今週のお題「クリスマス」ということで、少し書きます。
なかなか現在進行形の有益だと思われる情報はなく、またまた
昔話のオンパレードとなるのをご了承ください。
1.オトナの対立に、コドモは敏感
冒頭は、私が子供の頃の暗い話。
親戚一同で、クリスマスイブに会食をしたことがあります。
私の自宅でなく叔父の自宅で。
この時は、父方の親戚の集まりで、私にとっての二人の叔父は、
父の弟。
皆近所に住んでいます(遠いところでも、子供の足で歩いて20分
くらいでしょう。)
3家族の父母と、その子供、つまり私の姉妹と、いとこがそろい
ました。
総勢大人6人と子供10人です。
私の姉妹、いとこも、ほぼ同世代、小学生だったと思います。
普通に、叔母の作った手料理と買ってきたチキンやケーキを
食べゲーム(当時はボードゲームしかなかったと思います。)
をしました。
通りいっぺんとは言いませんが、それなりに会は楽しかった
はずですが、メニューも、料理の味も、ゲーム結果も記憶に
残っていません。
思い出として残っているのは、くらい話。
会もお開き前だと思いますが、母(私の実母)と叔母が何かの
いざこざで、気まずい雰囲気となったこと。
子供ですから、いざこざの原因は解らないし、対応しようもない
のですがオトナの「気まずい」雰囲気だけは、皆敏感に感じます
よね。
お開きとなって、夜父母、姉妹と歩いて(父母はアルコール入り
です)帰宅しますが、終始クラかった気がします。
(掛詞で、外が暗かった意味では、ありませんよ。)
あえなく、当該親戚で集まってのクリスマス会は、翌年から無く
なってしまいました。
2.子供がサンタクロースを信じていたころ
続いては、明るい話
私自身でなく、私の子供の話です。
二人の息子は、近くの幼稚園に行っていました。
歳時記変わりりといっては何ですが、七夕や節分と同じく、幼稚園
の行事メニューとしてクリスマスもひとおとり、やっていたよう
です。(間違いならごめんなさい)
家庭でのクリスマス対応は、コーディネータの妻に一任ですが、
いっぱしにクリスマスツリーを引っ張り出し、部屋にはいろんな
飾りつけをしていたかと思います。
特に我が家はキリスト教徒ではなく、宗教色は特になかったよう
です。
私が印象に残ってるのは、クリスマスプレゼントへの子供の理解。
ある年齢(月例という言い方の方がいのかな?)の時期まで、
サンタクロースが本当にいて、(彼の頭の中の理論構築はともかく)
マンションのセキュリティをかいくぐって、9Fの自分の部屋まで、
自分のために好みのプレゼントを持ってきてくれた、と本気で
信じていたことを思い出します。
3.クリスマスも仕事をしていました。
時間は少しまた戻ります。
私の独身時代、バブルの頃のクリスマスの状況です。
巷では、彼女とどう過ごすか、どこぞの食事がいい、どこかの
ホテルは、もう予約が取れない、等々。
経済全体から見ると明るい話題が、日本全体に漂っていた気が
します。
将来振り返ってみると、あのバブルの頃が「日本経済の頂点」
だったとなるのでしょうかね。
おそらく、あの時代は日本に再びは、やってこないでしょう。
面白くもおかしくもないのですが、ぺいぺいの私は、当時延々と
仕事をしていました。
これも、当時のステロタイプ的ですが、仕事がえりにスナックに
立ち寄り、スナックママと他のお客さんと一緒にクリスマス会、
という経験はありません。
年末のこの時期は特に多忙で、外の夜の会合に出ても、腹ごしら
えし、アルコールを抑え気味にして、会のお開き後は再び会社に
戻って仕事継続というのが、割とあったような。
勿論、当時の「ぺいぺい」から実務責任者中心で、上の世代、
当時の管理職や幹部は、会合から二次会、三次会へと流れたと
思いますが、、、、。
冷静に振り返ると、
求められる仕事があり、仕事内容はそこそこ面白く、またしか
るべき報酬もあって、いい時代だったかと思います。
当然、今の時代の若者と比較するつもりはありません。
4.今年の私、おそらく同世代おじさんと
打合せ
12月24日は火曜ですが、出張でこちらへ来る仕事の関係のおじさん
(私より少し若い)と、打合せを兼ねた会食になりそう。
もう長らく、子供や妻に相手してもらうクリスマスの時期ではな
いのが、他の中高年も同じでしょうか?
それは、失礼ですね。
多様化の時代でしょうから、人それぞれでしょう。
ご案内のように2019年12月23日は月曜で、平成の天皇誕生日です
から、ビジネスデイです。
12月27日は仕事納めのヒトも多く、その対応もあり、月例の会議
もあり、12月23日から27日の週は、ビジネスでばたばたしそう
です。
読み返してみて、中高年男の悲哀を感じさせる文章ですね。
お粗末でした。
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