中高年michiのサバイバル日記

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「日本人は本当に無宗教なのか」(読書感想文もどき) 著者は無宗教との見解

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日本人は本当に無宗教なのか

日本人は本当に無宗教なのか

礫川全次/著  

平凡社 2019.10

 1.概要

 現在の日本人は無宗教だ、という見解もよく聞きます

宗教感が人間意識の根底にあるキリスト教徒やイスラム教徒が、

無宗教の日本人は、何を考えているのが、解らない、恐ろしい」

まことしやかに、書いている文章も読んだこともあります。

本当にそうでしょうが。

著者は、

 かつて日本では、宗教と習俗とが補完し合う形で人々の心を

支え、社会や共同体を支えていた。

 ある時期まで、日本人は十分に「宗教的」だった。

 では、いつから無宗教になったのか。

 日本人の特異な宗教意識を歴史的に解明する。

としています。

 著者は、1949年生まれの 在野史家、歴史民俗学研究会代表、

とあります。

私の偏見でしょうが「在野史家」という言葉が好きです。

 

 2.目次

第1章 かつて日本人は宗教的だった

第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」

第3章 本居宣長平田篤胤の思想

第4章 幕末に生じた宗教上の出来事

第5章 明治政府は主教をいかに扱ったか

第6章 明治期における宗教論と道徳論

第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉

終  章  改めて日本人の「無宗教」とは 

 

 3.日本人はやはり「無宗教

 著者は終章において、詳細な分析踏まえ、日本人はやはり

無宗教」と結論付けます。

それを追います。

1.宗教の定義
習俗と深く結びつくことによって「生・性・病・死」といった問題
に悩む民衆に、一定の回答を与えるもの、これが宗教。
 
2.日本人の「無宗教」を形成する3つの要素
  ➀「宗教」を特定の信仰団体というふうに狭くとらえた上で
  そうした信仰団体に加わっていないから、自分は「無宗教
  ②習俗(俗信・迷信・呪術・社会的慣習などを含む)などに
  支えられながら  (制約されながら)生活を送っている
  にもかかわらず、そうしたものは「宗教」でないから
  自分は「無宗教
  ③これまでの日本人を支えてきた(制約してきた)  俗信・
  迷信・叙述・慣習などが、すでに崩壊し、あるいはその機能
  を失っていること。
  この③の事例として、以下を上げます。
   戦後のベビーブームに象徴される両親や周囲、あるいは本人
   の結婚に対する強い意識、子孫を残す意識(共同幻想)を
  支えているものが習俗でありその習俗の機能が今日崩壊に
  瀕していること。 
 
 なお、著者は本書の目的を
「日本人の無宗教は歴史的所産であることを明らかにすること」
であり、それ以上問題を広げる用意がない、と述べています。
 
3.日本人が「無宗教」になった理由付け
  国家権力、ないし、それに追随する知識人が「宗教」という
  ものに対して、弾圧や介入を繰り返してきた結果「宗教」
  に対する民衆の意識が、偏向した形で、固定してしまった
  から
 なお、この「偏向した形」には3つの形がある。
  ➀ネガティブな形
  ②習俗を否定する形
  ③混乱を招くような形
  (補足説明)
 ➀は権力側から見ると、自分に従わないものとして、宗教=邪宗
  徳川幕府も、明治政府も、昭和初期もいろんな形態での弾圧が
 あった。
 あるいは現代も、ソフトに、より見えない形で存在する。 
 ②呪術行為や習俗は、近代以前の日本においては「宗教の一部」、「宗教の補完」
 であったが、呪術や習俗は、明治に入り、克服さるべき「迷信」
 や「陋習」とみなされた。 
 ③明治政府においては「国家神道」が、実質国教であったが、
 これを「宗教ではない」と最後まで言いつくろったので、
「宗教」に対する混乱が生じた。
 
  4.まとめ
  「日本人の宗教観」もまた、非常に難しい問題だと思います。
 著者の主張は、宗教を習俗との深い結びつきで捉えます。
 習俗を、平たく言うと生活習慣とそれに基づく考え方と解すると、
 ご案内のように、日本では第二次世界大戦後、生活様式の変化とともに、
 宗教観に、急激な変化がありました。
 この21世紀にはいって、生活習慣の変化は緩和するどころか、
 速度を上げつつあるように思います。
 先般ローマ教皇の来日がありました。
 約40年前の来日時とは、日本人の感覚もまた変わってきている
 ように感じています。