中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

結果同じなら、やっぱり楽観的に考えた方が得 悩むのでなく考えること

1.言いたいこと

今日の話も、単純です。

言いたいことは、タイトルに若干補足で、3行程度で終わります。

・悩み苦しんで出した結論も、そうでない場合も結果は同じ

・確り考え、決断し、行動することが必要で、「思考放棄」が一番

 いけない

・楽観的な方が精神的にいいし、「悩むのではなく考えること」に

 集中できそう

以下に、言葉を変えて、回していますが、理論の進展はなく、上記で言っていることは

すべてです。

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楽観的な老人のイメージ

2.何が正解かは、結局解らない

(1)いろんな職業があって、心療内科というのも否定しません。

自分に良く解らないからといって、公序良俗違反とその国の法律で明記されている行為

以外は、グレーゾーンであっても否定するのは、良くないでしょう。

政治家や医者をうさんくさいと思うのは自由ですが、100%否定はどうか。

薬物投与についても良く解りませんが、所詮生体反応ですから、

「求められている望ましい一定の方向に導く」ことを「効能」とすれば、個体により

(たとえプラシーボ効果であっても)

(2)腐敗と発酵がある面同じ現象であるように薬と毒もある面同じでしょう。

 個人の嗜好でいうと、私は「アルコール」は好みですが、たばこ類やいわいる薬物

大麻が合法の国もあるようですが)も、自分でためしてみようとは思いません。

幻覚症状には、あまり興味がわきません。

 「体にいい」、「健康にいい」と言われる食物摂取や節制、運動行為も否定しません

が、私の場合何らかの目的のための健康維持であってそれ自体を、目的化することが

できない性分です。

(3)だらだら書いてきましたが、結論は小見出しの通りで、目的成就しようとした行

動の何が正解か、解らない場合が多々。というか、「事前にわかる」場合が極めてま

れ、といったところ。

 

 3.やはり考えること

(1)考えるのは大いに結構どころか、頭脳がしびれるくらい考え、決断し、実行する

のは生きていくうえで必要ですが、「悩む」こととは、全く別。

たまの愚痴はいいが、悩んでばかりいるのは、いかかなものか。ていの良い「思考放

棄」になっていないでしぃうか。

 くよくよ、ああでもない、こうでもないと悩む方が、「好き」な人を、否定しません。

そうやって時間を費やすことが「楽」と思う人もいるでしょうが、やはりあまり生産的

ではありません。

悩んだところで、楽観視したところで、出てくる結果は同しだから。

拠り良い結果を招くのは、考え、決断し、実行した場合の連続技であって、悩み通して

いる場合ではない、と私は思うようにしています。

悩んでいる時間は、生産的ではないし、精神面では、マイナス効果が高いと思われます。

(2)事例を一つ

日々の生活維持のため、足元の毎月の支払いに汲汲とし、資金がなくて何も思うこと、

やりたいことが出来ない、それどころか、早晩資金ショートしそうと、苦悩するわけで

すが、苦悩するだけでは、何も生まれなません。

収入を増やす、支出を切り詰めることが、限界に近いと思っても、楽観的思考を。

つまり悩むのではなく、考え続けるしかないのでしょう。

(3) 損得勘定感情から言って、悩み停止、楽観視するのが、得。

再度言いますが、悩むことと「考え、決断し、実行すること」とは、別次元です。

無論、悩まず楽観視といっても必要条件はあります。他人を傷つけない(他人い無責任だと思われたり、のう天気だとあきれられることも含みます。)こと。

 

4.最期に

結果について、当初から過度な期待を持たないことと、諦観が必要。

基本は、

・過度な期待を持たずに「上見て暮らすな、下見て暮らせ」式を期待値のベースに置く

 ことと

・今の日本で、餓死するでも、拘束速・投獄や追放・処刑に会うわけでもない、とり

 あえず安全に生きていけそうとの現状認識を持つこと。

・ゆえに、良い環境に生きていられて感謝の念を持つこと。

最後の最後は、目的成就できなくても「恨み」を引きづるのでなく、「諦観」を持つ

ことでしょうか。