前回その3の紹介は4月26日です。
史記列伝の「大史公(司馬遷)曰く」の引用とコメント その3 「古さ」を感じないのは、人間が変わらないから? - 中高年michiのサバイバル日記
今回は「その4」ですが、「その1、2、3」と同じ構成に
します。
一度整理します。
って編纂された中国の歴史書である。
正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。
計52万6千5百字。
司馬談が既に持っていた。
したゆえに武帝の怒りを買い、獄につながれ、翌紀元前98
年に宮刑に処せられる。
この際、獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分
もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意した。
紀元前97年に出獄後は、執筆に専念する。
結果紀元前91年頃に『史記』が成立した。
な記述がある為に隠されることになり、宣帝の代になり司
馬遷の外孫の楊惲が広めたという。
その中でも、極めて面白いのは「列伝」です。
これも繰り返しの愛読書ですが
筆者司馬遷の論評である「大史公曰く」は、非常に考えさせられる
部分がたくさんあります。
今回も私の主観で、ランダムに取り上げます。
これに対して、私のコメントを述べるスタイルとしてみます。
2. 引用 (その4)
わたしは李将軍の姿を見たことがあるが、きまじめで田舎者みたいで、口もろくにきけなかった。死んだ日になると、天下の人びとはかれを直接知っている ものも知らないものも、みな残らずかれのために哀悼をさ さげた。かれのあの誠実な心は、世の人びとにほんとうに信頼され ていたのである。李将軍列伝 第四十九 四冊 p 21
michiコメント
司馬遷には、常に冷静、公正な判断を感じています。
べた褒め、李将軍の誠実さは、本物だったのでしょう。
世間のひとが匈奴について議論する場合、一時的な成功や 栄進を求めることに気をくばり、自分の進言がとりあげら れるように天子の意をむかえることに努力した。 そのためには一面的な議論の方が都合がよいと考え、全体 的な利害を考慮しない。指揮官たちは、中国の広大さにたよって気負いたち、君主 はそれらの議論のまま対策を決定した。だから、根本的な成功をおさめなかったのである。匈奴列伝 第五十 四冊 p63
michiコメント
私がよく書く「人間は変わらない」の典型
楼船将軍は欲望のままに動き、怠惰放漫で、前後の判断を あやまった。伏波将軍は困難な状況に立たされて、智謀ますます盛んで、禍いを転じて福とした。 成功と失敗の変転は、たとえばあざなえる縄のごとく、か わるがわるやってくるのである。南越列伝 第五十三 四冊 p130
michiコメント
「成功と失敗は、かわるがわる」ですね。
諦めた話終わり、しつこくしつこく、とにかく進むこと。
一人が死に一人が生き残っているときにこそ、友情がどん なものであったかが知られる。一人が富み一人が貧しいときにこそ、交わりの態度がどう であるかが知られる。一人の地位が高く一人が身分賤しいときにこそ、本当の友 情であるかどうかが明らかになる。汲・鄭列伝 第六十 四冊 p297
michiコメント
これも、まったく古さを感じない 。
どこそこで、引用されそうなフレーズですね。
3.最後に
先だっての「韓非子」シリーズに続き、「史記列伝その4」です。
過去先人が分析しつくしていることではあるでしょうが、
私が改めてゆっくり読み進めていて、司馬遷の強い執念を感じます。
「michiコメント」でも、ときに触れていますが、ドメスティケーショ
ン以降、ホモ・サピエンスの頭脳は、変わりません。
喜怒哀楽も基本変らない訳で「賢い先人」は、「今の普通の人」より
やはり「賢い」でしょう。
この話は、科学技術の発展過程にみられる「巨人の肩に乗る」考え
方と、全く矛盾しません。
われわれ個々人が、より賢くなるためには、「賢い先人から学んで
いく」のは重要な手段です。
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