中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

西洋哲学史(読書感想文もどき)バートランド・ラッセルによる整理です。

西洋哲学史

原タイトル:A history of Western philosophy

バートランド・ラッセル/[著]  

市井三郎/訳  

出版者    みすず書房 2020.11

1.概要

イギリスの哲学者であり、論理学や数学基礎論に貢献した

バートランド・ラッセルによる西洋哲学史

ソクラテス以前の哲学から、中世のキリスト教の神学・哲学、

ルネッサンス、近代、20世紀の前半まで、独自の解釈で叙述

しています。哲学は、何度私のブログで取り上げています。

じつは、良く解っていないのですが、なぜか惹かれてしまいます。

真面目に取り組んで、今回もよく解からずに、との敗北感の連続。

それでも、取り上げるのは?

見栄でしょうね。憧れもあるでしょう。哲学が解るとかっこいい

とか?しかしよく考えると、誰に対する見栄だろう?

見栄を張ろうにも、相手がいないのでは?

明瞭な目的なく、何となく取り組んで、いつもはねかえされてし

まうのでしょう。

今回も、気世知の言い4月末から5月上旬の取り組みですが・・・

つまり、今回も通読・全面的な理解は無理で、拾い読みになり

ました。 

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西洋哲学史ですが、ソクラテスより前のピタゴラスのイラストとしました。

 2.本文から

マキャヴェリーは、新しい君主は彼(チェーザレ)の実際行動から

教訓を引き出すべきである、と言っている。確かにチェーザレは失

敗したが、それは「運というものが異常に禍したから」に過ぎない、

というのである。  (中略)

チェーザレマキャヴェリーに語って、自分はありとあらゆる場合

打つ手を用意していたが「父の死に際して自分も危篤である、と

いうようなことだけは考えたこともなかった」と述べたという。

 P 499  マキャヴェリ

 

それにもかかわらず、人間の通常の運命よりもひどい(と思わ

れる)なにごとかを耐えねばならないのが運命である場合には、

全体について考える、あるいはとにかく自分自身の嘆きより大

きい事柄について考えるというスピノーザの原理は有用である。

ありとあらゆる悪や苦しみを含んでいるにもかかわらず、人間の

生活は宇宙の生活にくらべれば無限小の部分に過ぎない、と反省

してみることが慰めになるような時さえあるのだ。 

P573  スピノーザ

 

ヒュームの哲学は、その真偽は別として、18世紀合理性の破綻を

代表している。彼はロックと同じように、経験と観察から得られ

る指示のみを追求して、それ以外の何物を信用せず、道理ある

施策をし、経験論的であろうとする意図で出発した、しかしヒュ

ームはロックよりも優れた知性を持ち、分析におけるより大きい

鋭さをもち、またロックのように安易な矛盾を受け入れるようなた

ちではなかったために彼は経験と観察からは何事も学びえない、

いうさんさんたる結論に到達したのである。 P665  ヒューム

 

知覚表象のあらゆる現実的性質は、それらの知覚されない原因の

諸性質とは異なっているが、知覚表象の体系とその原因の体系と

の間にはある種の構造的類似性がある、という結論である。

(中略)

このような見地に立てば、我々は二つの空間を持つことになり、

一方は主観的で他方に客観的、また一方は経験において知られ、

他方は単に推論されるだけである。しかしこの点に関しては、

空間と他の知覚表象との間に、なんら相違はないのである。

 P709 カント

  

ヘーゲルによれば、時間という過程は倫理的及び論理的な意味の

双方において、より不完全なものからより完全なものへと移行す

るという。まさにそれらの二つの意味は、ヘーゲルにとっては真

に区別しうるものではないのであって、その理由は論理的補完性

というものを彼が、次のように考えているからである。

すなわち諸部分が独立してとげとげしい辺をもつこともなく、密

接に編り合わされた全体であって、人間の肉体あるいはさらに道

理ある精神のように諸部分が相互依存的ですべて単一の目的に向

かって共同作業をしているような有機的組織に統一されている、

ということであり、これはまた倫理的完全性をも構成する、とい

うわけである。  P727 ヘーゲル

 

 ショーペンハウアーの体系はカントの体系の「焼き直しであるが、

フィヒテヘーゲルが強調した「純粋理性批判」の諸点とは、まっ

たく異なった反面を強調している体系なのである。(中略) 

ショーペンハウアーは、物それ自体は残存させ、それを意志と同一

視しているのである。知覚にとってわたしの肉体と見えるものも、

その実はわたしの意志なのである、と彼は主張した。(中略)

道徳律の研究はわれわれを現象界の背後にまで到達させ、感覚知覚

の与え得ない知識を我々に与えることができる、ということであっ

たし、また道徳律は本質的に意志に関するものである、と彼は主張

していた。   P747 ショーペンハウアー

 

マキャヴェリーとの比較で)

マキャヴェリは、実務家、見解は故郷の事柄との緊密な接触、時代と

調和、体系的でない。

一方ニーチェは、本質的に書物相手。当時の支配的な政治的、倫理的

潮流と思えたものに意識的に対立。

 両者の類似性

ニーチェの政治哲学は、より広大な分野にわたって丹精され適用され

てはいるが、「君主論」に展開されてた政治哲学に類似している。

またニーチェマキャヴェリーも共に、権力を志向し、公然と反キリ

スト教的であるような倫理を持っていた。もっともこの点では、ニー

チェの方がより率直であった。さらにマキャヴェリーに対するチェー

ザレは・ボルジアの位置は、ニーチェに対するナポレオンの位置に似

ていた。いずれも、些細な障害に敗れ去った偉人、というのだった。

 P754 ニーチェ 

3.感想文

明晰で解り易い、冷たい感じの解説かと思ったのは、まさに先入観で

存外ラッセルの踏み込んだ展開になっていた。

・たとえばP763ーP 765にかけてのニューチェへの反論としてラッセ

は、自己の見解を「仮想ブッダ」話をさせています。

「私の後継者であるイエスがそうですし(P764下段)・・・・」

・また、ベルグソンの項目で、ラッセルは

「彼の体系をいささかでも理解しなければならないとすれば、その

 概念を理解する音が必要なのである。しかしながらそれは、極め

 て難解な概念であって、私自身がそれを充分には理解していない。

(中略)私がそれを明晰そのものに説明できるとは望めないだろう。

  P788上段

と記述しています。

 

こうした、深い洞察に基づく持論の展開が随所にみられ、読者を

楽しませるのでしょうが、惜しむらくは、私の理解が付いていけ

ないこと。

ただ踏みこみ解説を一部を発見したことも、本書を読む甲斐が私に

あったようです。たまたま5月連休に重なりましたが、私には常に

読む時間はあります。ただし理解力がついていかないだけ。 

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