場目線双方を
もって書かれた、稀有な本かと思います。
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