中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

ノーベルウィークの話、ノーベルの命日12月10日に授賞式 高齢者でなくても外の寒さは堪えそう

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ノーベル賞授賞式

1.ノーベル賞へのコメント

は、このブログで少し書いています。

10月8日の「基金の運用が上手なんでしょうね?」という

タイトルの記事で

5まとめ

ノーベル賞」のブランド維持大切ですよね。

身もふたもない言い方ですが、

基本となるおカネがないと、制度の維持ができません。

ノーベル賞設立時の基本理念を維持しつつ、基金の運用

頑張れ、と、応援するばかりです。 

ノーベル賞の賞金原資は大丈夫?基金の運用が上手なんでしょうね。 - 中高年michiのサバイバル日記

 また10月10日の「吉野昭氏受賞おめでとうございます」

のタイトルの記事で

3 吉野さんの研究態度として

➀ 研究開発では「ねばり強さ」「楽観的な姿勢」

「時代の流れを読む嗅覚」の3つが必要、

と吉野さんは述べています。

そっくりそのまま、ビジネス全般にも言えそうですね。

「ねばり強さ」、「時代の流れを読む嗅覚」は良く解

りますが 私が取り上げたいのは「楽観的な姿勢」です。

 天でも、神でも、何超自然的な「何か」でもなけでは、

「結果」を知ることはできません。

 それこそ「人事を尽くして天命を待つ」べきですが、

やるべきことをやって、悲観しても楽観でも結果同じ」と

開き直ることが、つまり精神的には楽観の方が得、と私は思います。

ノーベル化学賞、吉野彰氏の受賞おめでとうございます。(研究態度と歴史観) - 中高年michiのサバイバル日記

  2.ノーベルウイークとは

下記掲載の記事から抜粋引用します。

①「人類に最大の貢献をした人」に贈られるノーベル賞

ことしの授賞式がいよいよ12月10日、スウェーデンのストック

ホルムで開かれます。

日本からはリチウムイオン電池の開発に貢献し、化学賞に選ば

れた旭化成の名誉フェロー、吉野彰さんが出席します。

②授賞式の4日前となる現地時間の12月6日、ノーベルウ

ィークの皮切りとして、ノーベル博物館のカフェにある椅子の

裏に受賞者がサインするという恒例行事が行われます。

③翌7日には受賞者による現地で初めての記者会見が、8日

には「ノーベルレクチャー」と呼ばれる記念講演が行われます。

この講演は受賞者がおよそ45分間にわたってこれまでの研究の

経緯や意義などについて話すもので、スウェーデンの国内外

から1000人を超える人が詰めかけ毎年、立ち見の人が出る

ほど人気の行事となっています

アルフレッド・ノーベルの命日にあたる12月10日には、

いよいよ授賞式と晩さん会が行われます。

授賞式は市内のコンサートホールで、晩さん会は市庁舎で

それぞれ行われますが、毎回、注目されるのが出席する際の

装いです。

その後開かれる晩さん会では受賞者が王族らと会話を楽しむほか、

各賞の受賞者の代表が、アルフレッド・ノーベルが遺言で残し

た賞の順番にしたがってスピーチを行います。

(物理学、化学、医学・生理学、文学、平和となっています。

遺言には経済学は含まれていませんでした。) 

 「ノーベルウィーク」どんな1週間に?|チコちゃん×NHKニュース ノーベル賞ってなんでえらいの?|NHK NEWS WEB

 3.まとめと私見

ノーベル賞受賞会場の外は、寒いんでしょうね。

特に高齢者には大変かと思います。

私は、この時期のストックホルムの寒さを知りません。

というか夏も含め北欧に行ったことことがありません

12月6日のTVニュースで受賞予定者帽子が気になりました。

頭の防寒は、老若何女問わず大切です。

特に寒さの厳しい地域の屋外は、帽子が必需品。

ファッションとしての帽子とは別。

命を守る道具としての帽子でしょう。

また、脱線します。

なぜか私は、ロシアの葬儀を思い出しました。

寒い冬空の中、霊柩車でゆっくり移動する棺の周りを、政治局員

幹部が徒歩で、ついていきます。

確か葬儀委員長は、次の後継者に決まった、ゴルバチョフだった

ような気がします。

昔の記憶です。 

②椅子の裏に受賞者がサインするという恒例行事

これは、TVで見ました。

「吉野彰」と日本語で記載。黄色いソフトペンだったようです。

③ 時代の流れを読む嗅覚 

 研究開発に必要な要素の一つとして吉野さんが、あげたもの

(前出1010のブログ)ですが、よくよく考えると難しい。

「嗅覚」が天賦のものなのか、後々の精進で「身につく」もの

 なのか?

 しかし、この疑問が今の私とって無意味なのに気づきます。

 今の自分に何ができるわけでもない。

 「言志四録」の中の

 壮にして学べば老いて衰えず。 老いて学べば死して朽ちず。

を、突然思い出しました。

今の自分が「壮」と「老」の中間として、死ぬまで

「学ぶ」ということを続けていくしかない、と、思い起こ

したまでです。