今日紹介するのは
人間の建設
発行所 株式会社新潮社
平成22年3月発行 です。
これも、読み返しですが、私の力では、跳ね返されてばかりです。
1.裏表紙から
本の裏表紙には、すごいことが書いてあります。
有体に言えば雑談である。
しかし並みの雑談ではない。
文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による
雑談である。
回する。
そして、そのすべての言葉は、示唆と普遍性に富む。
日本史上最も知的な雑談と言えるだろう
2.ピックアップ
(数学の研究を言葉で書けないかとの小林の質問に対し、岡は)
出来うる限り言葉で言っているのですが、一つの言葉を理解する
ためには、前の言葉を理解しなければならない。
そのためには、またその前の言葉を理解しなければならないと
いうふうに、どうしても遡らないと説明できないから、いま聞いて
すぐわかるような言葉では、言えないのですね。 (中略)
言葉がばらばらにあるのではなく、それぞれ一つの体系になって
おります。
体系を理解しなければ仕方がない。
その体系を教えていくのに時間がかかる。
(数学も個性を失う P29)
(岡)文章を書くことなしにな、思索を進めることはできません。
書くから自分にもわかる。
自分さえわかればよいということで書きますが、やはり文章を書い
ているわけです。
言葉で言い表すことなしには、人は長く思索できないのではないか
と思います。 (科学的知性の限界 P35)
(岡) 人というものは全くわからぬ存在だと思いますが、ともかく
知性や意思は、感情を説得する力がない。
ところが、人間というものは感情が納得しなければ 、ほんとうには
納得しないという存在らしいのです。 (科学的知性の限界 P40)
(小林) 芭蕉という人を、もし知っていたら、どんなに面白いか
と思うのだ。
あの弟子たちはさぞよくわかったんでしょうな。
今は芭蕉の俳句だけ残っているので、これが名句だとかなん
だとかみんな言っていますがね。
しかし名句というものは、そこのところに、芭蕉に附きあっ
ただけにわかっている何か微妙なものがあるのじゃないかと
私は思うのです。 (美的感動について P77)
(小林) 確信しないあいだは複雑で書けない。
まさにその通りですね。
確信したことを書くくらい単純なことはない。
しかし世間は、おそらくその逆を考えるのが普通なのですよ。
確信したことを言うのは、なにか気い立たねばならない。
(中略)
分子は、みな勝手に自分の思うことを書きますよ。
その点では達人です。
これは一種の習性のうえでの達人なのですな。 (中略)
もしみんなが、俺はこのように生きることを確信する
ということだけを書いれくれればけば、今の文壇は楽しくなる
のではないかと思います。
(岡) 人がなんと思おうと、自分は追うとしか思えないという
ものが直観ですがそれがないのですね。
(数学と詩の相関 P111-112)
(小林) それ(素読教育)を昔は、暗記強制教育だったと、簡単に
考えるのは、悪い合理主義ですね。
「論語」を簡単に暗記してしまう。
暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだというが、
それでは「論語」の意味とは何でしょう。
それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。
一生かかったってわからない意味され含んでいるかもしれない。
それなら意味を教えることは、実にあいまいな教育だとわかるで
しょう。
丸暗記させるだけが、教育です。
そんなことを言うと逆説を弄すると取るかもしれないが、私はここに
今の教育法が一番忘れている真実があると思っているのです。
(素読教育の必要 P144)
(岡)理性というものは、対立的、機械的に働かすことしかできません
し、知っているものか順々に知らぬものに及ぶという働き方しかでき
ません。
本当の心が理性を道具として使えば、正しい使い方だと思います。
(素読教育の必要 P147)
3.私の感想
誰しも、自分に無いものへの憧れがありますよね。
も少し、自分が頑張れば手が届くとか、自分の想定できる能力の範囲
であれば、「嫉妬」とかの感情も芽生えるのでしょうが、これをはる
かに超越すると「嫉妬」や他の感情は生じなくて、単に「憧れ」とな
ります。
勢い、ちゃんと内容を「理解できたか」というと、これはまた別問題
となります。