ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ
出身の詩人、哲学者、政治家。
(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅
Divina Commedia)』
ネサンス文化の先駆者と位置付けられている。
ということですが、今日言いたいのは下記です。
つまり、追放というつらい立場ですが、結果として第一線を退き、
時間があったから、「神曲」が書けた、ということでしょう。
なお、私は、簡単な要約を読んだくらいで「神曲」の原典には
当たっていません。悪しからず。
(2)少し時代が下ってニッコロ・マキャヴェッリ
君主論は、「就職論文である」とは別ブログで紹介しています。
マキァヴェッリ 『君主論』をよむ(読書感想文もどき) 『君主論』は就職活動論文 - 中高年michiのサバイバル日記
ニッコロ・マキャヴェッリ(イタリア語: Niccolò achiavelli,
1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサン
ス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。
著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の
十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』が
ある。
理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道
徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政
治理論を創始した。
43歳にして隠遁生活に入らざるをえなかったマキャヴェッリは、昼間は農業に勤しんだり、近くの庶民と交わり賭け事等をして時を過ごし、日が落ちると読書、執筆三昧の日々を送った。
当時の生活ぶりは、1513年12月10日に、ローマ法王庁にフィレンツェ
政府より大使として赴任していた、親友のフランチェス
コ・ヴェットーリへの一通の手紙から窺える。
イタリア文学史上、最も有名で美しい手紙の一つとされて
論文をまとめていることを述べている。
執筆活動は政治・歴史・軍事から劇作までに及び、喜劇は
大好評を博して著作家としての名声を得た。
つまり、彼も隠遁生活を余儀なくされ、時間がある中、就職活動の
一環で、君主論を書いた、ということです。
3.不遇な例は、ヤマホドあります。
今、私が読む古典の著者で、不遇な最期を遂げた例は、たくさんと
いうか、本人が満足する順風漫歩な一生を終え、同時代人から理解
され、惜しまれるという方が、むしろ少数派では?
例えば
誰しも知る話だし
・韓非子を書いた韓非は、才能を妬んだ李斯に讒言されて投獄され、
最後は自殺で生涯を終えたし、
・「戦史」を書いたトゥキディデスは将軍としてベロボンネソス
戦争に参加したが、失敗、追放され執筆時間ができた
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