中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦前の中高年がざっくばらんに書きつける日記

正月はなぜめでたいか?(新年の挨拶に代えて)

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おめでとうございます

あけまして、おめでとうございます。

当ブログも、正月くらい、景気のいい話、読んでスカッとする

ものを書きたいと思うのですが、無理をしてスタンス変えても

それこそ、ちっとも面白くもない、と推察できます。

今までどおり、私個人の能力の範囲で、日々考えていることや、

世の中の事象や、書籍について素朴な感想を。。。

ということで、タイトルは「正月はなぜめでたいか?」です。

1.私にはしっくりくる商売人の発想

なぜ正月がめでたいか?
ネットを見ても、質問に対し有識者からの回答がいくつもあり
 ・年内に資金繰りの目処がついて、年が越せる。
 ・来年も商売ができる、つまり生き延びられる
 ・安堵した、これは、めでたい。
それがどうした?全くピンとこない、という人も多いでしょう
が、私は、仕事でこんな状況に近い立場にいたこともあり、
よく理解できます。
いつの世もそうですが、皆が皆、来年が保証されている訳では、
ありません。
そういう状況にあると、「安心できているこの瞬間を少しの時
でも長く」、と思うし、
「これで、正月三ヶ日くらいは、枕を高くして眠れる、なんと
か生き延びられる。これは、めでたい。」という心情。
生きていくこと自体が苦しい、苦しいことが普通だったのかも
しれません。 
しかし、よく考えると上記事例は、広義の商売人の世界に通じ
るもの。
長い日本の歴史の中で、大半の人々は、農業中心とした第一
次産業従事ですよね。
「収穫祭」が世界中にあるのは、感覚的によくわかるし、
稲作にとって、特に田植えの時期は重要、こういった時期を
祝うことは感覚的によくわかる。
ハテ、正月はなぜ?と、思います。
  2.やはり稲作文化と神道
出雲大社紫野協会というところから引くと

なぜめでたいのかというと、正月にはこの一年の豊作

や家に幸いをもたらす神さまである「年神(としがみ)さ

ま」がいらっしゃるからなのです。

年神さまに家に来て頂くために、玄関には門松を立て

ます。

反対に悪しき神が入ってこないようにしめ縄を張ります。

そして鏡餅などは年神さまにお供えするためのものなの

です。

 お正月はなぜめでたいのか

 豊作や幸せをもたらす神様が来る月だからなるほど、

これはしっくりきます。

 ②もうひとつ引用します。

それはいうまでもなく正月の信仰による。

お供え餅はある尊貴なもの、正月になると必ずやって

くると信じられた「正月様ー年神様」に供えるのである。

昔の人は多くこの年神様を神棚に迎え、鏡餅を供えて

礼拝した。

いま神棚は普通の家には見られなくなったが、神棚が

なくなってもこの気持ちは意識されずに続いている。

「松飾り」には変わらぬ緑の葉に祝いをこめる。

松飾りは単なる正月の飾りではない。

昔の農家は田に立てて祝う場合もあった。

田がなくて松が立てられない場合は床の間、それもない

家は玄関の柱か入り口のドアに立てる。

「おめでとう」というのは、意識されていなくとも松の

緑に変わらぬ生命の宿りを認める気持を述べるのである。

「芽が出る」ことをこめて、同時にそれを「賞でる」

気持が現れる。

芽が出ると期待するのは何か?それは農業にとって大切

な芽…稲を中心とする農作物の芽であることは言うまで

もない。 

正月はなぜおめでたいのか?|宇都木敏郎の徒然話

 

「芽が出る」ことをこめて、同時にそれを「賞でる」

気持が現れる、ことから「おめでとう」ですね。

これもしっくりきます。

 3.自ら能動的に動いて「めでたく」
しないと
締めには、正月の抱負も必要でしょう。
実は昨日の大晦日にアップしたもので
確り考えて行動せよ
無駄な悩みは、やはり無駄、想定外のことは起こる、
と書いています。
昨日と似た今日の挨拶ですが、 昨年10月11日のブログ
「夜と霧、フランクリン」に引用したものを改めて、
私の言葉に言葉に置きかえて、
「私の人生の方から、私に投げられてる”意味と使命”を見つける
べく、考え行動していく、べし」というところでしょうか。
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