中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

なんとかなるさ 視点を変えて見よう ダークエネルギー 相田みつを

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最後は楽観的に
1.今日言いたいこと
誰しも日々生きているなか、上手くいかないことが多いはず。
それが日常であり、私の場合も、何とか受入れて、対処するため
自分を鼓舞することが多いですが、今日はスケールを全く変えて
普段の自分にない視点から、少し書きます。
言いたいのは
「最後はどうなるかなるさ、と構えて、投げないで前向きにやる
しか、ほかに道はないでしょう。」
どのいつもの結論
 
(1)宇宙論もこの数十年でずいぶん変わってきました。
といっても、私は専門家でなく、一般人が知るレベル、最先端の
情報ではありません。
解りやすそうな解説から、引用します(一部私の要約)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この宇宙で「物質」はわずか5%だけ。残りの25%はダークマター

70%はダークエネルギーです。

ダークマターダークエネルギーは見ることができません。

ダークマターは、正体は不明ですが、銀河が存在していくために必

要な物質です。

銀河の構造を計算すると、普通の「物質」だけでは足りないこと

がわかっています。

 見えている物質の重力だけでは星は散らばってしまい、銀河を

形作ることができません。

 そこで考えられるのが、光を通さず反射もしない何か暗いもの、

ダークマターの存在です。

 ダークマターは密集すると近くの光を曲げる重力的な力を持つ

ようです。

 続いてはダークエネルギー

こちらも正体不明、ダークマター以上に何なのかわかっていま

せん。

 「検出できない」「測定できない」「味わえない」のがダーク

エネルギー。

しかし、確かに影響は受けています。

我々の知らないことはもっとたくさんあります。

さらに、「知らないということに気付いていない未知のこと」

もっともっとあるはず……。

暗黒物質(ダークマター)や暗黒エネルギー(ダークエネルギー)のことが6分でわかるムービー - GIGAZINE

2015年8月の記載でちょっと古いかもしれません、わりと解り

やすかったので引用しました。

(2)続いて、直近、昨年3月末の日経サイエンスから

宇宙は約138億年前の誕生以来、膨張を続けているが、膨大な

物質が及ぼす重力の作用で、膨張速度は次第に低下している

と考えられていた。

ところが約20年前、実際には宇宙膨張は加速していることが

判明。

宇宙には重力を上回る斥力が作用していることがわかり、そ

の斥力生み出す未知の存在は暗黒エネルギーと呼ばれるよ

うになった。

 これまでの研究によると、暗黒エネルギーは宇宙のあらゆる

場所に等しく存在し、そのエネルギー密度は宇宙誕生からはる

か遠い未来に至るまで時間変化しない、つまり永久不変だと考

えられている。

 ところが大栗博士らの理論予想によれば、暗黒エネルギーの密

度は時間とともに減少していくことになる。

暗黒エネルギーの密度が時間変化しない場合、宇宙は永遠に加

速膨張を続けるが、時間とともに減少し続ける場合、遠い将来

には宇宙は膨張から収縮に転じる可能性がある。

宇宙の運命は現在の推定とはかなり違ってくる。

宇宙の暗黒エネルギーに新説 :日本経済新聞

(3)私が言いたいこと
 さて、昔(私が子供の頃)は宇宙は真空というか何もない、
と教わった。
 どうも違う、らしい。
宇宙すら、解らないことに満ち満ちている。
人を取り巻く、宇宙論に比べたら、小さな小さな人間社会も、
同じく解らないことに満ち満ちている」
ほんの星のかけらでできている私の脳で解らないことが多い
のは当たり前、あまり、悩んでも仕方ない、と強引に結論付
けます。
 
東京駅近くに東京フォーラムに、相田みつを美術館があります。
相田みつをの何たるかは、割愛。私がごちゃごちゃ書くより、
いくつか詩を紹介します。

   一生勉強

   一生青春

 

   なやみは

   つきねんだなあ

   生きているんだもの

  

   いいですか

   いくらのろくてもかまいませんよ

   たいせつなことはね

   いつでも前をむいて

   自分の足で

   自分の道を歩くことですよ

 

 4.まとめ

 まとめ、といっても、はじめに戻るだけです。
めげずに、折れずに、投げ出さず、対処していくしかない
でしょう。
自分の人生の主人公は常に自分。
どうにかなる、というかなるようにしかならないのですが、、、
悩みすぎて身動き取れなくなっては仕方ないし、自分でもが
いて、そのもがいた結果を受け入れる、ということですね。