1.年の瀬はいつから?
これを書いているのは、12月10日で、もうすぐ「年の瀬」となる
ようですが正確には「年の瀬」っていつからなんだろう?
と思い、調べてみました。
次に浮かんできたのは、「待てよ、明治維新以来150年は過ぎたもの
の、遡ると、江戸時代、安土桃山、戦国と脈々と続いてきて太陰暦の
ころの年の瀬は、いつだったんだろう?」ということで、
太陰暦についても、探ってみました。
いきなり脱線ですが、名実ともに「明治時代」がスタート
としたのは「廃藩置県」のあとでしょう。
いろいろ議論はありますが、150年たって、「県」という
制度が残っていること自体は、とてもすごいと思います。
制度疲労もあったでしょうに、幾多の波を越えてきました。
少子超高齢化社会を迎え、議論は続きます。
さて、「年の瀬」ですが、
参考にしたのは、「年の瀬はいつから?」です。
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➀「年の瀬」はいつから?
いつからいつまでという明確な定義があるわけではなく、
12月に入ればいつ使っても問題なし。
一般的には12月中旬からその年の最終日(12月31日)までの時期
を表す場合が多い。
②「年の瀬」の語源
江戸時代の人々は、支払いを「ツケ」として後払いにする習慣
があり、後払いしたお金は年末には返さなければならない。
切羽詰まった慌ただしさを、うっかり流されると命の危険にさら
されかねない川の急流に例えた言葉が「川の瀬」。
つまり、「年の瀬」の 語源は、江戸時代では年末に未払い金の
返済に追われて慌ただしかったことからきている。
③年の瀬が押し迫るという表現
年末になり新年の準備や今年やならければいけない事を片付けると
いった気忙しいという表現の際に、「年の瀬が押し迫る」という
言葉を用る。
2.明治以前の暦、太陰暦の話
以下、2,3,4も引用(一部私が表現修正) 引用元は
➀まずは現在の暦、太陽暦の復習です
太陽の運行(地球が太陽の周りを回る周期)を基準としている
1年を365日と定め、4年に一度だけ1日(6時間を4年分で24時
間=1日)を追加して366日にすることで調整
この366日になる年を「閏年(うるうどし)」と呼ぶ。
現在、世界の多くの国で使用されているグレゴリオ暦
暦法が明治5年まで使われており、これが旧暦とされている。
を混合使用しているのが特徴。
太陽の動きを基準とする1年より11日短く、3年で約1ヶ月の
ズレが生じることになる。
そのため、3年に1度の割合で「閏月(うるうづき)」を加えて
1年を13か月として暦のズレを調整
③そもそも太陰暦とは、の説明
太陰暦は、月の満ち欠けの周期を基準としている
新月から次の新月になるまでの29 または 30日間を1ヶ月とし、
12ヶ月を1年(約355日)としていた。
しかし、この場合、年を追うごとに日付と季節がズレてしまい
ように太陽の動きも考慮している。
3.明治に暦を変えた理由二つ
①. 近代化を目指すため
千数百年使われ続けた歴史ある旧暦を新暦に改暦する理由として
明治政府がヨーロッパで広く使用されていた「太陽暦」を採用
して近代化するため。
②役人の給料カットのため
明治5年の当時、明治政府は財政難。
翌年は閏月のある年(1年が13ヶ月の年)を迎えてしまうため、
官吏(かんり)の給料を1ヶ月分余計に支払わなければならない。
これを回避。
4.旧暦の名残り
明治6年に新暦となったが、私たちの生活には旧暦の名残りがたく
さんある。
日本では3ヶ月ごとに春夏秋冬とするが、新暦と旧暦では約1〜2ヶ月
のズレが生じています。
そのため、季節に関する年間行事で、旧暦の名残りが多く存在する。
新暦では3月が春の始まりだすが、旧暦では1月。
年賀状で「新春」や「迎春」と書いているが、これは旧暦の
挨拶が元になっており、それが今でも使われているため。
5.まとめ
本日のブログは、私がが無知であった部分を引いたまで、
私見らしきものは脱線の「明治の廃藩地検が150年たった今も
強固な制度として生き残っていてすごい」
ところくらい。
本当は太陰暦から太陽暦に代わり、農村漁村現場が少なからず混乱、
という視点を書きたかったので、次回、もう少しよく調べます。