1.昨今の政治系(一部哲学系)youtuber
私は情報源として書籍が多いですが、PC,スマートフォンにも
デイリーで接しています。
その中で、よく聞くものに、政治系(一部哲学系)youtuberの作成
物がありますがよく日々更新が続くものだと、感心します。
個人差はあると思いますが、15分から20分くらいの動画を、1
から2本、ほぼ毎日アップしているのは、かなりの意志力でしょうか。
本人の事情や時間管理、他の方の協力度合い等は、私のあずかり知
らぬところですが、開示する記事内容の選択、解説は本人独自のも
のであろうと思っています。
送ら技術革新の進展とはいえ、テレ部番組作成は、複数の人間の合
作であり、主義主張も個人に属するものではないなか、「本人独自」
のyoutuberの活躍が目立ちます。
2.本質は分析内容
(1)私の関心事は、私に情報がない個々人の労力や、不得手な機器
ハードやソフトの関心ではなく、情報の切り口、視点の話です。
伝えようとする対象が、政治、経済であるなら、世の中日々動いている
わけで、ネタに事欠かないだろうと言われてしまうと、その通りです。
実際、テレビやインターネットで流れる、大手マスメディア報道も、ま
さに起っていることを、切り取って流しているだけ、とも言えます。
物理的な情報量や、取材ソースに近寄ることが出来そう、一次情報に近
い等々のメリットはありますが、本質的には同じでしょう。
つまり、開示する情報の記事栗、分析の視点が問題であって、本質は、
大組織であろうが、個人であろうが、同じレベルとなります。
また、あくまで「傾向」ですが大組織での意思決定・開示内容に比
べて個人の方が、ぶれない、解り易い、という点はありそうです。
(2)ネタ切れの話
個人で収集できる情報量は、大組織に比べて小さく浅い、という面は
否定できませんが、情報発信者の深部にある、蓄積と仕入れた現情報
の料理の仕方が、ネタ切れ云々の要因でしょう。
話の流れで、自分に翻って考えてみたいのですが、分析視点が足りない
というのは、過去の自分の知識や経験(実体験や書籍等の間接体験験含
むすべて、出口春秋さん流に言うと、人、旅、本、でしょうか)の欠如
のため、うまくく独自の視点での比較分析となりにくい、ということの
ようです。
では、自分の場合どうするか?
一朝一夕ではいかなくて、過去の自分を振り返り、知識や経験を玩味し、
思考を繰り返すことと、以外にないのでしょう。
話は飛びますが、夏目漱石が現代に読み継がれる作品を残したのは、ほ
んの10年くらいの作家活動、彼は50歳でもう死亡している、と聞くと
「天才は太く短く」というとそれまでですが、「知識や経験を生かす」
期間の長短も人それぞれに思えます。
(3)考えてみると、作家や学者という商売がありますが、これは組織と
というより、個人商店でしょうし、「創作物」は大組織でなく本質的に
個人の頭脳の中に、帰属していそうです。
youtuberの話をしていますが、情報発信は組織より個人になじむ気も
しています。
ものの考え方は、ほとんどの場合対立する概念があって「歴史」も然り。
〇歴史に一定の流れがあって、個々人はその舞台の上で一定期間踊って、
舞台を去るだけ、「歴史上の偉人」がいたとして、「彼・彼女」がいな
いと、誰かが代役をやっただけ、という考えもありましょうし
〇たまたま傑出した個人がいて、歴史を作り、その積み重ねが歴史の実
態でであり、歴史に意思はない、歴史は繰り返さない、との見方もある
でしょう。
3.情報発信言語 と賞味期限
(1)情報発信言語
情報発信に重要なのは、分析能力と、内容の伝え方
個性もあろうが、基本は深い理解とある程度語彙力が必要でしょう。
そして、情報発信言語の問題も重要。
知人に塾の講師がいて、主に数学や物理を生徒相手にオンラインやオフ
ラインで、日本語でしゃべっているようですが、英語と北京語で同様の
情報発信で着たら、世界中に「潜在顧客」が人がるだろうと思います。
youtuberしかり。もちろんないモノねだりでしょうが・・・
(2)情報の賞味期限
「古典」として残るような情報はほとんど皆無で、自分が生きている間
どころか、本のひと月、1週間たったら誰からも振り返られれない情報
除法も多々ある、というか、そちらが多いでしょう。
これは、気にしても仕方のないことでしょう。