中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

経済学の宇宙 (読書感想文もどき) 岩井克人さんの自伝でもあります 2回に分けます その1

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長年の広範な読書に支えられた岩井克人さんの頭脳をイメージ

経済学の宇宙 

岩井克人/著  

前田裕之/聞き手  

出版者    日本経済新聞出版社 2015.4

 1.概要と目次

「不均衡動学」はじめ次々と斬新な経済理論を生み出してきた学者・

岩井克人、とさらりと、紹介みたいに書きますが、3年振りに読みか

えす今回も、いまいち理解がすすみませんでした。

本書は著者が巧妙なインタビュアーにこたえて、みずからの「経済学

との格闘」を語るという体裁をとっているので、素人でも現代経済学

の世界に接近できるところはあります。

また、本書は著者の歩んだ人生の軌跡を語った、味のある自伝でも

あります。

目次

第一章 生い立ち――「図鑑」から経済学へ

第二章 MIT留学――学者人生における早すぎた「頂点」

第三章 エール大学――『不均衡動学』を書く

第四章 帰国――「シュンペーター経済動学」から「資本主義論」へ

第五章 日本語で考える――『ヴェニスの商人資本論』から『貨幣論』へ

第六章 再び米国へ――「日本経済論」から「法人論」へ

第七章 東京とシエナの間で――「会社統治」論から「信任」論へ

第八章 残された時間――「経済学史」講義からアリストテレスを経

て「言語・法・貨幣」論に

2.ピックアップ

(いつもに増して、全体見渡すとか、経済理論に沿って、というより

私が個人的なお気に入りの文章をピックアップしました。)

 経済学という学問は、なぜ生きるかという問題には答えられないかも

しれないが、少なくとも人間とは本来どう生きるべきかという問題に

はアプローチできる学問であり、しかも自然科学と同様の科学性を持

っており、つまり経済学を、文学と科学とを足して二で割ったものと

とらえたのです。

また、今から考えると、ずいぶんいい加減な理由で選んだと思います

が経済学を専攻することにしました。

(なぜ経済学を選んだのか  P31)

 

日本に戻る前から、宇沢先生は新古典派経済学に批判的な経済学者に

近づき、特に、イギリスのケンブリッジ大学ケインズの教えを直接

受けたリチャード・カーン(1905-89)やジョーン・ロビンソン

(1903-83)との親交を深めていました。

その影響のもとで、「ペンローズ効果」に関する論文を1968年と69年

に出しています。

企業の声量が企業内の「経営資源」の大きさによって制約されてしま

うことを示したエディス・ペンローズ(1914-96)の『会社成長の理

論』(1959)を基礎にして、ケインズ経済学における投資理論の定式

化を行ったものです。

私自身は、これが宇沢先生の仕事の中で、最も優れたものだと思って

います。 (宇沢先生の葛藤 P48 )

 

先生はみずからの新古典派的分析手法と、正義感にもとづく新古典

派批判という目的との間のギャップで、長らく葛藤していたのだと

思います。

その葛藤に切れ切れを、酒場での話の中からときたま漏れ聞くことが

できました。

そして、そのことは、私の意識の底に残り、その後の私の研究姿勢に

大きな影響を与えることになったのです。(同 P49)

 

(サムエルソンの代講の話)

引き受けないわけにはいきません。

清水の舞台から飛び降りるつもりで、二回ほど講義をしました。

大学院生の方は、サムエルソンの代わりに私が出てきてまず驚き、

次に私の英語が下手なのに驚いていました。

黒板の数式が解りやすかったと、後で一年下の大学院生に慰めら

れました。  (サムエルソンとソローの弟子 P65)

 

ケインズは、ヴィクセルの不均衡累積過程論を捨てていませんでし

た。

 捨て去るどころか、不均衡累積過程論を大前提として、現実の資本主

義経済の一定の安定性は、新古典派経済学のいうような「見えざる

手」の働きによるものではない。

いや、全く逆に、労働市場において「見えざる手」が十分に働いてい

ないからだという命題を論所為しようとしていたのです。

ただ、残念ながら、ケインズ自身、『一般理論』のなかで、このこと

を十分に意識していません。

少なくとも十分には強調していない。

それが、その後のケインズ経済学の解釈に、大きな混迷をもたらして

しまったのです。

私の『不均衡動学』が、ケインズ経済学に何か新たに付け加えること

があったとしたら、それは、まさにこの命題を前面に押し出して、

ケインズ経済学を再構成したことにあると思っています。

ケインズは、ヴィクセルを捨てていなかった  P136)

 

私は、経済学を学ぶことによって、資本主義を純粋化して市場を円滑

に動かすことがっできれば効率性が高まることは、100%認めるよ

うになっています。

しかし、ヴィクセルとケインズの経済学を「見えざる手を見る」とい

う立場から再構築していく作業を通じて、同時にそれが不安定性の増

大を伴ってしまうことも知ってしまいました。 

(資本主義の不都合な真実 P140)

 

資本主義経済においては、効率性と安定性とは「二律背反」の関係に

ある。

この「効率性と安定性の二律背反」こそ「資本主義の不都合な真実

なのです。

その不都合な真実を直視して初めて、現実的な経済政策を立案する

ことができることになる。  (同 P140)

 

 「創造的破壊」の過程こそ、この「不断に古いものを破壊し、新しい

ものを創造し、絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変

異」こそ、シュンペーターは「資本主義に関する本質的事実である」

としたのです。

ここで、シュンペーターが、「革新」の概念を生物学における「突然

変異」と言い換えていることが重要です。

(資本主義と進化論が結びつくとき P171)

 

 此れから以下の抜粋・引用は「その2」に記載します。

3.最後にまた感想

 初版が出てすぐ読んだので、3年振りくらいの再読です。

今回もまた、完全に消化したとは、決して言い切れません。

このブログでも、ちらちら書いていますが、私の性分なのでしょう。

何か、「憧れ」を感じるものには、解らないなりに突っ込んでいき

たくなります。

跳ね返されるのが、解ってはいるのですが・・・・。

「古典」と言える中にある通説を、理解したうえで、論破し、新しい

理論を構築していく、それが学者なんでしょうね。

  岩井さんは、未だ故人でありませんが、本は、私の都合で、勝手な

時間管理で読めて、結果として岩井さんに付き合ってもらうことにな

り、ありがたいものです。