中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

古代ローマ人と日本人が似ている点、現代イタリア人とは違います。

1.古代ローマ人と日本人の共通点

をふと考えていたら、

(1)「宗教的拘束がない社会」、「世間が戒律をつくる」という
文言にぶつかりました。
「宗教的拘束」の話は良く解ります。
今や西ヨーロッパ世界には、キリスト教が深く根差しており、いわ
いる「近代化」というのも、キリスト教のくびきからの脱却の一面
があるのは、解ります。
その点、古代ローマ社会で多神教の世界で、「やおろずの神々」が
いる日本と似ているし、宗教的「拘束」は低そうです。
世間が戒律を作るローマ社会は、あまり知らなかったのですが、
「世間」の同調圧力(最も相手は、奴隷でないローマ市民(男性)
が「世間」)めいたものがあったようです。
(2)別の資料を見ていたら
風呂、年功序列、公共事業、言語をあげて、いました。
風呂については後述するとして、
年功序列には、

ローマには元老院という組織。そして、重要なポストはある程度

の年齢にならないと立候補する資格がないとしていた、をあげ、

公共工事には、

ローマの街に 11 本も引かれていた水道、何万キロにも渡るロー

マ街道、いずれも国の仕事として進めていた、をあげています。

長い歴史を生き抜いたローマ水道アッピア街道の丁寧なつくり

は、なるほどと思います。

③言語について、

アクセントではなく抑揚で発生すること、日本語とほぼ同じロー

マ字読みから「直感的には似ている」と評しているようです。

これには私はコメントできません。

(3)少し硬い分析を引用しましょう。

塩野七海さんがコメントしているようですが

ローマ人と日本人の共通点として、創造性にやや欠けるが学ぶ

能力に長(た)けていると指摘。

ただまねるのではなく、「人が発明したものを磨いて、より良い

ものを作り出す能力には目を見張るものがあります」と。

「このソフィスティケートしていくことが得意なのが、実はロー

マ人と日本人」と論破している。

これには、同感です。

数値比較ができるわけではありませんが「学ぶ能力」にたけて

いると思いたいとことです。

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古代ローマのコロッセウム跡です。

 2.今度は風呂の話

(1)地理と文化の比較

・どちらも南北に長い国である。

・火山が多くて地震が頻発するという地質的な面での類似点

キリスト教が踏襲する以前の古代ローマ時代にまで溯れば、

 宗教的な倫理観に拘束されない国民の性質や社会性での共

 通点。

・ どちらも火山国であるがゆえに温泉は至る場所で湧出し、

 日本人もイタリア半島で暮らして来た人々も、その恩恵にあず

 かって生きてきた。

・古代のローマの都市には大衆浴場があって社交場になっていた。

 平成の今でははやらないが、昭和の日本も銭湯は社交場だ

お湯が湧き出さない地域にも温泉的なものを作りたい、という

 のも古代ローマ人と日本人特有の発想だった。

温泉については私も個人的に好きで、当ブログにも少し書いてい
ます。 

温泉あれこれ(日本人の温泉好き、勝手解釈、テルマエ・ロマエ、故郷の温泉) - 中高年michiのサバイバル日記

もう一年4ケ月前(2019年11月24日)ですが、ヤマザキマリさんの、

テルマエ・ロマエをとり上げています。

 この映画でも、彼女の「平均的な日本人」ではない半生がより内容

を深く、面白くしているように感じました。

(2)そのヤマザキマリさんからひと言

古代ローマの人々は、大きな国土を保有し、経済が回り、国威が

保たれていることが重要で、命は二の次という姿勢がはっきりして

いた。」

現在西洋に根差した、個人主義とは、少し違いますね。

 

3.現代イタリア人

現在ギリシャ人・イタリア人が、人種的にも、歴史的にも、古代ギリ

シャ、古代ローマと、全くつながっていないのは自明ですが、古代の

歴史遺産をなんとか金儲けに利用しようという、「商魂」は認めま

す。今を生きるのに、皆必死。

日本人と似ていない現代イタリア人のことを、またヤマザキさんから。 

新型コロナで「自粛要請に従わない法人の名前公開」が、日本では、
「処罰」の一つの道具であって、一定の効力を持つということが、
平均的現代イタリア人には、ギャグにうつるらしい。
 
良く解ります。「自粛」とは何か、何ら罰則のない規範がどうして
拘束力を持ち、効力を持ちうるのか。
「世間という同調圧力」は彼らには、解らないのでしょう。
キリスト教という)宗教なくして、倫理観・道徳観をどう教える
のか?」という指摘もありそうです。
「お天道様が見ている」に、しっくりくる人もそうでない人もいま
す。いずれにしても、自分と違う人を理解し受け入れるには、
「寛容さ」が必要なのでしょう。