1.私は宝くじを買うことがあります。
(1)「趣味」や「マニア」からは、程遠く、場所や売り場を選ぶ
とか、買う日付や、買い方、番号等にこだわることは、ありません。
購入金額も、極めて少額です。
とはいえ、たまに買っていることは事実です。 そこで
「なぜだろう?」と、ちょっと自分の心理を、のぞいてみました。
(2)今の時代、私が疑問を持つ程度のことは、大抵ネット上に
回答、解説が、あふれています。
一般論を見ると「錯覚している」「わくわく感」「夢を買っている」
といった説明が出てきます。なるほど、といったところところです。
ネット上の解説を孫引きしても、意味があると思えず、今日は勝手に
私なりのコメントを書いてみます。
2.「くじ」への錯覚について
(1)自分だけは違う、当たりやすい
そもそも、公平な「くじ」の場合は、単純明快な確率論のしです。
「自分だけが当たりやすい」ことはあり得ないわけで、また当たる
確率も収益も、「胴元の儲け」を引いた運を分配するわけですから
参加者を平均すると「損」をするのは当たり前のことです。
ウラを取ってはいません、日本の競輪競馬は「胴元は、売上の25%
から30%」を取るそうですね。
ラスベガスも、経営のうまくいっているカジノは胴元が10%台でも
「儲かる」体質を維持、結果「顧客への分配率」も高いと、聞いた
こともあります。
一方、日本の「宝くじ」は、50%程度を胴元が取る。正直、高額
ですよね。そもそも「宝くじ」の成り立ち自体が、他の事業への投資
資金を集めることが趣旨のようですから。
つまり、「顧客」からすると、回収率の悪いギャンブルです。
上記の競輪・競馬、ラスベガスのホテル、宝くじ、どれも、集めた
お金から経費を引いて分配です。
ゆえに、元本自体が時間とともに膨らんでいくことを期待する株式
投資や不動産投資とは違います。
すが、いずれにせよ。「宝くじ」が、元本が減っている行為である
こと否めません。
(2)(戦略が当たった)という参加者の想い
初めてくじを買った「高額当選」の人は、ビギナーズラックと
考えるし、一方継続的に宝くじを買い続けている人は長年の苦労(?)
が実って、ついに「高額当選」を引き当てたと感じるのでしょうが。
いずれの場合も、「錯覚」ですよね。
毎回、横井線、過去の魁夷はシャッフルして、抽選するわけですから
理論上「ビギナーズラック」も、「継続購入の成果」もあり得ない
わけです。
3.購入時のワクワク感
「ワクワク感、高揚感」について、少し考えてみます。
わくわくする対象は、それこそ、人により千差万別です。
経済的利益が全く期待できなくても、人はワクワクするもの。
事例を、あなたが日本人で、ある地域の出身だとします。
オリンピックで、日本人選手の活躍に、興奮し、応援します。
日本選手がが活躍して、結果として経済的利益を得る関係者も
皆無ではないですが「わくわく」する人の大半はそうでないで
しょう。
高校野球の夏の大会もそうでしょう。
自分の出身地の都道府県の高校が勝ち進んだところで、なんらか
の経済的利益があるわけではありません。
勝手に「一体感」を作り出して、自分なりの物語を作って、「わくわく」
しているようです。
さて、「宝くじ」の場合、「万一当たった場合」の経済的利益は
ありますが、「結果が見える前のわくわく感」は、また別物に
感じます。
当たれば、「ああしたい」、「こうしたい」というわくわく感は
下記で述べる「夢を買う」に通じることでしょう。
小坂井敏晶さん風に言うと「虚構」を作って、勝手に「わくわく感」
を楽しんでいる、ということでしょうか。
4.夢を買う
(1)生きている以上、誰しも「夢」があり、それは、みな違います。
まず取り上げる「夢」は、個人の努力や才能、めぐりあわせ等々が関
与する部分の「夢」とします。
誰しも夢の実現に向けて、子供のころや若いころからの学習や訓練、
経験上必要な部分は多いですが、がんばります。
それが広義も「教育」の一部を形成しているのでしょう。
こちらは、頑張ってたことが報われ、実利的に「身を立て、名をあげ」
た場合の「夢」です。
(2)しかしながら、そうでない「夢」を追いたくなるのも「人情」で
しょう。
つまり、いくら頑張っても、自分でやれることは知れている。自分の実力
や取り巻く環境の、今後もある程度わかってきた。
とはいえ、自分の実力を超えた身分不相応の「いいこと」が自分に起き
ても悪くはないだろう、誰にも迷惑はかけないだろう。
この人生、「そうでもしないと、やってられない」こともあります。
そういった「夢」を追って買うのでしょうか。
いろんな考え方がありますが、冒頭の「私はなぜ宝くじを買うのだろう?」
の答えは、どうもこんなところにありそうです。