先日の「昨日の悲観論より、楽観論のほうがいい」話と違い、
本日は、人間は変わらない、ただし、道具はどんどん変わって
いくという話。
1.活字から映像への流れは変わらない
人間は、楽を好む怠惰な性格があり、これは、ずっと変わって
いないと、思います。
自分で情報を取りに行くのは、めんどう。
努力を伴ったり、結局自分で情報を取ることが、困難、不可能
であったりします。
ギリシャ悲劇に感動して涙を流す群衆、
ローマのコロッセウムで拳闘に熱狂する群衆、
事例は、枚挙にいとまなしですが、皆情報は大好きです。
文字が読めなくてもいいのです。
見世物、絵画、音楽において、言葉すらわからなくていい。
要は自分を興奮させる刺激が欲しい、のです。
さて、時代を降って現在も、人間は変わlっていません。
情報を取るため、活字を自分で読むしかない手法から、
向こうから情報が画像とともに飛び込んでくる。
テレビがその典型です。
主体性不要で、自分で動かなくてもよい面があります。
勿論、一字一字文字を追うように、自分の頭で考え、理論を
追って批判的にテレビ番組を見る人も否定しませんが、
別のことをしながら、考えながら、「ながらなんとか」がで
きる、というのが特徴です。
この章の結論めきますが
文字情報から映像情報へのシフトが進む、ということ。
2.ますます情報の映像化は、進む
話は続き、この事例もすぐいくつか挙げられます。
➀日本人が総報道カメラマン
自然災害の多いのは、日本列島は仕方ないとの話は、複数
コメントしていますので再論はしません。
ここで言いたいのは、ほぼ全国の日本人の一定割合(大部分)
が、カメラ機能付きの携帯電話持っており、静止画像どころか、動画
でも手軽に情報を流せます。
自然災害に遭遇した方が、「にわか報道カメラマン」となり、災害
の画像や動画を撮影し、これが大手メディアで通じてニュースと
して流されるのは、今や日常の光景となってきました。
②「アラブの春」もインターネットあればこそ
詳細は述べません。
発展、ついには、政権が倒れます。
その後情報がソーシャルネットワーク通じて瞬く間に広がります。
情報インフラとしての力を見せつけた形です。
今では、少し古いニュースでしょう。
しかし本質は、変わっていません。
③SNS隆盛は、私がコメントしなくても。
インスタグラムがどうこうと、使いこなせていない、というか
利用ケースが皆無に近い、おじさんが、コメントするのも無意味
でしょう。
せいぜい私はフェイスブックの上場してからの株価推移を、環境
に合わせてコメントできるくらい。
「SNS市場がどんどん縮小していく」という解説は、今の段階
では書けません。
④次世代移動通信 5G
ネット上でも議論が激しい。
「画期的」、「すごいこと」、「2020年には通信環境が大きく
変わる」と主張するヒト、評価する人がいる一方、
「当面何にも変わらない」、「自分には無関係」という人も多々。
議論は置いておいて、私がここにとりあげたいのは、
文字情報からデジタル情報への流れは止まらない、
という、いち証左。
⑤テレビはなくならない
ものの本にありますように、現代の消費社会では、需要者ニーズ
は、まさに供給側が創造しているものであり、私見では刺激の
強度からいうとテレビCMは、今後も残ると思います。
すべてがインターネットに駆逐されるわけではない。
換言すると、ネット社会になっても、自分で選択しなくても
「通信でなく放送の部分」は、多分消えない。
自分で選択しなくていい、のはラクなのです。
能動的に活字を追うのは疲れますが、
テレビは、勝手に映像が流れ、一定の刺激を受け、退屈しない
もし退屈ならチャンネルを変えるだけでよい。
3.人間は変わらない(昔話から)
➀象徴する言葉
昔、「テレビや漫画ばかり見ていないで、〇〇しろ、と言われた
世代が親になり、自分の子供に同じ趣旨をいう時代
さしずめ「携帯ばかりいじっていないで、〇〇しろ」でしょうか。
本質は、受動的態度でなく、自分で考えろ、能動的に動け
という趣旨でしょうが
ツールがインターネットに、デジタル情報に変わっただけでしょう。
携帯で、静止画像の漫画だけでなく動画も見えるし、便利。
②今時の若者は、、、、
こちらの表現は、もう数千年の歴史があります。
「今どきの若いものは、だらしない、情け無い、我慢しない、
勉強しない」
この「だらしない、・・・・・・」以下は なんでもいいわけで、
要はマイナス要素を書くとこの文章か、完成します。
これって文字の記録が残っている古今東西にある話です。
本当に先人に比べて、後に続く人間が、「だらしない、情け
ない」のなら、かつての恐竜のようにすでに地球上の覇者の
地位を、人間は、もう降りているはず。
ヒトの意識は、変わっていないのでしょう。
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