1.米国選挙を契機に
今日はまた、変なタイトルです。
タイトルのきっかけは、米国大統領選挙です。
11月3日の投票日から3週間弱経過していますが、トランプ陣営の
「不正選挙」主張の法廷闘争が、まだまだ続いており、憲法上も
だ「次期大統領の確定」までは、行っていないようです。
当該選挙に関して、私に何らかの一次情報があるはずはなく、各
種報道を見て(聞いて)、勝手に思いを巡らせているだけです。
(1)メディア報道について
今日メディアに公平中立を求めても無理で、なにが「フェイク
ニュース」なのか、そうでないかも個人では判断はつきません。
私見では、
権力者や政治家、経営者であれば、実績をいかに出したかに
よって評価 されるべきであり、人間として「嫌いだ」「気に
食わない」といっても、 そういった人格や個性を判断基準に
含めるのは、変だと思います。
米国メインストリームメディアの「トランプ嫌い」は、この人格
や個性を 前面に出しているように思います。
話を戻して、「報道が間違っているか否か、判断がつかない」話
をします。
集会やデモ行進の参加者の人数について、今どきは映像があるの
で、「桁違い」の報道があると、素人の私が見ていても「違うな」
と分かります。
とはいえ、映像がすり替えられていたり、加工されていたりする
とお手上げです。
また、選挙の不正手段として「アルゴリズムの操作があった」と
言われても、一般の人に、「不正証拠の判断」ができるわけでは
ありません。
(2)裁判所の判断について
「法廷闘争」においては「挙証責任」の問題があり、つまり自分
が正しいと思うことを、潤沢な証拠を積み重ねて、裁判官の判断
を得ることが、「勝つ」ためには必要です。
言葉を変えると、不正を知っても「証拠」があり、「証明」しないと、
相手に認めれれない。ということは、証明できないと法的には「なか
ったこと」になります。
もちろん感情的には、収まらないでしょうが、それを解消する手法は
ないようです。
「不正を正し、民主主義を守る」主張は、その通りで同調しますが
「勝たない」と、結局「力」を持たないことになります。
しかしながら、裁判官に一定時間内にすべてを理解する能力を求め
る方が無理で、困難が、伴うと思います。
個人的には、トランプ支持派の主張の方に、分があるように思えま
す。何らか不正選挙行動がありバイデン勝利は「正しい」とは言え
ないでしょう。ただし、裁判所の判断で、選挙結果を覆す証拠能力
が、あるのかどうかは、別問題です。
一定期間後迄には「選挙結果」は確定するでしょうが、トランプ
・バイデンどちら陣営にも、「不満」は残ったままで融和はない
でしょう。
2.歴史を見てみると
(1)少し、米国大統領選挙から離れて、歴史上の権力闘争に
ついて、少し考えます。
勝てば官軍、歴史は善悪を判断しない、勝者の歴史、・・・・・
表現はなんでもよいですが、 「勝った側」が自分が正しいとして
、歴史を作ってきたのであり、私のつたない知識でも、高潔な人、
(その時代の倫理に)正しい人、立派な人、慕われた人等等が
権力を握るのでなく、結果として「勝った人」が、自分が正しい
として歴史を作ってきたのが実情でしょう。
権謀術数でも、なんでも手段は問わず、すべて「結果で判断」
するのが歴史でしょうし、後々の人が見たら、今回の「選挙結
果」であっても、相対的に、歴史上は小さいことなのでしょう。
(2)宗教のくびきから解き放たれて、「近代科学」が「科学
的に正しい」ことを、証明したことになっていますが
「大多数の人が説明がつきやすいと、納得している場合」だけで
ある可能性もあります。
進化論を信じていない「福音派」もあると聞きますし、例えば
「地動説」でも、「オレにわかる証拠を示せ」といわれても「オ
レ」の理解力は貴方には、未知数であるわけですから・・・
3.当たり前の結論
共同幻想でも虚構でも、どういう言い回しでもいいのですが、
「正しいこと」も個々人が勝手に作り上げて、大多数の人が納得
しているとの範疇を出ません。
今日の結論の一つですが、時代を超えて普遍的に正しいこと、真実
の情報といったものは、存在しなくて 、また「後々の歴史が正しい
と証明する」ことはなくて、 「勝者の歴史」だけが続いていくよう
です。