1.言いにくい言葉
世の中、正面切ってなかなか、正確に反論きないことが、多々あり
ます。
「老人の命は、大切だ、重症化しやすい高齢者から優先的にワクチ
ン接種」などもそうでしょう。
それは、そうですが、65歳以上を「高齢者」とすれば、人口の
「モード」に位置するでしょうし、他の世代に回ってこないの
では?
確か「団塊の世代」の方は、1年間で区切って200万人以上対し、
13,14歳は、110万人から120万人?
一昨年、昨年の新生児は100万人どころか90万人も言っている、
と聞いています。
ずるいですが「若者も同様に大切」と私にうまく言えないので、
曽野綾子さんの言葉を借ります。
「治療のためのワクチンが限られているなら、高齢者が
まず受ける権利を放棄した方がいい。
もちろん、国の制度や医師の論理では、そんな人も平等
です。
だからこそ、高齢者が自ら辞退した方がきれいですね。
国が高齢者を切り捨てるのではなく、若者が要求する
わけでもなく、高齢者が自由意志で、自らの美学として、
自ら遠慮した方がいいのです。
(人間の道理 P88)
2.気になっている言葉「不要不急」
(1)今度は引用でなく、私の見解を私の言葉で。
結論は、行政や支配階層にある人が安易に使っていい言葉と思え
ないし、メディアの悪乗りも甚だしい。
仕事や働くことの意味を、以前論じましたが、再度「認知」の話
を、持ち出します。
社会的弱者の人が、寄付や援助、支援等によって生きていかざる
を得ない面は決して否定できませんし、自由で民主的で、経済が
回っている国家は福祉面も進めるべきです。
しかし、「働いた対価として報酬を得ること」は、仮に得た金額
が少額であっても、本人にとても意味があります。
つまり、社会のお荷物ではなく、自分の行動が「報酬」という形で、
社会から「認知」されたということ。
全員が全員とは、申しませんが、働いたこととして認知されることは、
自己の存在を認知されると感じ、うれしいはずです。
(2)不要不急の一般論
視点を変えて、まだ、部外の見解を披露します。
昨年8月アップの心療内科医師の見解です。
大切なことを見失わないために一つの尺度をご紹介したい
と思います。
右(ここでは上)の図のように、物事は、重要度と緊急度
によって4つの分野に分類することができます。
一般に緊急度が高いものは、例えば電話のように、大きな
音などを伴って向こうから迫ってきますので、誰でも自動的
に取り組むことになります。
注意しなければならないのは、重要なのに緊急度の低いも
の(Ⅱ)です。
緊急度が高いけど、重要度の低いもの(Ⅲ)に時間を奪われて、
重要なこと(Ⅱ)がないがしろにされてしまい、人生を失敗する
ことがないように気をつけなければなりません。
Ⅱの分野に含まれるものの中には、家族や親せき、友人との時間
などがあります。
あまり重要ではない急ぎの仕事(Ⅲ)に時間を奪われているうち
に、大切な家族との時間を失ってはいけません。
このⅡの分野を大切にすることが重要です。
(3)私見に戻ります。
「不要の仕事」に、こだわります。
①今回の新型コロナ騒動で、当たり前のように「不要不急」が流布して
います。
よくよく考えると、大変失礼で、いやらしい言葉です。
そもそもいったい誰に「○○の行動は、不要だ」と言える権利がある
のでしょうか。
どの仕事も、世の中の必要性があって「対価」という形で行為者に
「収入」が与えられその積み重ねで経済が回っていきます。
明らかに反社会的な行為を除いて、「職業に貴賎なし」、私は本気
で思っています。
政治家・行政や医療界が「貴」とは、全く思っていません。
政治家・行政こそ、「不要不急」や「テレワーク代替」がたくさん
あるように感じます。
政治家・行政や医療界こそ、「緊急事態」に対応しろ、と思って
います。
行政や支配層が、「あなたの仕事は不要です。じっとしていなさい」
と本当に言える権利があるのでしょうか。
「不要」か「有用」かを、本人や利用者でない外部が決められるも
のでしょうか。
いわいる一般に「グレーやブラック」と言われる「仕事」も含め、
「あなたの仕事は不要だ、あなたは不要た」は、いけません。
心が折れてしまいます。
全体主義国家ではありません。ここは、自由主義と民主主義が存在
すると言われる日本ですよ。
②行政側の言い分は解ります。
国民の「安全」を守ることが第一で、目的に沿って行動している、
ということ、もっと言うと「生活より、ます生存」でしょう。
その政策や指示事項、行動の成否、善悪、効果等はここでは論評
しません。
芸術至上主義を言うつもりは、ありませんが「生存」も大切だが、
芸術活動が生きている証」という、意見の人を否定してはダメで
しょう。
言い方ひとつと言えばそれまでですが、
「接触を減らしましょう。」は対策の一つの見解として、いいとして、
個々人が決めるべき「不要不急」表現を政治家・
行政は、なるべく使わないように、ということです。
補足ですが、「煽ってこそあおって収益が上がる」との目的は解り
ますが、メディアも考えてほしい、もの。