中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

断定できるのは、自分に自信があるから それが職業人(プロ)の要素かもしれない

1.周りの評価

ある程度の年齢になり「彼(彼女)は、こういう人だ」と周りから

認知されるのは、やはりいいこと、かと思います。

たとえその認知、評価がマイナスだらけであっても、かまわないし、

これがないと、寂しい、自分が何者なのか、解らずじまい、と感じ

ます。

もちろん、「周りの評価なんかどうでもいい、自分は自分」という

見解も否定しませんが、本日は「他人の目」を軸に、少し書きます。 

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プロとして、畳職人のイラスト

2.プロと思うこと、五月雨的に

(1)目に見える世界

言葉を変えると、解り易い、納得しやすい世界について、です。

釣具店の店主であった父は地元の河川の情報を実によく知っていた

プロであり、知り合いの寿司職人は、当然商品である魚の知識や、

料理の知識もすごかった。また、母方の親せきの農家は、「農業

経営者」の糞に気に、満ち満ちていました。

彼等に、共通するのは、「この道一筋」だということ。

何がすごいかと言うと、情報の蓄積ですね。

長年、蓄えてきた情報を、適宜使うことで「顧客」の要望に答える

「プロ」として、生きて来たこと。

もちろん「幸せな環境」であってことは、認めます。

時代の流れ、世の中の経済環境の変化、急激な技術革新、政治的要

因等で税字的要因等で、自分で制御できない世界で「この道一筋」

破棄せざるをえなかった人も多々。

歴史を少しかじれば、そんな事例が、ヤマほど出てきます。

なお、人間の能力差は、ちょびちょび、ほとんど同じであろうと、

今の年齢になって実感しています。

世間でいう「成功者」、「失敗者」も、単なる評価の一面であって

その要因を見極めるのは、不可能ではないかと、思っています。

 

(2)目に見えない世界

私が、時間を費やす、よく読書の世界から、二つほど、引用します。

 ①人文系の若い学者、研究者をイメージしています。

古典や、大御所見解に、それは違うのでは?と挑む姿勢は、素晴

らしい、と思います。

経済学者の岩井克人さんが、「ケインズはここが間違っている、

この部分が理論的に弱い」と書いているのを思い出します。

ほぼ確立している「定説」に対して、異議を唱え、自論をお展開

していく。学者・研究者の本分と言えば、それまでですが、(生

理的年齢でなく)これができるのが「若い」と、ついつい私は思

ってしまいます。

 ② 続いて、哲学の話、

 中島義道さんの(エマニエル・カントの)『純粋理性批判』を噛

み砕く、を読んでいますが、少し見てみると

なお、篠田さんは””Antithetik"を「矛盾論」と訳しています

が、これ以上ないほどまずい訳です。「矛盾ではない」こ

とを論じている節のタイトルを、「矛盾論」と訳すとは、

どういう神経の持ち主か測りかねます。

中島義道純粋理性批判』を噛み砕く 第四章 矛盾対

当と反対対当 P100)

  

「完全にはわからないのですが、カントはおおよそ次のよ

うなことを言いたいのではないか?」  

中島義道純粋理性批判』を噛み砕く 第四章 矛盾対

当と反対対当 P112)

  と、言う表現がありました。

カント哲学を、真摯に読み込み、理解し、自分の解釈を確立している

「自信」を強く感じます。

 

(3)たくさんのプロの世界

もちろん、私が、役人やサラリーマンというを「組織人」を否定し

ているのではありません。

組織のなかでの、スペシャリストとジェネラリスト議論も「プロ」の

重要な要素かと思います。

結果として「この道一筋」でない場合も情報蓄積は当然あって、転職

を「転石苔むさず」として、プラス・マイナス双方の解釈は、あり

ます。

また、組織を離れて、一人で仕事をやることのリスクリターンやメリ

ット・デメリット等々の、考慮に値すると、思います。

 

3.結論的に

今、考えているのは、

 自営にしても、雇用にしても、自分の持つ何等かを社会に働きかけ

て、相手の反応があって初めて、意思疎通成立という、当たり前の

ことで

その環境で、自分に自信がある立ち振る舞いが出来れば、プロであ

本来誰しも、そうあるべきか、と思います。

なお、ありがちなスポーツ選手や芸術家の言動については、私があ

まり好まないので、取り上げませんでした。