今週のお題「間取り」です。
1.「間取り」の具体的ヒントなし
(1)のっけから白ける話をしてしまいますが、
私のこの話は「便利な間取り」や「変な間取り」のヒントには一切
なりません。
私自身、生まれてこの方、家の間取りをあまり意識したことがない
のです。
①いっぱしに、自宅、一人暮らし、寮生活、二人の結婚生活、子供が
生まれて・・・・と、いくつか生活パターンの変化は経験しています。
②また、過去の仕事において、業種がら、広義の不動産に絡む仕事で、
住宅の間取りも、「考えているふり」をしたことがあります。
③加えて、近しい人の「間取り」のために、資金援助的なことを、昔
やったことはあります。
しかしながら、どうも、自分自身は「間取り」への関心が薄そ
うです。
(2)関心事の話
幸せなのですが、日光を浴びたみたい、雨をしのぎたい、極寒から逃れ
たいという、「通常の生活に困る」ような大変な事態に、住生活におい
て遭遇したことがなかったも要因よういんでしょう。
また、私の関心ごととして、間取りや、部屋の空間構築に「うれしさ」
「豊さ」「幸福感」を、あまり感じたことが、なかったせいかもしれま
せん。
(3)今の住処も基本同じ
昔話は、置いといて、現在の住処について、少し書きます。
子供が二人いて、幼児期から小学生になりそうな年に、新築マンション
の一室を買うことになりましたが、やはり「間取り」について「他人
ごと」なんですよね、
無論「おかね」については、私が最終責任者であり、真剣になりました
が、「間取り」は妻任せの面はありました。
当然彼女自身や子供の生活空間について、現在と将来を見据えた展望
は、彼女は、高い関心があったでしょうし、それは尊重します。
私自身については、「座して半畳、寝て一畳」の世界に近く、周りが
どう見るかといった「見栄」が、中心の感情だったのでしょう。
つまり、新築の建物で、快適な生活のインフラが完備されているので
あれば、それで満足て、あとは友人、親戚含め他者に対して、妻子が
変に思われたくない、といったところ。
話が最初に戻って、読み手に関心の「便利な間取り」とか「変な間取
り」の各論は、展開しないままに、今日のブログは終わります。
2.「変化」には長い年月
いきなり、一般論になるのですが、日本も住宅の多様化は、進むと思
います。ただし、長い年月かけて・・・
(1)昔、私の育った環境は自宅に神棚と仏壇がありましたが、今の
住居には、ありません。
知人・友人の中で、厳格なキリスト教徒やイスラム教徒の自宅にお邪
魔したことがなくて解らないのですが、宗教が生活に入り込むのがア
タリマエの世界では、宗教心が薄い人の住宅とは、やはり、違ってく
ると想像します。
人の移動の拡大、スピードの加速は、後戻りしないでしょう。
(新種の感染症の発生、拡散、蔓延等も今後増えても、そうです。)
宗教はじめ、価値観が違う人々の婚姻や、家族形成、共同生活等は
増えるばかりか、パターンも多様化するでしょう。
結果、本来考え方の違う人々が、妥協して一緒に生活するわけです
から、ますます「間取り」も多様化してくるのではないでしょうか。
(2)時間がかかりそう
とはいえ、人間の感覚は保守的です。
生まれ育った食生活、生活環境には愛着が強く、なかなか変えられ
ないのは人間の性のような気がします。
例えば、テレビドラマでは、「幕末」と「明治維新後」は、ガラリ
と変えて放送するようですが、ビジュアル的に「解り易さ」を求め
ています。
「上から」の支持派、そういった面は強いですが、こと生活となる
と、「ゆっくり」、「ゆっくり」というのが、普通に思えます。