縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代
多くの議論があるが、始期に関しては一般的に16,000±100
年前と考えられている。
終期は概ね約3,000年前 とされる(諸説あり)。
展した時代であり、終期について地域差が大きいものの、
登場を契機とする。
その年代については、紀元前数世紀から紀元前10世紀頃ま
でで、多くの議論がある。
AMS法で測定して暦年代に補正した年代で示すと、草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 -4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300- 2,800年前)となる。
縄文前期には日本列島内に九つの文化圏が成立していたと
考えられているそうです。
➀石狩低地以東の北海道
エゾマツやトドマツといった針葉樹が優勢な地域。
②北海道西南部および東北北部
石狩低地以東と異なり、植生が落葉樹林帯である。
類の採集が盛ん。
③東北南部
動物性の食料としては陸上のニホンジカ、イノシシ、海か
らはカツオ、マグロ、サメ、イルカを主に利用した。
④関東
照葉樹林帯の植物性食料と内湾性の漁労がこの文化圏の特
そ6割がこの文化圏のものである。
⑤北陸
シカ、イノシシ、ツキノワグマが主な狩猟対象であった。
植生は落葉広葉樹(トチノキ、ナラ)で、豪雪地帯である
為に家屋は大型化した。
⑥東海・甲信
狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹である
が、ヤマノイモやユリの根なども食用とした。
⑦北陸・近畿・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後
狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹に照葉樹
(シイ、カシ)も加わる。
漁業面では切目石錘(石を加工して作った網用の錘)の使
用が特徴であるが、これは関東の土器片による錘の技術が
伝播して出現したと考えられている。
⑧九州(豊前・豊後を除く)
狩猟対象はシカとイノシシ。
広がる多島海を舞台とした外洋性の漁労活動で、西北九州
型結合釣り針や石鋸が特徴的な漁具である。
⑨トカラ列島以南
植生は照葉樹林帯である。動物性タンパク質としてはウミ
ガメやジュゴンを食用とする。
縄文後期には、集約されます
縄文後期に入ると、「北海道西南部および東北北部」
「東北南部」「関東」「北陸」「東海・甲信」の5つがまと
まって単一の文化圏(照葉樹林文化論における「ナラ林文
化」)を構成するようになり、
また「北陸・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後」
「九州(豊前・豊後を除く)」がまとまって単一の文化圏
になる。
その結果、縄文後期・晩期には文化圏の数は4つに減少す
る。
私が感じっている2つ目は、縄文人の広がりが、日本列島全国版で
すよね。
その昔中高生の頃、習った日本史の地図には、江戸時代までの為政者
の「日本」のイメージでしょうが、北海道はなく、狭いものでした。
(3)縄文時代の農耕について
縄文農耕論は、農耕存否の論争は現在も続いている。
縄文時代に植物栽培が行われていたことは確実であると
考えられている。
らヒョウタンが検出されている。
一方、北部九州の後・晩期遺跡の遺物で焼畑農耕が行われ
ていた可能性が高いと考えられている
現在では、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニ
カの焼畑稲作が行われていたことが判明している。
後期後半の日本列島でイネが栽培されていたことは間違い
ない。
ただ、イネが単独で栽培されていたわけでなく、オオム
ギ、ヒエ、キビ、アワ、ソバなどの雑穀類の栽培やアズ
キ、大豆なども混作されていた。
以上主にに参照したのはwikipedia です。 縄文時代 - Wikipedia
3.食事が気になったので
時代変遷による考証抜きで、ざっくりした食事の引用
食事は、魚やタコ、イノシシやシカ、鳥やウサギ、木の実
などを収穫していました。
場所によってはツキノワグマやヒグマを相手に狩りをして
いたようです。
ほかにも、ハマグリやアサリなど200種類以上の貝殻が貝塚
から見つかっています。
獣の肉は生で食べたり、焼いたりして食べていましたが、ドン
グリやシイの美などの木の実はそのまま食べるのは固くて
困難でした。
そのため、縄文人は土器を使用し、煮炊きをしていたよう
です。
また、肉をこねて、松の実、栗などを入れて味付けしたハ
ンバーグのような料理や、つぶした木の実と水を混ぜて練
ったクッキーも作っていました。
さらに、ニワトコの実を使った果実酒も飲んでいたと推測
されています。
3.4は主に下記2つから引用
5分でわかる縄文時代!生活の特徴や弥生時代との違いをわかりやすく解説! | 教養も ホンシェルジュ
古代の日本人はどんなものを食べていた?縄文時代の食事風景は?|終活ねっと
私の偏見かもしれませんが「多様化した豊かな」食生活のように、
感じます。
特に温暖化が進んだ頃は、海、川の幸中心に、大変豊かだったよう
に思います。
猟採集中心でしょうから、後々の農耕生活基盤とする「安定性」に
は、劣後するでしょうが摂取対象の「多種多様化」を強く感じます 。
多くの遺跡で見つかる海産物を分析すると、貝類だけでも350種類以
上、魚類は70種類以上との説もあります。
4.最後にまた、感想