1.リスクは必ず存在する
(1)リスクを考えるのが仕事の一つ
何事をやるにしてもリスク低減を考えることは必須で、それぞれの専
門分野においては、リスク許容度の詳細な指標があることでしょう。
(何も具体的な事例を示すのではなく、想像ですが・・)
もうすこし考える経営、政治ほか、最多数の人が行う「通常業務」
(業務に優劣を付ける話ではなく、私が経営や政治事例しか思いつか
ないからこの表現)にしても、判断を行うに際してリスクゼロは、現
実的ではないでしょう。
(2)リスク制御
昔、証券会社で新規顧客を獲得する営業をしていた頃「株はコワイ」
とさんざん「潜在顧客」から聞きましたし、おそらくいまでもそのシ
ーンは多いでしょう。
自分の知らないことが怖いのは当たり前であって、そうでないと、
その恐怖感覚がないと、そもそも今日まで生物として地球上に存在し
ているはずがない、と思います。
そのうえで、どうやって制御(コントロール)する、極小化すること
を考えるのでしょう。
そうやって、みな過去に考えてきたし、今後もそうでしょう。
どの判断もトレード・オフ的なところがあって「あちらを立てると、
こちらが立たず」「忠ならんと欲すれば孝ならず」・・・・
あるリスクを極限までゼロにしようとすると、反動や非常に高いコス
ト、周りへの波及効果等が大きそうです。
昔読んだバーンスタイン著の「リスク」を思い出しました。
古今東西どの判断も「リスク・コントロール」の歴史と言えます。。
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2.リスクから連想で人の死
(1)マスメディアに一言
相手の関心を引くため、恐怖心を煽る手法を優先することは、
マスメディアも、食べていくための「仕事」ですから、ある程度、
情報を受けるほうが「許容」することもありですが、やはり程度問題
でしょう。
芸能人のプライバシー関連をネタに、その手のことに関心ある方の
注意を引いて儲けようとするのは、多数のヒトには「人畜無害」な
ところがあって、まあ良しとしましょう。
ですが、昨今の新型コロナ騒動みたいに、多くの健康問題や「人の
死」に関係することを、軽々に(数値や論理を開示せずに)、一方向
からだけマスメディアが報道するのは、いかがなものか、常々思います。
(2)私の知る著名人の死亡から
私が思い出すのは日本ラグビーの平井誠二、ジョナ・ロムー(ニュー
ジーランド・オールブラックスの人です。)、柔道の古賀稔彦です。
いずれも、若くして病気で亡くなっています。
スポーツで特定の世界の第一線にいた人ですから、「人なみ」より
体力もあり節制もしていたでしょうし・・それでも病魔は襲います。
「病気には勝てない」とは、歴史上の人物にも、多々あります。
それにより「歴史が動いた」事例は、よくあります。
(ふと、イタリア中世末のチェーザレ・ボルジアが浮かびました。
もう一つ我慢を重ねて待ち毛沢東の死を持ち動き出した鄧小平
を思い出しました。)
話戻して、上記3人のスポーツ選手に対し、無論私に個人情報がある
でなし、病気の正確な情報はじめ推測するつもりもありません。
今回も思ったのは、
なににおいてもリスクはあり、それは消滅させる(リスクゼロにす
る)ことは、できないものだ、ということ。
3.いつも思うこと
私が考えていることは、いつも同じです。
確り勉強し、情報を集め、精査吟味し、心身ともに身構えてリスクを
取ることが、何においても必須であり、リスクを制御しつつ生きてい
くしか、方法がないこと。
行動を起こして失敗は付きものというか、必然と言えましょう。
その失敗をその後リカバリーできるかも、解りません。(少なくと
も本人には、人生の最後は見えません。)
つまり、リスクをとって邁進する人の心の最後の寄りどころは「諦
観」、「仕方がない」、との諦めでしょうか。