中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦前の中高年がざっくばらんに書きつける日記

1万年続いたのは、結果論でもすごい 縄文時代のことです

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縄文土器です。縄文時代後期は温暖で特に豊かな時代。
1.今日言いたいのは、縄文すごい
最近少し、縄文時代に関心があります。
ダイナミックに歴史が動いたとは、思えないし、忙しい自分にはちょ
っと悠長すぎる、ヒマな中高年というか、高齢者の趣味の域だろう、
とか言われるとその通りかもしれませんが・・・・
それはともかく、何に感じ入っているかというと
縄文時代というのは1万年も続いたらしい。すごいな。
・大陸から日本列島が物理的に海により切り離された幸いで
 大きな外部勢力に席巻されることがなかったとはいえ
・火山活動、地震、台風等々天変地異の激しい土地で
・狩猟採集を中心とする生活で限界に近い最高度の人口を
 養っていたようだ、といったところ。
もちろん当時の最先端技術縄文土器の話もあります。
そして、その人々が、私の遠い遠い先輩であることです。
今日も、皮肉や辛口コメントありません。
驚愕と賞賛のオンパレードといったところでしょうか。
 2.縄文時代の定義から生活まで
(1)いつの時代?
 縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代
区分の一つであり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。
旧石器時代縄文時代の違いは、土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成などが挙げられる。

多くの議論があるが、始期に関しては一般的に16,000±100

年前と考えられている。

終期は概ね約3,000年前 とされる(諸説あり)。

 地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発

展した時代であり、終期について地域差が大きいものの、

定型的な水田稲作や金属器の使用を特徴とする弥生文化

登場を契機とする。

その年代については、紀元前数世紀から紀元前10世紀頃ま

でで、多くの議論がある。

 要は1.6万年前に始まり、3,000年くらい前に終わったから、
優に1.2万年以上、「だからなんだ」ではなく
「よく続いたなあ」と感慨にふけります。
時代を細分化すると
AMS法で測定して暦年代に補正した年代で示すと、草創期
(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000
年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 -
4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300
- 2,800年前)となる。 
 (2)文化圏は現在の日本各地に

縄文前期には日本列島内に九つの文化圏が成立していたと

考えられているそうです。

 ➀石狩低地以東の北海道

エゾマツやトドマツといった針葉樹が優勢な地域。

②北海道西南部および東北北部

石狩低地以東と異なり、植生が落葉樹林帯である。

ミズナラ、コナラ、クルミ、クリ、トチノキといった堅果

類の採集が盛ん。

③東北南部

動物性の食料としては陸上のニホンジカ、イノシシ、海か

らはカツオ、マグロ、サメ、イルカを主に利用した。

④関東

照葉樹林帯の植物性食料と内湾性の漁労がこの文化圏の特

徴で、特に貝塚については日本列島全体の貝塚のうちおよ

そ6割がこの文化圏のものである。

⑤北陸

シカ、イノシシ、ツキノワグマが主な狩猟対象であった。

植生は落葉広葉樹(トチノキ、ナラ)で、豪雪地帯である

為に家屋は大型化した。

⑥東海・甲信

狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹である

が、ヤマノイモやユリの根なども食用とした。

⑦北陸・近畿・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後

狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹に照葉樹

(シイ、カシ)も加わる。

漁業面では切目石錘(石を加工して作った網用の錘)の使

用が特徴であるが、これは関東の土器片による錘の技術が

伝播して出現したと考えられている。

⑧九州(豊前・豊後を除く)

