
自己啓発観点からの書籍引用 5回目
1.改めて「自己啓発」について
世の中には、相変わらず、自己啓発サイト、溢れています。
そして、私の見解も相変わらず、以下の通りです。
私自身が、語れることなど、たかが知れている。
しかも「実績がないと同じ言葉でも、読み手の感じる「重み」が全く
違う」。
したがって、先人の言葉の紹介の中で、本人が「自己啓発」と感じる
部分があれば、それでよし。
と言うわけで、本日もいくつか紹介します。
5回目となります。
2.人口減少時代の論点90 から
井上正良/著 長瀬光市/著 増田勝/著
公人の友社 2019.5
(1)私見では、高等教育は、高い意識を持ち、自ら強く教育を求
める人が、求めるときに、重点的に与えられるべきが基本。
「経済的理由で学びの機会の制限」がよくないのは、正論だが
教育はそもそもお金がかかるものであり、学ぶことに高い意識
を持った人のために重点的に、使うべきで、意欲のない人
含めて、あまねくいきわたらせる福利厚生的意味合いとは
違うと思います。
(2)人は本来怠け者だと思います。私自身は、まさにそうです。
自分の知っている狭い世界に安住するのは楽です。
視野を広げて、いろんな問題に関心を持つ、自分と違う意見には、
批判しつつも、相手の主張を、虚心坦懐正確に読み取ろうとする
姿勢は、とても大切だと思います。
3.世界宗教の条件とは何か から
佐藤優/著 出版者 潮出版社 2019.10
(1)真の宗教は
信者の人生そのものと丸ごと結びつくものであり、そうである以上、
人生から政治だけを切り離すことは不可能だ (P36)
世界宗教化の「三大条件」とは、宗門との決別、世界伝道、与党化 (P37)
(2)
日本の歴史や他の宗教に無知なら、相手を折伏しても説得力
がない。(P82)
(今回私が、再認識したことの一つ。相手と同じ土俵にいないと、
説得できるわけがない。
ある程度の海外の知的エリートと情報交換する際に、こちらの
日本の歴史の知識が欠落していたら話にならない)。
いうものに一切価値を認めないし、聖人も認めない。
そもそもあり得ない。
これは、宗教の専門家からすると、基本的な知識 (P125)
(基礎知識なんでしょうが、恥ずかしながら、私はいままで、
認識できていませんでした。)
4.思想家たちの100の名言 から
ロランス・ドヴィレール/著 久保田剛史/訳
白水社 2019.4
➀「人間は酔っ払いのように、どの道を通ったら家に帰れるか
を知らない」 ポエティウス
この言葉の出展は、中世の時代に最も読まれ、
最も注釈を付された作品の一つである。
「すべての人間は幸福に憧れている。しかし、神の知恵や真の
哲学が明らかにされないかぎり、ほとんどの人間は、
幸福とは何かを知らない。
われわれは現世において、まるで異郷生活を送っているか
のように、安楽を見出すことができずに、失望している。」
(P58)
真理は思考と現実の一致、すなわちわれわれの表象と実際の
存在物との符合から生じる。 (P64)
③「この世界は<あらゆる可能な世界のうちで最善なる世界>
理性は多様なものを一様化するという理由でしばしば批判される
を望むことを示している (P101)
④「人間は生まれながらにして自由であるが、いたるところで
鉄鎖につながれている。」 ルソー
唯一の解決策は、服従と自由が一致すること、すなわち法と
主権者への服従が、各人にとっての独立の保障となるように
すること、これこそが社会契約論の目的。 (P108)
自分の意志ではなく、種の意志に従属しており、種の意志は種
全体の保存と繁栄に向かうべく人間において本能的に働く。
従って意志は自由なものではない。 (P121)
⑥「人生は苦悩と退屈のあいだを、振り子のように左右に揺れ
われわれは、自分を不幸にする原因さえなくなれば幸福が味
わえるだろうと思う。
ところが、苦悩がなくなったときにあらわれるのは、満足で
なく退屈であり、幸福の条件は、苦悩ともに消える。 (P122)
宗教は癒しの力を利用し、来るべき幸福という空約束をすること
で、人びとの意識を眠らせ、真の幸福は現世において成就しなけ
ればならないという切迫感を取り除く。
(処方箋として)
人間が宗教的幻想を捨てるにはこうした幻想が必要とされる世界
を変えなければならない。 (P124)
宗教は真理への渇望として生き続け、無神論においても巧妙な
形態をとりながら生き残る。
のための幸福など)も神なき宗教の一形態にすぎないのである。
人間という概念御誕生をもたらした個々の認識論的条件は、
いずれ消滅するであろう。 (P146)
5.日本列島回復論 この国で生き続けるために から
井上岳一/著 新潮社 2019.10
まとめと私見
情報が集まるから人が集まってくる、というのは、古今東西の
歴史を振り返ると納得できます。
ファイス・ツー・フェイスでしか、伝わらない情報というのは、
なくなりませんが、従前と状況が変わってきたことはあります。
なぜなら、これだけ情報インフラが整備されてくると、一般的な
情報をとるために、無理して東京にいる必要はなくなってきます。
私も、このブログで
東京五輪を契機に、テレワークが一層進むだろ
うと書きましたが、地方分散型社会は、一層広がると思います。
ただし、「山水郷」まで広がるかは、生活インフラも問題になる
と思います。
6.古典の裏 「知ってるつもり」の有名古典「みんな知らない」ウラ話 から
松村瞳/著 すぎやまえみこ/マンガ
笠間書院 2019.10
➀ 源氏物語の中で、いちばんあざといのは誰?
(答)桐壺の更衣。
なぜ彼女はあざといのか?
(答)わざといじめられたから。
こちらの方は、「人間の心理は昔も今も変わらない」ことの
証左ですね。
身分という絶対の価値観のなかで勝ち上がっていくには?
絶対権力者者である帝の継続的な寵愛が必須。
そのため帝が自分だけを愛し、他の女性に一切目移りしない
状況を作り出したい
いじめが、とても都合がいい道具
女性たちは、いじめることで、「帝に愛される機会を失う。」
文中の表現を引きます
心ない周囲からのひどいいじめに泣き崩れながら、着物の袖に
涙を吸わせているその裏側で、こっそり微笑んでいる
「あざとい」桐壺の更衣が想像されてならない、
のですが・・・・・。
平安時代、女性の顔を直接見ることを現代で例えると?
(答) 全裸を見ることと同じ。
源氏物語が人気作品だった理由は?
(答)性的な場面や問題のある場面が書かれていたから。
この辺の話も、良く解ります。
② 兼好法師が徒然草を書いた本当の理由は?
(答)友達にかまってほしかったから。
現在社会のSNS流行も、「自分のつぶやきや考えに友人や多くの
人から反応」があるからで、反応がない文章を書いても心が折れる
だけ。
徒然草の中の兼好法師の(当時の世相からすると)過激な文章も
炎上してもいいから話し相手を欲している、という著者の解釈です 。
③冒頭からの枕草子、源氏物語、徒然草をピックアップしました
が、全編「なるほど」と思うこと多々でした。
あとがきで著者は、
古典を読んでいるといつも思うことなのですが
科学や文明がどれだけ進化しても「人間の考えことって、
あんまり変わっていないのだな」
と述べていますが、同感です。
7.最後に
したり顔で、私がどうこう解説するより、まず、いろんな考え方に
たくさん触れることでしょう。
出来れば、ある程度の評価が固まっている書籍が、そのなかに含まれ
るといいと思います。
自分が賢くなるためには、「賢い」と思っている人の考え方をたくさ
ん知ることが、一つの道だと、改めて思います。