1.PCでの作業の話
精神的に大きな話をするのでなく、システム的なことで取り返し
がつかないという話です。
相手がシステムだから裁量が効かない、そもそも彼等(システム)
にとり「想定外」とは、どうしようもない事です。
(1)ほかの人にとり、簡単なことも、私には大騒ぎ。
概略を書くと
①あるアンケートで、2項目以上を足して100%を回答させる
プログラムあり
②私が、面倒くさがり1つしか先手くせず「次へ」をクリック
③ひとつで100%だ、と心情的へ理屈を述べても、システムが
先に進まず、ストップしたまま。おかしいいなと思うと、
丁寧に数字は「1から99を選択せよ」と補足あり。
④そもそも一つで100%などと言う不埒な回答を彼らは予定して
いないようで、にっちもさっちもいかない。
つまり、元に戻って、二つ選択しようとすると、戻れません。
⑤何回トライしても、時間をおいてもダメ。
結局立ち往生で「死んで」しまうことになりました。
厳格なプログラム設定とはいえシステムに詳しい方なら、抜け道が
あったのかもしれないが、私にはできませんでした。
(2)おそらく、この駄文を読んでも、多くの人には、面白くも、
おかしくもない話でしょうが、私には大変だった、ということです。
この手の話は、実はしょっちゅう、起ります。
何か、PCで作業をしていて、途中でインターネットとつながらなく
なったり、フリーズしたり、画面が真っ黒になりた落ちたり・・・。
つまり、何が起こっているのかわからない、という不安が、常にこの
世界には付きまとう、と思えます。
2.脆さと堅固さ
いま、「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」という
本を読んでいます。「反脆さ」を説明していますが、とても難しい。
本の趣旨とはずれますが、ふと思うのは、PCやスマホの利用は、私
にとって「脆い」世界なんだろうな、と改めて感じたこと。
原因が目に見える世界とは違います。
例えば、車が動かなくなったのだが、ガソリンが切れている、これな
ら解ります。
ところが、パソコンの調子が悪い状態。
例えば、インターネットに繋がらない、 何故かは、解らない
私のレベルの理論や経験ををもって対処できることではい。
対処療法的に、電源を何度か切って再立ち上げを繰り返すくらい。
つまり、自分自身では、どうしようもない。
3.生活の一般論
見方を変えると、日々の自分の生活を取り巻く環境を考えると、
「なぜそうなっているか解る」モノは来分けて僅少であり、訳が
解らないまま、とりあえず便利で使っているものがほとんど。
上記で縷々書いたように、何か問題・トラブルが起こると。お手上
げの話ばかり。
そこで、生きてくるのは諦観と寛容、気分転換の3つでしょうか。
①まず諦観。
出来ないものはできない、仕方ないと、無理やり納得するしか、
ないのでしょう。諦めるのがスタート。
②続いて、寛容。
今問題・トラブルになっていることが、解決せず、諦めるしか
ないとして、いいじゃないか。またほかの道をさがそう。
社会的にも生物的にも「死」を迎えるわけじゃないので、まあ
良しとしよう、という寛容さでしょう。
③最後に、気分転換。
好きな言葉の一つに「これからのあなたの人生で、今のあなたが
一番若い」が、あります。
諦観と寛容で終わるのは、もったいない。限りあるこれからの時間。
気分転換して、も少し楽に。イライラしても、平穏でも時間は同じ
時間。
気分転換すると、ひょっとすると、他の名案が浮かぶかもしれない。