中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

経営学の書籍をヒントに考えたこと。現状は「自己選択」の結果と受け入れるしかない。

1.人生は、トレードオフ

誰しも、二つの人生は、選べません。

一つの選択をすることは、他のすべての可能性を(その時点

では)捨てること。 当たり前のことです。

学校の選択、結婚、就職等を挙げるだけでなく、(主観の問題で)

大きな選択、小さな選択、真ん中くらい、すべて選択です。

「取り返しが付かない選択」か否かと思うのは主観ですが、死亡

してしまわない限り、「やり直しの選択」はできるでしょう。

ただし、実行可能か否かは現実の様々な制約があり別の問題です。

ある書物を読んで、少し感じ入ることがありましたので、少し書きます。

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生きていることは、常に選択の連続

2.「 世界標準の経営理論」から

    世界標準の経営理論

 (入山章栄/著  出版者     ダイヤモンド社 2019.12)

を読み始めたのですが、冒頭の「なぜ自分にこの本が書けたか」

の理由付けが、とても面白かった。

少々長い引用から。(ナンバリング、太字、赤字等は私)

(1)優れた学術成果を上げるため、経営学者は一つのディシプ

リンに徹底的に精通する必要がある。

経済学ディシプリンに精通しているマイケル・ポーターが認知心

理学をもとに研究したという話は聞かない。

「知識創造理論」で世界的に有名な野中郁次郎は、当初はカリ

フォルニア大学バークレー校で認知心理学を勉強していた。

その野中が経済学ディシプリンの論文を書いたことも、当然ない。

当たり前だが、一人の学者がその研究キャリアを成功させていく

には特定のディシプリンにこだわりあり続ける必要がある。

だからこそ、経営理論家として大成するのである。   P15-16

(2)一方著者の入山章栄は、

・日本の大学・大学院で経済学を勉強・・・経済ディシプリン

・博士号取得の米ピッツバーグ大学・・・社会学ディシプリン

カーネギーメロン大学・・・認知心理学の総本山

たまたまの偶然とはいえ、3つのディシプリンを広く知るのは、

経営学者の中でも、稀有なパターン。

これは、経営学の研究者として成功するには最悪のパターン。

学者として成功するには、一つのディシプリンに特化する方

がはるかに効率的。

(3)筆者は、経営学者としては最悪のパターン」だからこそ、

初めて「3つのディシプリンにまたがって定型的に経済理論を紹

介できる」

 

3.私が考えたこと

 (1)オマエは、「人生はすべて自己の選択による構成される」

と、評しているように読めるが、現実はそうではないだろう。

選択も何も、生きるためには、その道しかなかった。そして「たま

たま」現在の自分がいるだけのこと。「選択」できたんじゃない、

との反論は当然あるでしょう。

また、就職、結婚、仕事どれにおいても「自分から進んで選択」

した訳ではなく、自分の環境、能力、その他の条件を考慮すると、

「選択の余地はなかった。」というのが正解、との意見もある

でしょう。

例えば、「あの時、こういう病気をしたから、こうなった、とか。

突然、親の経営する会社が倒産したから、こうなった、とか」

 (2)しかしながら、「人権」も奪われ、まったくの奴隷状態を

別にすれば、積極的消極的、意識無意識は問わず、本人なりに、

何らかの選択をした結果の積み重ね、を否定できないでしょう。

 上記2.で書いた入山さんの場合は、経営学でのディシプリン選択

という、極めて個別性の強いことの選択のように、聞こえます。

ところが、これってよくある話、ある意味普遍的といってもいい。

能力や環境、運、等々の要因は大きいかもしれ前んが、何らかの

自己の意識上の選択があって、現在の自分があると、思わざるを

得ません。

(3)現実論として、時間を遡れるわけがなく、現在から未来に向

かって、常に「選択」していかねばならないのであり、結果を常に

受け入れ、現時点から、何が最良かを熟考して、選択を繰り返す

しかないのでしょう。

「選択」を後悔しても仕方なくて、「うまくいかなくて当たり前」と

開き直って、進むしかないと、私は思っています。