先日AI(人工知能)の活躍で、サービス産業の生産性が向上する
のでは、という話を書きましたが、
今回は、AIは小説を書けるものだろうかと、少し考えてみました。
参照したのはまた私が読んでいる会報記事で、作家の円城塔氏の
どんなに小説そっくりであっても、その文章は小説で
はない、ことになります。
(2)利用者のニーズから考えてみます。
ちょっとした近未来のイメージです。
➀新しい「小説」を読みたいと思った人が、
・○○時間くらいで読める分量
・男女が出てくる。
・出会いと別れがある。
・少し感動の涙もでる。
・すっきりした読後感がある
等々のキーーワードをスマホに打ち込みます。
②すぐその「小説」の冒頭部が表示されます。
③指示に従い、続きて料金を支払うと、全文が出てきて、
その場で読めます。
④こんな感じで、いかにも手軽に、最初は安っぽい内容です
が、どんどん品質が上がってくるでしょう。
⑤ 小説を、所詮型にはまったことの組み合わせと解釈する
と、この作業は、人間でなくAIの独断場ではないでしょうか。
という理解に立つと、AIも小説を書ける、となります。
2.本来の「小説」の意味合い
➀レベルについて
確かに機械学習といったって、ある著名作家の全作品を読ま
せたところで、同じレベルの作品が生まれてくるとは思えま
せん。
しかし、当該作家の生涯での体験や読んだ本、勉強したこと
等AIがどんどん学んでいったとしてら、、、、。
相当部分類似した高品質の小説ができあがりそうだし、ある
意味まるごと、特定人物の知性に近づいていける気がします。
脱線ですが、レベルが相当上がってくると、
読者の人間は、この「小説」を書いたのが、生身の人間なの
かAIなのか判明できないと思います。
②実務的な面では、
円城さんは「小説の公募賞の審査などは、人工知能の支援を
受けるべき」と述べています。
新人小説家の審査員の絶対数が足りないとのこと、です。
応募作品の中には、「そもそも小説の体をなしていない」
レベルの作品もあるそうですから、現時点でも、AI、この一次
審査には使えそうな気がします。
(現実的にビジネスの各場面でAIが「前振り」や「下作業」
を担っている部分がありますし、日々どんどん拡大してき
ています。)
コスト削減の意味も含め、小説の審査の「前振り」も必要で
しょう。
「長らく待たねばならない」より短時間で結果だが出る部分
は応募者にとってもいいことではないでしょうか。
③次は正確な引用です。
なお、円城氏は、「小説を書くのに必要なのは、人工知能と
いう より人工人間となっていきそうであり、小説を書くため
に人間 を一人作りだすような倒錯が生まれてくる。」
「人工知能に小説は書けぬ。書けるなら人間になってしまう
からである。」と述べています。
3.まとめと私見
➀供給側が、需要者と時間・空間を共有せざるを得ない理髪、
飲食、 現場観戦コンサートやスポーツ等のイベントは置いと
いて、小説を書くとか、ブログを書くとかのサービス業は、
となると、供給側からのビジネスライクな見解にたつと
優秀なAIを開発、購入、 搾取、合法非合法のどんな手段に
せよ、自分の所有物として保持し、このAIに指示して
いろんなアウトプットを生み出せたら、 その人は、ある意味
「神の領域」に近づくんでしょうかね。
②芸術とはなにか、とか大上段に振りかぶるつもりはありません。
絵画にしても音楽にしても、映像、文章ににしても
消費者側にそれを「楽しむ」人がいて、その要望に十分答えら
れたらそれでいいのでは?
「なんだ、AIが作曲したのか、とそれを聞いただけで興ざめ
を感じたり、むっと来たりする人もいる反面、純粋にこの曲が
好きだ、だれがどうやって作ったかには関心がない」という人
もいるはず。
様々でしょう。
③もう、チェス、将棋、囲碁の世界で人間がAIに勝つ時代は
終わりました。
また、いろんな政策決定においても、
ブラックジョークみたいですが、例えば「高齢者対策」や
「女性活躍のためには?」とか「中国共産党の未来は?」
とか、AIの出した答えの意味を人間が必死に考えて実践に
役立てようとしている世界もあるようです。
単に私が知らないだけで、AIを活用する世界は、現在進行形
で、どんどん範囲が拡大しているような気がします。
|