1.なまじ時間があると・・・・
(1)人間だれしも、多忙すぎて、というか考えるヒマもない状況
に置かれると、ある意味幸せでしょう。良からぬ「悩み」から解放
されます。
マズローの一欲求の5段階説設は、多くの方が知っていますが、
生理的欲求と安全の欲求が満たされると、社会的欲求、承認欲求
、自己実現の欲求に向かという考え、です。
私は、少し違って、生理的欲求と安全の欲求が満たされると、とり
あえずはOKであり、先に進むか否かは、本人次第、ということ。
確かに、社会的、承認、自己実現となると、話は大きくかつ複雑、
個別性となり、一筋縄でははいかないと思われます。
歴史を振り返ると、ほんの少し前まで、人間の欲求は世界中のどこ
でも、腹いっぱい食べさせること。安全に暮らせること。
この2つを担保できるのが「良い為政者」であり、
逆に言うとそれだけ。
(2)幼くて、もしくは若くて、亡くなってしまうと
「これから楽しいことがいっぱいあっただろうに」という嘆きは、
世界中でよく聞くだろうし、おそらくそれは正しいでしょう。
と、同時に、生きていくと、苦しいこと、嫌なことも、
たくさん生じてきます。これはある程度の年齢になると「実感」
が湧きます。
先ほど書いたように、生理的欲求と、安全の欲求は共通であるとし
ても、楽しい、苦しい、うれしい、つらい、といった感情は、前2
者と直接的には、結びつかないことも、多いでしょう。
個人差も激しいでしょう。
2.損得勘定
(1)生理的欲求と安全の欲求が満たされたとして、人間たるもの、
「退屈」が耐えられないため、いろいろ考えますが、考える方向
しだいで、結果として精神を病んでしまうと、結局「損」だと思
います。
そうならないためには、各自がお気に入りの、回避方法を使うと
よいでしょう。例えば、私がよく使う諦観でも、「無視」でもよい。
自分の力でどうにもできないないことを、考え過ぎていっても
無意味、適当なところでやめましょう。
考え続けることが「生である」、との見解もあるでしょうが、私は
いい加減です。
タイトルにも書いた、「損得勘定」です。
(2)私の場合、日々、気になって、依頼足したり、気分が悪くなっ
たりしている事例は
①新型コロナ感染症の行政対応及び、野党や「専門家」自負するヒト
も含むマスメディアの報道
②米国大統領選を契機とした、米国政治動向。トランプ側対大手マ
スメディアの対立軸、といった形。
いらいらの原因の一つは、たとえば
正義は最終的には勝利するとか、世界は自分の納得いく方向になるべ
き、 また結果は公平であるべき等々の「べき論」を考えているから
でしょう、
私も「退屈」に耐え切れず、ああだこうだ、考えるし論評するのです
が、一歩下がって冷静になると、無意味なことに思えます。
私の考えや論評が、私自身に何のメリットももたらさないでしょう
さすれば。
神経をすり減らすほど悩むのは「退屈しのぎ」「気晴らし」を超えて
精神を病む要素になるやもしれません。
「損得勘定」における絶対的「損」に思えます。
3.レビー=ストローズの引用
自分の自由意志とは無関係に、この世に誕生させてもらい、また勝手
に死んでいく身ですから、「自縛から、自分をどう解き放つのか?」
とか「俺は何のために生きているんだろう」と肩ひじ張らずに
生理的欲求と安全の欲求が担保されていることにまず感謝し、人生は
「退屈しのぎ」「気晴らし」と心得得て生きるのも、よいかと思いま
す。
以下に、レビー=ストローズでも引用しましょうが。
世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。
制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理
解すべく私が自分の人生を過ごして来たものは、一つの創
造の束の間の開花であり、それらのものは、この創造との
関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能
にするという意味を除いては、おそらく何の意味ももって
はいない。
この役割が人類に独立した一つの位置を示し、あるいは人
間の努力が普遍的な下降にむなしく逆らうことからはほど
遠く、人間は、それ自体が一つの機械、おそらく他の物よ
りはより完成された機械として立ち現われ、原初の秩序の
風解を促し、協力に組織されている物質を、絶えず増大し
ていつかは決定的なものなるであろう無活力へと、追い遣
っているのである。
(レヴィ=ストローズ 悲しき熱帯 第9部 回帰 40チャウンを
訪ねて 中公クラシックスP423)
長くなりましたが、私の好きなフレーズの一つです。
今日はまた、訳の分からない話に終始しました。終わります。