1.父の日
今週のお題「お父さん」です。
6月21日父の日ですが、そもその第三日曜日とのことですね。
少しネットで引いてと
父の日(ちちのひ)は、父に感謝を表す日。
アメリカのドッド夫人が『母の日』にならって、父親に
感謝するために白いバラを贈ったのが始まり。
とのことです。
今日の日本で、というのは僭越で私の個人的感覚ですが、どうも
「母に日」ほど盛り上がらない、みたいですね。
私が存在するわけですから、父はいます。
八十歳をゆうに超えていますが、存命です。
私の場合、いたって一般的、というか幸せのケースでしょうが
子どものころは、母は姉妹と家族(最初は祖父母も健在の大家族)
一緒に過ごし、その後一人暮らしでした。
社会人となり、その後結婚し、私自身も「お父さん」となるパターン
でした。
「不幸な生い立ち」や「波乱万丈」とかの表現とは遠い世界です。
2.父(実父)の思い出
(1) まず、前提です。
父は、自営業者、小売店の店主でした。
商売人気質というんでしょうが、いつも仕事ばかり。
商売人ですから、曜日感覚があまりないというか、広義のレジャー産
業ですから、土日が勝負、しかも、夏が勝負の商売でした。
私は田舎で、母方は農家、祖母の実家も農家でした。
あまりサラリーマンを知らない時代でした。
父のネクタイ・スーツ姿は、ほとんどなくで、たまにネクタイを締め
るとお出かけで、結婚式か葬式だろう、という程度でした。
(2)父は、商売人であり 「サラリーマンの時間管理」とは遠い世
界。「商いは、飽きない」がモットー。
ほとんど、毎日店を開けます。
それこそ、結婚式や葬式も、1日中かかるいう訳ではないし、仕事柄
「出張」は、皆無のようでした。
それこそ1月1日の午前、つまり元旦に店を閉めるくらいで、ほとんど
オープン。
父の思い出は、いつも自宅で働いている姿であり、夜はテレビの時代
劇と焼酎の姿。
(本人に言わせると、子供時代から若い頃は、よく本を読んだそう
で、確かに、当時のテレビからの情報ではないだろう、ということ
も、いくつか知っていました。)
よって、日曜のサラリーマンの父親を交えた「家族でお出かけ」
というのは、ほとんど私の記憶にありません。
商売人の家庭はそれが「普通」と感じていました。
3.義父の思い出
今は亡き「義父」のことも少し書きます。
一方地¥義父は四男坊で、仕事はずっと地方公務員でした。
実は昨年10月20日のブログに、少し書いています。
ビールあれこれ、仙台で工場見学、W杯ラグビー特需、田舎の義父、創業者鳥井信治郎 - 中高年michiのサバイバル日記
ずいぶん昔、子供がまだ小さいころ、義父母、妻、子供と
熊本にあるサントリーのビール工場に行きました。
暑い夏でしたし、見学の後の冷たいソフトドリンクに子供はご機嫌で
す。
しかし、冷房の良く効きすぎた部屋では、冷たいビールはあまりたく
さん飲めません。
義父も私も、いわいる「飲兵衛」ですが、ビール飲みすぎは、おなか
にたまるし、寒くなるし、あまり好みません。
熊本帰省の折は、今は亡き義父と、焼酎三昧の日々でした。
ビールは会食の口開けと、のどが渇いた際の「チェイサー」の役割でした。
4.タイトルの通りの焼酎
食は文化というには、その通りで、
私の場合、実父も義父も、身体のいくばくかの部分は、「球磨焼酎」
にて、構成されていると、思っています。
飲食店で「酒、アルコール」を指すのは、磨焼焼酎のことであり、
「日本酒」とちゃんと指定しないと、「酒」だけでは間違うという
環境でした。