今日のタイトルも、ごく普通のこと。
物事を多面的に見ることは、言葉でいう程簡単ではないのですが、
逆から見るとか、因果関係を逆転させることは、割と良くやって
いるようです。
1.結果から遡って考える
(1)権力者の長生き
①歴史の本を見ていると時の権力者の生誕と死亡の時期が書いてあ
ります。話を解り易くするため、とりあえずその数字は正しいとし
て、話を進めます。
よく思うのは、同時代人と比べて、権力者が長生きしていること。
地域や時代を問わず、良く感じることです。
ところが、もう一歩進めると「話が逆だ」と良く感じます。
つまり、「権力者が長生きしたのではない。長生きしたから、結果
として権力者になれた」ということ。
広義の敵を滅ぼしてきたことや、相対的に頭脳、身体がよく働い
たことは想像がつくし、敵を排除する過程る家庭で、自分に不都合
なことを、隠ぺい、抹消できたこともあるでしょう。
何より、幸運であったことがあります。
どれもこれも、自分が「敵」より永く生きた、からできたことであ
りその意味で、権力者の死を待つということもまた、次の権力者に
とって重要な戦略の一つでしょう。例えば、鄧小平が毛沢東の死を
確認してから、動き出したように・・・。
②最も、歴史には例外もたくさんあって、
若くして権力者が命を落とした例も多いもの。
その相対的に解員年齢の時、すでに観力を掌握していたのでしょう。
権力者でなくて、学者や芸術家にも、長生きを味方にしたとの例も
たくさん。
無論、ここでも数学、物理学とか分野によっては、20代や30代
前半までが能力のピークで、すでに実績を残した人も多いでしょう。
話をずらしますが、自然界もそうです。
「自然界では強いものが生き残るのでなく、生き残ったものこそ
が勝者である。」とはよく聞く話。
(2)「実態」は解らないので、形式で判断
これは非常に解り易いことですね。
「馬子にも衣裳」的なたとえ話は、良くでてきます。
少し事例を挙げると
・昔、中学の教科書にも出てきた菊池寛の短編「形」
・ドラマ・ドラゴン桜(昔の方です)での「バカとブスこそ東大
に行け」
・結婚披露宴の席順と出席者の人を見るのではなく「肩書」
のみを確り見ている人
形式で判断することは、
学歴、職歴、資格、業績歴とか、要は「実体」を判断すること
が、短時間では事実上不可能(判断者の応力の問題はあります)
なので、仕方ない面はあります。
(3)毛色を変えて、社会心理学の難しい話から
①意識があって、それで脳を動かすと、素朴に思っていたら、どう
も逆のようです。
何かを知ったと我々が思う意識経験の前に脳はすでに自分の仕事
を済ませている。(中略)脳内に構築されたシステムは我々の意
識外で自動的に仕事を遂行する。脳が処理する情報が我々の意識
に到達する0.5秒前には、その作業を終えている。
小坂井敏晶 社会心理学講義 P95 第3講 主体再考
②哲学の解釈ですが、小坂さんの見解が私に100%は理解できな
くて残念なのですが・・・・
ルソーを高く評価すべき理由は、社会契約論の確立に成功した
からではない。逆だ。近代個人主義を極限まで突き進める試み
が失敗し、宗教的虚構の排除は原理的に不可能である事実が、
当人の意図に反してあらわになったからである。
小坂井敏晶 神の亡霊 P292
(4)今度は人間心理から、自分の正当化の話
①米国の上場株式のアップルの話
もう15年以上前になりますが、私はアップルの株式を少額な
がら保有していました。
株式相場をよく考えた、というより、手元にお金がなくて必要
に迫られ売却換金した経験があります。
ご存じのように、その後アップルの株価は大きく上昇、現時点も
高株価は、続いています。私が企業としてのアップルに懐疑的
になる時、昔の経験が無意識の影を落としているのであろうと、
推測します。
②有名な、キツネのすっぱいぶどう発言もそう。イソップ童話の
あれです。難しい分析は置いといて、ここでは「諦める理由の
正当化」としましょう。
2.まとめ的に
もう相当前から「情報化社会」とか「情報過多社会」とか、言わ
れていますが、いつの時代にも、情報は不足している、というのが
私の考えです。
意図的、不作為等議論はあるのでしょうが「知りたい」情報がなか
なか入手できないのが、現実のようです。
入手した、かけ外のない情報を「どの料理」するかは、門院の腕しだい。
他方県からの分析は次のステップとして、まずは、逆から見るとか、因果
関係を逆転させるとか、視点を変える癖を身に着けていたい思います。