今週のお題「わたしと英語」です。
冒頭からなんですが、いつもに増して、さえない文章をお詫びし
ます。
1.ある意味「英語ができない」平均的?
一般的とか平均的という言葉は、あまり説得性もなく、意味も不明確
になることが多く、極力使わない工夫をするのですが、「わたしと英
語」となると「平均的日本人」という言葉をどうも使ってしまいそう
です。
(1)高校までの学校教育英語
プロフィールにも、ブログでも概要書いていますが、
私は、海外での居住経験がなく、日本語の世界で暮らしてきました。
私の父の職業は小売店の店主であり、私は、小、中、高共に熊本県内
の公立学校です。
(何らかの宗教色はありません。)
1960年代、70年代の地方都市にいて外国人に囲まれて暮らしたり、
外国人の同級生友達がいる、という環境ではありませんでした。
個人的にも、「語学」は、ほとんど興味がありませんでした。
(今もってそうですが・・・・)
言葉は、意思表現や伝達のツール(道具)に過ぎないとうそぶいてい
て、「言語学」として真面目に取り組むことがなく、
「英語が好き」という方をもちろん否定はしませんが、彼・彼女に
共感があったかというと、「否」です。
(2)予備校生や大学の時の英語
「お茶を濁す」という日本語の表現が、近いです。
日本語で読んだ書籍ですが、
明治の先人たちの、語学への取り組み、例えば
制度や文化に限らず、あらゆるものをどん欲に仕入れ、咀嚼し、外国
語を日本語に転換(創作)していったことや、
少し時代が下がっても
「自分の勉学が一日遅れると、日本が一日遅れる」といった強烈な
自負には、「すごいな、偉いな」と、感動しますが、どうも自分自
身は、食指が動きません。
ほとんど内容を事前に知っているような英語のペーパーバックを読
もうとしましたが、読むスピードも遅いし、理解度もいまいち、面
白くありません。
「原書で読んだ方がニュアンスが良く解る」なんて、格好つけて、
発言してみたいのですが、現実は全く別、厳しいものです。
(3)若い社会人のころ
21世紀の現在ほどはないですが、私が若い社会人のころ日本もグロ
ーバル経済に組み込まれつつあったことは自明です。
ビジネスマンなら「英語は道具で、できてアタリマエ、できないと
劣後」と言うのは解りますが、私には何とも、できませんでした。
「英会話」といっても、交通機関やホテル、観光、買い物等、「こち
らがお金を払う」方は、(いやいやでも)相手が話を聞くし対応して
くれますが、「こちらがお金をもらう方」のレベルでは、役立たず
です。
この格差は、当たり前です。
契約書や投資情報、金融情報は、日本語で概念の知識があるので、
文字情報をゆっくり追っていけば、理解できますが、上記同様、
「こちらがお金をもらう方」のレベルでは、役立たずでしょう。
2.結局苦い思い出の敗戦記
過去の経験をずらずら書きましたが、結局、いい思い出がほとんど
ない「敗戦記」ですね。
無論今でも「外国語」に対する憧れはありますよ。
外国語を自由に操れる、つまり、ちゃんと外国語で理解し、考えた
うえでの読み、書き、話ができる、事への憧れ、です。
いわいる技術革新により、外国語が理解できなくても、コミュニケ
ーションの障害は益々、少なくなっていくでしょう。
それでも自分の頭を使って、自力での表現伝達能力は、向上させて
いかねばとは思っています。(本心です。)
言い訳は「後期高齢者」の年齢になったら、頭の働き一層鈍り、新
規情報の入手は、難しくなるかもしれないし、その際は、諦めます。
しかし、それまでは、白旗上げずに、頑張るべきとは思います。
今日のお題コメント、終わります。
外国語を勉強、習得した人は幾多いますが、今日はシュリーマンの
紹介です。