中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

葬式は、要らない(読書感想文もどき) 10年前の作品ですが、方向転換どころか流れは加速

葬式は、要らない

 島田裕巳/著  

出版者    幻冬舎 2010.1

1.概要

(1)日本の葬儀はいつから豪華になったのか。古代から現代に至る

葬儀様式を鑑みて、日本人の死生観の変遷を辿りつつ、今激しく変わる

最新事情から、葬式無用の効用までを考察しています。

葬式に金をかけられない時代の画期的1冊で、ベストセラーになった

そうです。

2010年の作品で、今から10年前ですが、「古くて使えない」どころか

分析・見解の方向性は正しくて、状況は、加速しているようです。

私事ですが、10年前よりこの問題を深く考えるようになった、自分が

います。

 最近は「捨てられる宗教」の続き取り上げましたが、改めて著者紹介

をすると、

1953年東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科

学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学

教授を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。

主な著作に「日本の10大新宗教」などがある、となります。

 

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葬式にはいろんな考えあり、ただし簡素化は流れ

2.本文からの引用

葬式を近親者だけで営むのであれば、世間一般に向かって個人がなく

なったことを告知する必要もない。近親者が最後のけじめをつければ

それで済む。直葬の増加は、寿命が延び、いわば大往生が増えてきた

ことが大いに影響している。  P34

 

今日の仏教は「葬式仏教」といわれるように、死者を葬ることを第一

の使命にするが、飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教は、高度な

学問の体系として受容され、葬式仏教の側面は全く持たなかった。 

 P54

 

往生院は、今ではホスピスだ。源信は、極楽往生のためのテキスト

をつくり、それを実現するためのシステムを構築した。これによっ

て、仏教は死の世界と深い結びつきをもつこととなった。  P60

 

釈迦は、死後のことは、死んでみなければ知ることはできないとし、

生前に死後について考え方ることはできないし無駄だと説いた。 P62

 

法然親鸞は、仏教の教えを念仏行による往生に集約し、仏教と死

を強く結び付け、それを大衆化することには貢献したが、仏教式の

葬式を開拓したわけではなかった。  P64

 

禅宗において、在家のための葬儀の方法が確立され、それが日本の

社会全体に広がることによって、日本的な仏教式の葬式の基本的な

形態が生まれた。  P66

 

庶民は阿弥陀堂を建てることもできなければ、まして浄土式庭園を

造ることもできない。葬式の祭壇には、せめても浄土に近づきたい

と思う庶民の願望が示されているのである。P67

 

こうした世間や世間体の感覚が日本人のなかに育まれる上で重要は、

あるいは決定的な働きをしてのが、村落共同体の成立である。いくら

平安貴族に発する浄土教信仰が後世に影響を与えたとしても、村落

共同体が形成されなければ、葬式で見栄を張り、世間体をよくしたい

という思いを生むことはなかったであろう。  P74

 

仏教は、死者が赴く極楽浄土を、はるか彼方にあるものと想定して

いる。それに対して柳田は、日本人は、自分たちの家の先祖である

祖霊が、浄土のような遠方の世界に行ってしまうのではなく、子孫の

身近にとどまって、その生活を見守って行くのだと考えた。

(中略)日本人の信仰の核心には、祖霊に対する信仰、祖先崇拝が

あり、それは仏教の影響で生まれたものではなく、日本固有の伝統

的なものだというのが柳田の主張であった。  P77-78

 

  日本の仏教は葬式仏教になり果てたことで堕落してしまった。そう

考える人は少なくない。その堕落の象徴が、戒名と戒名料なのである

P96

 

明治維新が起こり時代が変わると庶民も名字を持つようになる。それ

が家についての意識を強め、戒名への関心も高めた。出来るだけラン

クの高い戒名を望む意識は、近代になってから生まれたものである。

P103

 

家を単位とした葬式や葬り方が、今や実情に合っていないのだとも

いえる。葬式をめぐる変化は、これからも続いていくことだろう。

その変化の全体を眺めた時、方向ははっきりしている。葬式は明ら

かに簡素化に向かっている。それは、葬式を必要としない方向への

変化だともいえる。今や現実が葬式無用論に近づいているのだ。

  P153

 

最後まで生き切り、本人にも遺族にも悔いを残さない。私たちが

目指すのはそういう生き方であり、死に方である。

それが実現されるなら、もう葬式がどのような形のものでも関係が

ない。生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なも

のにするのである。  P183

 

3.いま読んでみての感想

確かに、この10年間の日本社会の変化も、大きい。日本がバブル

経済に向かうにつれの、戒名料の動きが、背景説明からしてよく

わかった。

この10年で益々、平均的日本の個々人の経済的余裕が減少し、また

「葬式仏教」に対する、本書で提示された考え方が、方向転換する

どころか、ますます、加速しているように思えます

本文中にある「方向ははっきりしている。葬式は明らかに、簡素化

に向かっている。それは、葬式を必要としない方向への変化だと

いえる。」 という考え方が、現在に私の個人的状況を踏まえ、身に

染みて感じるのです。