中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

三日、三月、三年の話 事例紹介と「三年は長すぎないか」との私見

Ⅰ.三日、三月、三年の本来の意味

(1)よく使う言葉です。

年長者が、社会人の新人や、相対的に若い人に向かって言うケース

が多いですよね。

元は芸事や修行の心構えから来ている言葉で、

「三日我慢すれば三ヶ月は耐えられる。 三ヶ月耐えられれば三年は

頑張れる。」 という意味のようです。 

(2)もう一つ説明を引用します。かなり実務的な丁寧な文章です。

①まず、世間一般で、この言葉の意味は、「会社に入社後、退職を

考える人が多いタイミング」として認識されている方も多いようです。

「入社三日目」は、

新入社員としても期待と不安が入り交じった不安定な

心理状況であることは間違いありません。

社会や会社の「現実」に直面することで、早々に「会社の選択を

間違えた。」「今ならまだやり直せる。」といった短絡的、衝動的

な感情で退職を考えてしまう人が多い時期と考えられますね。

②次に「入社三月目」ですが、

この時期は新入社員研修が終わり、まさにこれ

から実務がスタートするタイミングといったところでしょうか。

この時期も、研修という準備期間が終わりいざ実戦となるわけで

すから、新入社員にはかなりのプレッシャーになります。

③最後の「入社三年目」、

営業職や技術職に限らず一通り仕事を覚えて、

ある程度、責任を持たされはじめる時期といったところでしょうか。

当然、先輩達の姿をみていれば、おのずと自分の将来もある程度

分かってきますから、そこに不安なり不満を感じて転職を考えて

も何ら不思議ではありませんね。

  

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石の上にも三年のイメージです。

Ⅱ.「三日目、三月目」の本来意味への補足

(1)事前の情報量が以前と違うと思います。

丁稚、後継ぎ、住込み、(いきなり)起業・自営、サラリーマン

(ウーマン)、フリーランス等々、昔より「働き方の形態」は多様

化していると思いますが、何らかの労働をして、対価かとして報酬

を得ることは共通しているでしょう。

 当該「仕事」を始める前に、本人にやる気があればですが「情報量」

は格段に違います。

事前に十分調査して、選択した場合もあるでしょう。

 また、「働き方の形態」のなかで、アルバイトや短期体験とかで、

「雰囲気」を知っているケースもあるでしょう。

とはいえ「こんなはずじゃなかった」「やはり間違えた」という

感情はほどんどの場合、起こり得ます。

「ウチからとソトからと見た場合は違っていた」、と気づくとか。

つまり「入社3日目」のヤマは、あるでしょう。

〇最も、財務的・人員的の余裕のある会社でいわいる「外部社会と

接しない研修漬け」の場合もあるでしょう。

このケースでは「入社3日目」現象がずっと先に来ることも、ある

と思います。

 (2)「入社三月目」の話

前章1の事例では、比較的大きな組織で、研修終了し、いよいよ

実践へというイメージですが、私はある程度「外部と接して、

(もちろん内部も)」自分の属する組織と、自分に期待される役割

が見えてきた時期を指します。

三日目の「こんなはずじゃなかった」より、も少し具体的、

「今ならやり直せる」と思うのは、まさにこの時期では?

 (一般論でいうのもなんですが、)

仕事をするまでに特定のスキルを習得していて、「経理として」

とか「技術者として」組織に入ったケースでない場合は、特に、

迷うことでしょう。

 (3)「三日目、三月目の」悩み・葛藤は、時期がある程度ずれ、

内容も(本人にとっては)千差万別かもしれませんが、本質的な

ところは今も昔も、そう変わらない、と思います。 

 

Ⅲ.「三年」については、私見は大いに違う

ホモサピエンスの脳の大きさや能力自体は、1万年以上も変わっ

ていなくて、「石の上にも三年」の精神は評価します。

悲しいかな私が思うのは、「せちがらい」というか、「グローバ

リズム」というか時代のスピード、ビジネス展開のスピードが、

格段に大きく変化しているのでは、ということ。

換言すれば、ほんの30年くらい前、「3年かけて」検討し、行動し、

試行錯誤を繰り返して成就していたビジネスの多くが「3年もかけて

いると」持たなくなって市場から排除されてしますケースもある、

と感じます。

もちろん、「市場のスピードと人材育成・教育は全く違うのだ」と

いう見解も、私は否定しません。

しかしながら、つい「牧歌的」と言いたくなりますが、組織もお金

も人、従来と違ったダイナミックな対応が求められているように

感じます。

「ヒト」のうち「新人」だけが例外、とは言えない気がしています。

極論と言われようが「三日目、三月目、三年目」が本来意味していた

提言のうち「三年目」部分は割愛してもっと短期で考えるべき、と

いうのが私見です。