中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

「群れない」生き方 (読書感想文もどき) 私に「しっくりくる」 曾野綾子さんのエッセイから

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現実は使わないでしょうが「随筆」のイメージを出したかった


「群れない」生き方

ひとり暮らし、私のルール

曾野綾子/著

出版者    河出書房新社 2020.2

1.概要

曽野綾子さんの最近のエッセイはよく読んでいます。

昔の若いころの書かれた小説は、あまり読んでいません。

ネットで見ると1931年生まれの88歳のようです。

本書について、概要を借用すると

『家族を看取り、老いを受け止めながら、ひとり暮らしを楽しむに

はどうすればいいのか。

生涯、魂の自由人であるには。

著者の生き方の根幹である「群れない」という美学を軸に、豊かな老

後のあり方を綴ったエッセイ集。』

とあります。

私がいたるところで書いていますが、「人は自分の見たいものしか見

ない、聞きたい意見しか聞かない」

と思います。

彼女のエッセイは、僭越ながら「私にとっての好みの定食」みたいな

もので、内容はそれなりに理解できるし、彼女の見解が私に「しっく

り」来るものが多い、ということです。

さしづめ、「自分ではうまく書けないが、同じ趣旨を主張している」と、いいたいところ。

引用を以下に進めていきます。

 

2.ピックアップ

国家なら犯罪は起こさないだろう、などと本気で思っている日本人が

いて、それで日本軍のしたことをあげつらうのだが、北朝鮮の拉致事

件に真相を知ると、どの国家も残忍なものである。

つまり人間はたやすく集団で理性を失える性格を持っているのだ。

それが万人に共通の弱点なのだから、自分だけが例外でないと覚悟す

べきである。 (P26)

 

疑ってもなお、用心しつつ、助けるべきは助けることはできるのだ。

理由なく信じることはいいことではない。

それは愚かなことである。」もっとも詐欺師は、信じるに足ると見え

る理由を作るものなのだが・・・。

そこでマンガ以外の本もたくさん読んで、人を見抜く目を養うほかは

ないことになる。    (P28)

 

「誰でも知識があっても、その用い方を知らなければ、不十分に知識

を持っているに過ぎない。」(トマス・アクィナス)  (P30)

 

「道徳」とは、単なるお説教ではないのだ。

人間関係を、最低限あんまりこんがらかせずにやっていくための謙虚

知恵なのである。  (P35)

 

民主主義は、安定した上質の電気が、国の隅々にまで提供されている

にしかありえない。  (P43)

 

人はめいめ位が好きで特異な道を生きればいい。

好きなことのない人が、実は一番、危険で困るのである。  (P58)

 

人間は、自分が直接見聞きしたこと以外、信じてはいけないのだ。

世間の噂、マスコミの記事、ついでの歴史小説も、それを真実だと

して処世訓にしたりするのはやはりまちがいなのである。 (P76)

 

(「イランでは宗教がそのまま政治である」を受けて)

そういう宗教家たちにたいしてイランのインテリはかなりはっきりと

批判的である。

人前で握手をすることはその反抗の現れであるらしい。

こういう現実の端っこなりとも知らずに自分の尺度で世間を見ると

危険になってくる。 (P88)

 

人は、自分の思考や行動を守るために、静寂を侵されない自由がある

と思う。

世間は実に多くの考え方から成り立っている。

その個人の自由を守ることは、最低の礼儀だと言っていい。(P94)

 

テレビは麻薬的かつ非現実的だから、過酷な現実に対応し耐える力

を奪って、いわゆる切れ易い性格を作るのだという。  (P99)

 

夜の時間は、人間たちにとって、魂の輝きを見せる時なのではないか

と思う。

思考が内向きになった時、その人の精神は燃え上がる刺激をまだ十分

には、消化しきれていない。 (P116)

 

大勢で仕事をするのは、つまり誰一人として「自分が責任を取りま

す」という勇気を持たなくなったということだ。  (P153)

 

3.最後に

引用して文章に、理解のために特段の捕捉をつける必要は、無いようですし

コメントも不要でしょう。

読みながら、普段、考えている頃が浮かんだので、一つ記載します。

情報を得る手段として、テレビ、インタネットの動画、オーディオ

ブックがあります。

それぞれ全然違う分野でしょうが、「相手から主体的に情報が流れる

(送られてくる)」という点は共通。

そのスピードに自分がついていけるか、逆に遅すぎるとか、いろんな

ケースがあるでしょう。

また、情報が入ってくることを「自分が考えている」と錯覚しやすい

点もあると思います。

一方書籍だと、読む行為は自分が主体的にならざるを得ないし、自分

の考える速度に調整が、できます。

少なくとも、自分で理解し、考えているように時間調整できるのは

すばらしいと思っています。