中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

科学化する仏教(読書感想文もどき) 修行と瞑想 人類の真理を探る思想と技法だ

科学化する仏教

瞑想と心身の近現代

碧海寿広/著  

出版者    KADOKAWA 2020.7

1.概要

ときに対立し、ときに補い合う仏教と科学の歴史から、日本近代の

いかなる姿が浮かび上がるのだろうか。

催眠術、念写、オウム、そしてマインドフルネス。宗教と現代人の

危うい100年史を、気鋭の近代仏教研究者が描き出します。

 近代日本の仏教が、科学と対峙することなく、これを取り入れること

で、合理主義が信奉された近代ならではの時代の要請に応えてきたこ

を明らかにして、います。

今まで読んできた「仏教」の本とは視点が違いました。

目次を書くと

 序:仏教と科学

 1:心理学と仏教

 2:催眠術と仏教

 3:密教の科学

 4:禅の科学

 5:ニューサイエンスと仏教

 終:心身の新世紀 

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瞑想しているイメージです。

 2.本文からの引用

近代日本では、進化論を積極的に受容し、新たな宗教思想を開拓した

仏教者たちがいれば、仏教的な発想を取り込みながら、自らの生物学

を構築し発信した生物学者もいたのだ。

こうした科学による仏教の、必ずしもネガティブでない再編成は、

進化論以外の事例にも、様々に見て取れるだろう。

P 19  「進化論と仏教」から

 

宗教には関心のないビジネスパーソンも、瞑想の意義の科学的な説明

には納得して、進んで瞑想に取り組むようになってきたわけだ。

瞑想と科学の結託こそ、現代世界における仏教の位置を問う上で、最

も注目すべき動向の一つだと言っていい。  P25

 

(井上)円了は、心理学という西洋由来の新たな学知を応用すること

で、むしろ、仏教の伝統の核にある超越的な審理を、再確認したかっ

たのだろう。  P46

 

(元良雄二郎によれば)

人間の心の、心理学では光を当てられない「ミスチックな所」。言い

換えれば、神秘的で不可解な部分。それは、個人の人間性を形作るう

えで非常に重要な部分であり、現状では宗教によってしか、アプロー

チできない。この問題を解決できなければ、科学が宗教にとって変わ

ることはないだろう。  P50

 

円了や元良が活躍した明治期には、宗教と科学の交差するようなとこ

ろに、催眠術が置かれていたのである。そして、催眠術はやがて、従

来にない新しいかたちの宗教的な実践を生み出しもすれば、既存の宗

教に新たな活力を与えたりもする。  P66

 

宗教で世界は変えられないが、個人は変えられる。あるいは、個人を

変えることでなら世界を変えられる。これが、近代以降に科学と対話

した少なからぬ宗教者や知識人の至った結論である。   P134

 

森田は、禅(仏教)の思想や実践を意識しつつ、自己の精神療法を開

発したのではない。そうではなく、病を抱えた人の苦悩を取り除こう

とするその真摯な営みが、必然的に禅(仏教)の思想や実践と通じる

結果となった、というわけだ。非常に示唆深い見解である。 P140

 

宗教は「体験の世界」を自己の身で味わい、科学は「概念の世界」を

構築して人々に利便を与える。これが(鈴木)大拙の考える宗教と科

学の相違である。  P178

 

人間を超えた科学の力が支配する世界で、個々人が自己の存在に向き

合い直すために求められるものそれが「禅」だと大拙は言うのだ。

 P179

 

座禅の実践の拡散を後押ししたのが、座禅は個人の能力開発に役立つ

という、禅の効能ないしは実益に対する信用であったのだ。

禅は、僧侶でなく一般人に「現世利益」を着実にもたらしてくれる手

段の一つとして、その宗教的あるいは社会的な地位を変化させたと言

えるだろう。  P185

 

湯浅(泰雄)に見立てによれば、東洋思想は、西洋の最先端の科学的

研究に通じる実践を、遥か昔から推進してきたことになる。

「東洋思想の伝統においては、修行という場面において、心身関係の

カニズムに対する経験的実践的研究が古くから為されてきた」とい

うわけだ。

西洋の現代科学に比肩するポテンシャルを、湯浅は東洋思想に見出し

たのだ。  P209

 

マインドフルネスとは、単的に言えば瞑想法の一種である。仏教に由

来する瞑想法を、その宗教性を排除するかたちで再設計した瞑想法

だ。あるいは広義には、そうした瞑想法をもとにした生き方や考え方

も「マインドフルネス」に含まれるだろう。そのような瞑想法がや考

え方が、世界中の人々を魅了しつつある。 P241

 

 

 今から約2500年前、南インドのある地方に立つ大きな樹の下で、一人

の男が真理を悟った。(中略)悟りを開いた男はやがて、その真理

を、同じように自分の人生の中で喜びや哀しみや苦しみを経験してき

た人々に向けて説くようになる。単に言葉で伝えるだけでなく、自ら

行ってきた瞑想の仕方も指導しながら、それぞれの人に、自分の心身

のありようを探求せよと唱え続けのである。

男が開拓した人類の真理を探るための思想と技法は、21世紀の人類に

とってもなお、いや、科学技術が史上最も発達した今だからこそ、求

められる知恵だろう。その21世紀の字類のための知恵の名前を、仏教

という。  P261

 

  3.最後に

 修行や瞑想などで得られる「現世利益」が、科学理論とともに喧伝さ

れ、本来の宗教的意味なく、効果だけが求められるのは危険だ、との

著者見解ですが、同感です。

いとこどりや勝手解釈は、自分のなかだけだといいですが、周りを考

え無いといけません。「科学信仰」になりがちです。

 僭越ですが、私の感想類似として、本文中の「ホモ・デウス」を書い

たノア・ハラリ氏を引用します。

   科学技術の力で人間が「神」になる前に、あるいは、人間の条件

  の決定権を、人間が科学技術に明け渡す前に、我々は自らを省み

  るべきではないか。そう論じながら仏教瞑想を実践するハラリの

  言動は、仏教と科学が改めて手を結び、瞑想の評判が高まる21世

  紀の現在に、一人の知識人としての立場から重要な展望を示して

  いると言えるだろう。  P258