中高年michiのサバイバル日記

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自省録(読書) 五賢帝のマルクス・アウレリウスの著書 高い倫理はやはり必要です

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建築物から古代ローマをイメージしたかったのです

自省録

 マルクス・アウレーリウス/著 

神谷美恵子/訳  

出版者    岩波書店 2007.2

1.概要

真面目な本です。

J.Sミルによると「古代精神の最も高い倫理的産物」とのことです。

wikipesiaをひくと

最後の五賢帝であるマルクス・アウレリウスは、ローマ皇

帝としての多忙な職務のかたわら哲学的な思索を好み、後

ストア派を代表する哲人でもあった。

本書はその思想を直接知ることのできる、彼の唯一の著書

である。

 (思想については)

後期ストア派の特徴とされる自然学と論理学よりも倫理学

を重視する態度や他学派の信条をある程度受け入れる折衷

的態度が見られる。

例えば、たびたび表れる「死に対して精神を平静に保つべ

き」といった主題においては、ほぼ常にエピクロス派的原

子論の「死後の魂の離散」が死を恐れる必要のない理由と

して検討されている

2.私の独断と偏見 

(1)後期ストア派の特徴云々と言われても、実は私にはさっぱり理解できません。

個人的に、キリスト教の影響を受ける前のギリシャ・ローマ思想は、

しっくりくる面があります。

また、インド思想や、古代中国の諸子百家、日本神道・日本仏教も、

あまり違和感をじません。

セム的一神教つまり、ユダヤ教キリスト教イスラム教の世界は、

どうも苦手。

不勉強のそしりを恐れず言えば、私は神様はどこにでもいる多神教

の世界が好きだし、「怖い怖い一人の神様」がいて、時間が一直線に

流れ、最後の審判を待つ世界観は、どうしても肌が合いません。

(2)自省録の、マルクス・アウレリウスは、ローマ皇帝であり、

実績のあった人。

真面目過ぎて、いい加減な私には、息が詰まりそうな点はありま

すが、「実績を残した人の自作の言葉(文章)」の前に、素直に

首を垂れるだけ。

同じ言葉であっても、その言葉を発する人により、私の感じ方が

全く違うのは否めません。

史記列伝」にも、現代人がいかにも言いそうな表現が出てきま

すが私は「司馬遷が言うから素直に聞こう」、という面が私には

あります。

という訳で、真面目そのもの、マルクス・アウレリウスの言葉

を抜粋します。

3.自省録からのピックアップ

一言にして言えば、肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関

するすべては夢であり、煙である。

人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎ

ない。

しからば我々を導き得るものはなんだろうか。

一つ、ただ一つ、哲学である。  (P34)

 

もしある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明し

納得させてくらることができるならば、私はよろこんでそれらを正

そう。

なぜならば私は心理をもとめるのであって、真理によって損害を受

けた人間のあったためしはない。

これに反し自己の誤謬と無智の中に、留まる者こそ損害を蒙るので

ある。  (p101)

 

名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽

を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間

は自分の行動の中にあると思うのである。(P114)

 

昔さかんに讃めたたえられた人びとで、どれだけ多くの人がすでに

忘却に陥ってしまったことであろう。

そしてこの人びとを讃めたたえた人びともどれだけ多く去って行っ

てしまったことであろう。 (p118)

 

あることをなしたため不正である場合のみならず、あることをなさ

ないために不正である場合も少なくない。   (P170)

 

すべて君の見ているものはまもなく消滅してしまい、その消滅する

ところを見ている人間もまもなく消滅してしまう。

極めて高齢に達して死ぬものも結局は夭折した物と同じことになっ

てしまうであろう。 (P180)

4.最後に

あえて、2の「独断と偏見」の重複です。

読後に、思わずニヤリとか、頭に毒が回ったようなしびれを感じる

ことはありません。

やはり「誰が発した言葉か」が問題で実績のある人、結果を残した

人の「言行一致」だと、なるほど思う。

単に、言行不一致がありがちな凡人が発する理想論的な言葉は「そう

はいっても」とつい反発したくなるのが、私のような凡人の発想かも

しれません。

当たり前すぎる、文章が多いですが、彼が言うから意味を持つ、とつ

い感じてしまうのです。