狩猟対象はシカとイノシシ。

植生は照葉樹林帯。最大の特徴は九州島と朝鮮半島の間に

広がる多島海を舞台とした外洋性の漁労活動で、西北九州

型結合釣り針や石鋸が特徴的な漁具である。

トカラ列島以南

植生は照葉樹林帯である。動物性タンパク質としてはウミ

ガメやジュゴンを食用とする。

縄文後期には、集約されます

縄文後期に入ると、「北海道西南部および東北北部」

「東北南部」「関東」「北陸」「東海・甲信」の5つがまと

まって単一の文化圏(照葉樹林文化論における「ナラ林文

化」)を構成するようになり、

また「北陸・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後」

「九州(豊前・豊後を除く)」がまとまって単一の文化圏

照葉樹林文化論における照葉樹林文化)を構成するよう

になる。

その結果、縄文後期・晩期には文化圏の数は4つに減少す

る。

 私が感じっている2つ目は、縄文人の広がりが、日本列島全国版

すよね。

その昔中高生の頃、習った日本史の地図には、江戸時代までの為政者

の「日本」のイメージでしょうが、北海道はなく、狭いものでした。

(3)縄文時代の農耕について

縄文農耕論は、農耕存否の論争は現在も続いている。

縄文時代に植物栽培が行われていたことは確実であると

考えられている

福井県の鳥浜貝塚の前期の層から栽培植物が、早期の層か

ヒョウタンが検出されている。

一方、北部九州の後・晩期遺跡の遺物で焼畑農耕が行われ

ていた可能性が高いと考えられている

現在では、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニ

カの焼畑稲作が行われていたことが判明している。

 後期後半の日本列島でイネが栽培されていたことは間違い

ない。

ただ、イネが単独で栽培されていたわけでなく、オオム

ギ、ヒエ、キビ、アワ、ソバなどの雑穀類の栽培やアズ

キ、大豆なども混作されていた。 

 以上主にに参照したのはwikipedia です。 縄文時代 - Wikipedia

 3.食事が気になったので

時代変遷による考証抜きで、ざっくりした食事の引用

食事は、魚やタコ、イノシシやシカ、鳥やウサギ、木の実

などを収穫していました。

場所によってはツキノワグマやヒグマを相手に狩りをして

いたようです。

ほかにも、ハマグリやアサリなど200種類以上の貝殻が貝塚

から見つかっています。

 獣の肉は生で食べたり、焼いたりして食べていましたが、ドン

グリやシイの美などの木の実はそのまま食べるのは固くて

困難でした。

そのため、縄文人は土器を使用し、煮炊きをしていたよう

です。

また、肉をこねて、松の実、栗などを入れて味付けしたハ

ンバーグのような料理や、つぶした木の実と水を混ぜて練

ったクッキーも作っていました。

さらに、ニワトコの実を使った果実酒も飲んでいたと推測

されています。

 3.4は主に下記2つから引用

5分でわかる縄文時代!生活の特徴や弥生時代との違いをわかりやすく解説! | 教養も ホンシェルジュ

古代の日本人はどんなものを食べていた?縄文時代の食事風景は?|終活ねっと

私の偏見かもしれませんが「多様化した豊かな」食生活のように、

感じます。

特に温暖化が進んだ頃は、海、川の幸中心に、大変豊かだったよう

に思います。

猟採集中心でしょうから、後々の農耕生活基盤とする「安定性」に

は、劣後するでしょうが摂取対象の「多種多様化」を強く感じます

多くの遺跡で見つかる海産物を分析すると、貝類だけでも350種類以

上、魚類は70種類以上との説もあります。

 4.最後にまた、感想

 我々の祖先は2万年上前に、この日本列島にやってきたホモ・サピ
エンスで、3つのルートがあったそうです。
対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルート。
1万年続く縄文時代に、どれだけの交流があったか調べていません
が、私があまり好きでない「単一、純血、万世一系」からは、
遠い世界かと思います。
縄文土器が世界最古では、ないかもしれませんが、非常に高度な
土器でしょうし、
最長不倒ではないかもしれませんが、非常に、長く続いた時代であ
ると思います。
比較対象が変かもしれませんが、次の弥生時代が700から800年ほど、
江戸時代でも約260年ですからね。
文字情報がなかったから、なかなか、伝わらない部分がありますが
いわいる科学技術の進歩が、歴史ののなぞ部分の、解明に役立ち
これから、幾多の新規発見があることを期待します。