あけまして、おめでとうございます。
当ブログも、正月くらい、景気のいい話、読んでスカッとする
ものを書きたいと思うのですが、無理をしてスタンス変えても
それこそ、ちっとも面白くもない、と推察できます。
今までどおり、私個人の能力の範囲で、日々考えていることや、
世の中の事象や、書籍について素朴な感想を。。。
ということで、タイトルは「正月はなぜめでたいか?」です。
1.私にはしっくりくる商売人の発想
なぜめでたいのかというと、正月にはこの一年の豊作
や家に幸いをもたらす神さまである「年神(としがみ)さ
ま」がいらっしゃるからなのです。
年神さまに家に来て頂くために、玄関には門松を立て
ます。
反対に悪しき神が入ってこないようにしめ縄を張ります。
そして鏡餅などは年神さまにお供えするためのものなの
です。
豊作や幸せをもたらす神様が来る月だから、なるほど、
これはしっくりきます。
②もうひとつ引用します。
それはいうまでもなく正月の信仰による。
お供え餅はある尊貴なもの、正月になると必ずやって
くると信じられた「正月様ー年神様」に供えるのである。
昔の人は多くこの年神様を神棚に迎え、鏡餅を供えて
礼拝した。
いま神棚は普通の家には見られなくなったが、神棚が
なくなってもこの気持ちは意識されずに続いている。
「松飾り」には変わらぬ緑の葉に祝いをこめる。
松飾りは単なる正月の飾りではない。
昔の農家は田に立てて祝う場合もあった。
田がなくて松が立てられない場合は床の間、それもない
家は玄関の柱か入り口のドアに立てる。
「おめでとう」というのは、意識されていなくとも松の
緑に変わらぬ生命の宿りを認める気持を述べるのである。
「芽が出る」ことをこめて、同時にそれを「賞でる」
気持が現れる。
芽が出ると期待するのは何か?それは農業にとって大切
な芽…稲を中心とする農作物の芽であることは言うまで
もない。
「芽が出る」ことをこめて、同時にそれを「賞でる」
気持が現れる、ことから「おめでとう」ですね。
これもしっくりきます。
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