高貴なる敗北
日本史の悲劇の英雄たち
アイヴァン・モリス/〔著〕
斎藤和明/訳
出版者 中央公論社 1981.10
1.概要
(1)一般的書評
日本文化に造詣の深いアメリカ人(三島由紀夫とも昵懇)による、
(日本史での「滅びの美学」を体現する人々から日本人が「何故
敗者を愛するのか」と考察した本です。
上記のように、 出版が「中央公論社 1981.10」と、もう40年も前
です。
など、「日本史悲劇のヒーロー大集合」の感がありますが、共通
するのは利害関係を超えた、崇高なものへ殉ずる姿勢でしょう。
「負けるとわかっていても、あえて戦う」という正に日本人好みの
生き様が、「成功という俗を超えた価値観」だと言えます。
換言すると、日本史と日本人の底流にある、勇敢な気性と繊細優美
な感受性などを畫いている、と言えます。
(2)選択の契機
現代日本人が変わってきたとして
「朽ちた英雄、つまり”高貴なる敗北”に敬意を払ってきた昔の日本
とは、奇妙なくらい対照的だ。」
とコメントしています。
(反脆弱性 上巻 P283 ナシーム・ニコラス・タレブ著)
多読家のタレブ氏から、いろんな書籍の引用がありますが、
上記コメントのベースとなったのが、この「高貴なる敗北」です。
さて、実際手に取ってみて、いきなり「日本武尊」のところで、古事
記、日本書紀のナマが出てきて閉口。「歌」の部分は、英語の方がよ
り分かりやすい次第です。
時代がくだって少し読みやすくなりますが、平家物語や太平記も同様
です。
古文を習ったのですが、どうも、私の日本語が貧弱です。
2.本文から
(日本では)挫折した英雄にとって、
が当然と言える。そこが西洋とは違う点なのである。
この書物(太平記)の著者たちは後醍醐天皇とその臣下たちの側に立
っている。天皇の倒幕の大義は空しいこと、正成の奮闘は敗北の途を
たどるものであることを理解した上で書いている。 P144
これら特攻隊員にとって、死は事の成り行きとか不運などによっ
て外部からもたらされるものではなかった。死は自分自身の内部
から、自分自身の意欲から生み出される一つの決意であった。
(中略)
自殺とは、実際「臆病者の逃げ道」とは遥かにかけ離れていて、英雄
が極限状態に置かれた際にとりうる唯一の名誉ある行動だったのであ
る。
それは絶望からの発作的な挙動ではなく、十分慎重な考察、準備をな
したうえでの誇り高き行為であった。 P275
(全体引用というより 、日本人の死に対する価値観が古代から連綿と
継承されていて、それは日本人独特なのだと言う事、を中心の引用
としました。)
3.最後に
(1)何度が中断したのですが、最後の神風特攻隊のところは涙なく
しては読めないほどでした。
著者は、敗北するように運命付けられていることを自分で意識した
パーソナリティと、そのパーソナリティの第二次世界大戦での敗北後
の日本の社会での受容(記憶と追憶)に、日本史を貫くものを発見し
ます。
要は「日本人は変わっていないんだ」ということ。
なお、西欧でもこの判官びいきは存在するのですが、彼は日本での
その特殊性を西欧の古典との比較で強調しています。
つまり、欧米人は勝利者を高らかに語っても、敗者の悲劇はあまり
感動を呼び起こさないでしょう。せいぜいシェークスピアの悲劇
(創作物)でしかないという程度でしょうか。
改めて、筆者も外国人(アイヴァン・モリス)、読書の契機も外国人
(ニコラス・タレブ)でしたが、良い考え方の整理となりました。
「高貴なる敗北」が楽天で見つからず、著者アイヴァン・モリスの、
日本短編集の紹介としました。
|